中央環境審議会第72回企画政策部会議事要旨


<日時>平成11年12月20日(月)10:00〜12:00

<場所>ホテルフロラシオン青山 1階 ふじの間

<出席>

森嶌部会長、安原部会長代理、井手委員、江本委員、茅委員、神林委員、北野委員、木原委員、幸田委員、佐和委員、塩田委員、鈴木委員、福川委員、藤井委員、星野委員、松野委員、松原(純)委員、三橋委員、宮本委員、村岡委員、村上委員、村杉委員、谷田部委員、渡辺委員、飯田特別委員、猿田特別委員、廣野特別委員、横山特別委員、寄本特別委員、岩崎専門委員、河野専門委員、寺門専門委員

企画調整局長、自然保護局長、大気保全局長、水質保全局長、環境保健部調査官、企画調整局企画調整課長、企画調整局環境計画課長、企画調整局環境計画課計画官、

<議題>

  (1)環境基本計画の見直しについて
  (2)その他

<配布資料>

  資料1 第70回企画政策部会議事要旨(案)
  資料2 第70回企画政策部会会議録(案)
  資料3 各種団体との意見交換会の概要(大気・水・土壌環境関連)
  資料4 各種団体との意見交換会の概要(自然環境関連) 
  資料5 議論集約メモ(案)
  資料6 環境政策の基本的な考え方に関する事項



  村岡委員から「大気・水・土壌環境関連の意見交換会」、渡辺委員から「自然環境関連の意見交換会」についてそれぞれ結果報告の後、森嶌部会長から「新環境基本計画の構成の検討に関する部会長メモ」に沿って議論の進め方について一通り説明。

(森嶌部会長)
◇現行環境基本計画の策定の際には、どういう形でどういうものを作るか、ということについて具体的なイメージがあったわけではなく、議論をしている間にだんだんと作っていくという形であった。結果的には、総論的部分の中の4つの長期的目標と第3部の「施策の展開」の部分と必ずしも十分に結びつかなかった。
 どういう形で施策を進めていくか、どういうことを具体的に当面のゴールとして進めていくかということを考える場合には、目標とすべき指標の開発等が必要であるが、当時はまだ総合的な指標が利用可能でなかったため、総論の中で指標の開発について記述する一方、具体的な施策については、どういう方向へ持っていくかを必ずしも指標により明確にしないまま記述することにした。当時の作業ではこれが精一杯であったが、今回の見直しに当たっては、総論的な部分が各論的な部分や具体的な問題と結びつくよう、できるだけ総論の審議の中で問題提起しておきたい。
 作成当時としてはうまくできていたが、5年たつと穴が見える。そこで、議論を進める上でポイントとなる点について、考え方のたたき台を作成した。皆様の意見を伺いながら、総論部分、各論部分をどう記述すべきか考えていきたい。
 まず、理念については、現行環境基本計画では4つの長期的目標が同じレベルで並んでおり、それらの相互の関係については記述されていない。環境基本法を見ると、現在及び将来の世代が環境の恵沢を受けられるようにすることがゴールとなっているが、環境基本計画における「共生」はどちらかというと自然環境という狭い意味で使われている。このように、現行の環境基本計画での「共生」の使い方は、環境基本法と多少異なるので、将来的には「共生」という言葉を定義し直す必要があるかもしれない。
 全体の最終ゴールは「現世代及び将来世代が環境の恵沢を享受すること」であり、そのために、循環型社会を社会的・経済的に確立していくということであるが、我々の社会経済は循環型ではなく、自然環境破壊の問題がある。我々は、経済社会のあり方と自然環境との関係をあわせて考えていく必要があるのではないか。
 また、「参加」、「国際的取組」というのは、循環型社会を達成するための道具である。両者については、国内的には「参加」、地球環境問題については「国際的取組」なくしては地球全体としての環境保全はできないという意味で、少しレベルが異なるのではないかと思う。
 こうした4つの長期的目標の論理的な相互関連を踏まえ、結局は、持続可能な経済への移行が中核的な目標になるのではないか。
 循環ないし持続可能な発展を達成できるかどうかを判断する基準としては、例えば「長期的再生産が可能な範囲で再生可能な自然財を利用する」といったものがあるが、言葉としてではなく、具体的にどのように捉えていくかを少しブレークダウンする必要がある。
 総合的環境指標は5年間努力したものの、現時点ではまだ不十分である。しかし、不十分であるから全部やめるのではなく、今まで出てきた指標、あるいはその考え方を持続可能な発展の判断基準と結びあわせてきちんと出しておくべきである。そして、各論において各施策を記述・展開する場合に、どのような具体的な指標があり得るのかを考えるとともに、指標がなければ、例えば、人間活動からの排出が環境の自浄能力を超えているから自浄能力を回復するためにこういう施策を行う、といった形で展開すべきではないかと思う。
 持続可能な発展の条件を満たすためにいろいろ政策的なルールや政策のツールがあり、それらをここで明らかにしておく必要がある。現行環境基本計画では「共通的基盤的施策の推進」の部分に書かれているが、その中でもポイントとなるべきものを総論において明らかにし、具体的な施策の部分で、総論で示したツールの具体化を行ったり、施策とルール(例えば予防原則等)の関連付けをしていただきたい。
 「環境基本計画の実施と評価」については、現行計画の最後の部分の記述に基づき毎年点検することとなっており、現に行われてきた。今までの点検の際に、判断基準がないことや、環境保全の対策について、有機的にプライオリティを付けて進めていく仕組みが不十分であることなどが繰り返し指摘されている。総論においては、計画に掲げられたものに対するパフォーマンスのレビューを行い、計画目標値などを訂正していく仕組みを最初から入れておく必要がある。各論部分では、こうした全体的な記述の他に、個別の分野について、現状がどうなっているか、30年くらいのスパンでどのような動向になるのか、何の政策を、BAUに対してどうしなければいけないか、というようなことを示していただければと思う。

  事務局から各種資料について説明の後、森嶌部会長から提出された「新環境基本計画の構成の検討に関する部会長メモ」、「検討用メモ」及び「議論集約メモ」等について議論。

◇「共生」と「循環」の内容がはっきりしないという指摘がヒアリングのときにもあった。生物学の分野において「共生」とは、生物の社会的な側面の中で扱われるのが普通であり、「循環」は生物の経済学的な側面の一部として扱われる。しかし、今や「共生」という概念は、生物学的な"symbiosis"という言葉から離れて、むしろ"coexistence","coliving","living together"という言葉でないと表現できなくなっている。とすれば、議論集約メモにあるように、「循環」の前に「共生」があり(併置の関係ではない)、「共生」がよりレベルの広い概念として位置づけるのが適当である。
 「共生」については、定量化ができず、あるいは技術化が大変難しく、また、保全的なものが中心的になり、ポジティブな形成や計画という側面がなかなか表現されにくい。例えばオランダの国家生態ネットワークのような施策を、日本あるいはアジア規模で打ち出し、それにあわせて具体的な施策を下のレベルで考えれば、「共生」という問題に具体性が出てくるのではないか。

◇部会長からの「計画を重層的に考える」という提案には賛成。今回の計画では説得力のある表現を基本に据えてみるのが良いと考えており、独断であるが、「文明的アプローチ」と「文化的アプローチ」の双方を組み合わせ、統合することが必要ではないかと思う。すなわち、社会システムあるいは技術政策の側面と社会意識・価値観の側面とを組み合わせて考えていくことが重要である。
 ここで、日本が外にも発信するのであれば、日本の持つ東洋的な価値観、つまり自然とは共存・共生するものであるという意識をもう少し強調できないであろうか。そうした意味で、「共生」という概念を、生物学的な概念というより社会的な概念として捉える必要がある。  4つの長期的目標のうち、「参加」と「国際的取組」については、どちらかをやめると弊害があるかもしれないが、「参加」の中に、地球上の参加という概念を含めてしまった方が良いのではないか。「国際的取組」の「国際的」を外さないとすれば、「取組」というよりむしろ「国際行動」とか「国際協働」という次元に来ているのではないか。
 また、「公開」の原則をこの際打ち出していく必要があるのではないか。情報化社会が急速に進展し、情報の限界費用は下がってくるので、これから新しいシステムを作る上で、企業がいろいろ情報公開したり、社会の状態について公開されることが重要になってくる。
 政策ツールの在り方については、社会変化、意識変化あるいは経済条件、技術条件の変化を考慮して、何が一番効果的か、あるいは逆に過剰なものはないか、といった点を議論してほしい。

(森嶌部会長)
◇福川委員の文化的側面からの著作を興味深く読んだことがある。要約メモを提出していただけると議論をしやすいので御協力願いたい。

◇部会長メモは、作業を効率的かつ統一的に進めるのに大変良い試みである。このメモの「2」では持続的発展の循環型社会をより一歩進めて定義されたように思う。
 最近行われたWTOのシアトル会議では、アメリカの労働組合とエコロジストが中心になって貿易の自由化に反対した。つまり、労働基準や環境への対応が異なるところと競争することに対する反対が起こった。一国のみならず、国際的にどういうバランスで貿易の自由化、あるいはそれに対する諸条件がハーモナイズするかが重要である。
 国際関係では、米ロ中の多極論に対し、国家間の枠組みということではなく、各ネーションステートと非政府部門との対立関係が言われている。環境についても同様で、「長期的再生産が可能な範囲で」とか「機能を代替できる範囲で」というのが、一体誰にとっての範囲なのか、つまり地球人全体なのかあるいは日本人なのかということについて、コンフリクトの元となる。環境容量についても、ネーションステートの範囲内の容量と考えるのか、しかも水準で考えるのか、フローで考えるのか、という点についてコンフリクトになり得る。その意味で、部会長メモは国際的にも大きな波紋を呼ぶ議論であろう。
 それでは我々はどうすべきかというと、日本のことを精一杯考えたら良いのではないか。恐らく、COP6が終わり、排出権取引の議論がある程度煮詰まった段階で、国際的なエコエフィシェンシーの議論をしたら良いのではないか。

(森嶌部会長)
◇示唆的なお話である。仮に国内に照準を合わせるとしても、国際的な話になった時に全く異なったことを議論しないで済むようにしたい。

◇「循環」の前に「共生」があるという議論があったが、私はその更に前に人類の安全、つまり私たちが現在及び将来において安全・健康に生きるという価値があると思う。そういう価値と開発とをどのように調和させていくかが人類に課せられた大きな課題である。  原子力分野でも安全について真摯に議論が行われたが、共生や安全に関しては、人類のタイムスパン、広さをどれぐらいの射程にとるかにより、政策や考え方が変わってくる。
 井手委員が言われたネットワークの考え方は、安全についても同じようなことがいえる。今までとは異なり、様々な立場のネットワークの安全が保持されないと社会的に安全が達成されない、という新しい考え方が要求されているが、このことは、持続可能な社会とも関連がある。

◇部会長メモの「2」の「他にも考えられる判断基準はないか」という部分についてであるが、「資源の効率的利用、公平な利用」も判断基準として非常に重要でないかと思う。例えば、使い捨て製品は、資源の効率という意味で非効率である。また、アメリカでは、一人当たりインドの30倍の化石燃料を燃やしており、世界的に見て不公平である。

◇部会長メモは非常によくできており感謝している。ODAについては、「政府開発援助に関する中期政策」が閣議決定されたが、その中に「人間の安全保障」という言葉が入っている。これからのODAは人間の安全保障を中心に考えていくべきであり、人間の安全保障を規定するものの一つが環境の安全保障という問題であるという議論が行われた。
 「共生」、「循環」、「参加」というのは、環境の安全保障の中核的な概念になると同時に、「安全」という問題も重要な概念として入ってくる。「国際的取組」をどう捉えるかについても、閣議決定の中で変化が見られる。従来、「国際的」つまりinternational,インターステートという考え方をしてきたが、これからは、民間企業やNGO等の様々なアクターが重要な役割を果たすので、地球的、globalに考えていかなければならない。特に環境に関しては、地球全体の問題として議論する必要があるのではないかという議論も行われた。そのような中で、対途上国問題も従来の国際的な取組で考えるのではなく、地球全体の問題として考えるべきである。これからは「国際的」という文字は使っても、地球的視点に立ったものを大事にしていく必要がある。
 検討用メモの中で我々が考えるべきことは、環境が地球全体の問題であり、「貧困」も環境との関連で議論されなければいけないということである。「貧困」の問題は、先進国の中にも膨大な貧困層がおり、必ずしも途上国のみの問題ではない。途上国の貧困層に限定した場合でも、この問題をもっと中心的課題として捉えることが重要である。貧困がもたらす環境破壊の問題について、もう少し焦点を強く合わせる必要があると感じる。

◇「共生」については、coexistenceという概念も更に飛び越えてliving together という一般用語として捉えるのであれば、部会長や井手委員の議論に賛成である。
 「参加」に関しては、国、事業者、国民、民間団体の役割がパラレルに述べられているものの、国が他の主体を支援するというニュアンスが大変強い。総論部分では、国と他の主体がもう少し緊密なパートナーシップを持つということを踏まえた書き方をしてほしい。

◇英語でいうインパクトアセスメントが環境アセスメント・環境影響評価という形で環境基本計画に盛り込まれてきたと思うが、一方、リスクの問題を取り扱うということになると、リスクアセスメントの問題が前面に出てくる。環境リスクアセスメントについては、人の健康のみならず生態系に対する影響、生活の質の問題まで考慮しなければならないという国際的な展開を考えると、環境影響評価、環境アセスメントと環境リスクアセスメントが体系的にどのように整理できるのかという議論を一度きちんと行わなければならない。
 「参加」については、リスクアセスメントからリスクマネジメントに展開していく道筋の中で、単なる参加ではなくもう少しローカリティにイニシアティブがあるような形で展開していかないといけない。中央政府のリーダーシップの下に地域住民・NGOが参加していくやり方ではないようにしないと、リスクアセスメントの実際の仕事の中で出てきた矛盾をはらんだ諸問題をどこからどう手をつけてやっていくかを考えたときに、うまく進まないのではないかと考えられる。その意味で、「参加」という今まで使ってきた用語だけで良いのか考える必要がある。

(森嶌部会長)
◇総論を進めて文章化する際に、何か参考にあるものがあればメモか資料を出していただければと思う。

◇議論集約メモの中の「経済成長がなければ持続可能な経済社会といえないのか。場合によってはゼロ成長でも良いという考え方が『持続可能』という言葉に含まれるかもしれない。」というところで、是非マイナス成長のことも考えていただきたい。ゼロ成長あるいはマイナス成長でも良いという考え方が「持続可能」という言葉に含まれるのかどうかも議論を進めていただきたい。
 先日の意見交換会で連合の方にこうした観点から質問した際に、「マイナス成長という過激な考え方を持っているのはごく一部」という趣旨の返答があり、おやおやと思ったが、是非中環審において、マイナス成長では一体どうなのかという議論を煮詰めていただきたい。

(森嶌部会長)
◇人口減少の問題も含め、マイナス成長で良いという意味ではなく、マイナス成長を考えた場合どういうことになるのかという議論を行いたい。  
     
◇「経済社会」と「社会経済」という言葉は、「社会経済」の方が広いように感じるが、将来的にはどちらを使うべきか。

◇「社会経済」と言うと経済の話を、「経済社会」というとむしろinstitutionalな社会の仕組みのようなものを考えていたが、それほど厳密に考えてはいないので、今後の議論の際にはきちんと考えていく。

◇何らかの意味での文明の質の向上を前提として、いかにして持続可能な社会を作るかが環境基本計画の命題ではないかと思うが、そういった文明の拡大が必ず経済成長を伴うという従来のコンセプトとは異なるものをここでは意図していると考える。このことは、ローマクラブ以来議論されている問題であるが、かなり思い切った社会を作ろうとしているのだということが環境基本計画の総論部分に書かれていないといけないと思う。つまり、今まではこうであったが、これから作ろうとする社会はそれとは違う新しいコンセプトの社会であり、だから相当大変なことである、という認識がどこかに書かれて強調されて然るべきである。 

(森嶌部会長)
◇経済成長がマイナスであっても、クオリティ・オブ・ライフを高めながらやっていける、という発想として受け止めている。

◇アメニティーというか、数量化を超えたものに対しても、「共生」、「循環」、「国際協力」、「参加」という配慮が必要ではないかと思う。

◇地域においては、この5年間で「循環」も「共生」も「参加」も「国際的取組」も分かっているという感じである。各地域の動きの中でも「参加」というと、ともかく動員でも何でも市民が参加していれば事は済んでいて、極端に言えばそういう意味での「参加」になっている。環境基本計画の概念が一人歩きして自分勝手な議論があるが、森嶌部会長からの「現行の環境基本計画はそのような理念の議論はしていなかったので、今回初めて議論する」というお話をなるほどと思った。私たちは、国、都道府県、市町村それぞれの政策がうまくつながっていくように参加していきたいと思う。
 琵琶湖について言えば、G8環境サミットが開催されるが、サミットの参加の状況にしても、住民には琵琶湖でやることの意味が全然分かっていないと同時に、県の環境政策課が「県は庶務係です。」ということを言う。21世紀に向けて20世紀の環境問題をどう環境再生に向けて動かすかということを、正に環境基本計画の見直しと県レベルとで並行して議論しなければいけないと思う。

(森嶌部会長)
◇G8については、是非、国民に理解・参加していただけるようなものにするよう、環境庁にお願いする。
 環境基本計画の見直しについては、相当手をつけなくてはならないところが多く、策定時と同じくらい大変な作業となるであろう。

◇経済成長について、かつてローマクラブがゼロ成長に移行するしかないという結論のレポートを出したときはまさに高度経済成長期の真っただ中ということもあり、大変な衝撃を与え、批判も受けた。
 ヨーロッパ諸国が総じて環境保全に大変熱心な最大の理由は、経済成長と環境保全が決して矛盾しないことがヨーロッパでは一つの常識となったからである。
 仮に、環境保全を優先させて経済成長を犠牲にしてもいいというような計画が作られたとすれば、国民、特に産業界の共感を得ることは難しいし、いたずらに対立や争を引き起こすことになる。したがって、環境と経済成長は決して両立不可能ではない、ということを強調すべきではないかと思う。
 例えば、発展途上国においては、環境保全と経済成長が多かれ少なかれトレードオフの関係にあると思うが、今の日本の場合、特に設備の過剰状態が続いているような状況下での環境投資は明らかに経済成長にとってプラスになる。つまり、経済発展の段階によって環境保全と経済成長のトレードオフ関係は異なり、日本の現状なら明らかに環境保全と経済成長は両立すると思う。
 ヨーロッパ諸国で環境保全に大変熱心なもう一つの理由は、当初、環境問題に関しては無関心であったイギリスの労働党、ドイツの社会民主党等等(かつてのオールドレフト)が、92年以降、事あるごとに地球環境問題が論じられる中で、環境問題に対する答えを正面から用意しなければいけなくなり、市民運動との融合が図られたからである。アメリカでもそのような動きが出てきたが、日本の労働組合、連合は依然としてオールドレフトだなという印象を持っている。

(森嶌部会長)
◇我々がここで議論する際には、是非佐和委員のお知恵も借りて、基本計画の中に書き込むかどうかは別として、理論と言うよりも実感を持ってなるほどそうだろうと言えるような議論をしたい。
 繰り返しになるが、マイナス成長が良いという議論ではなく、マイナス成長ならばどうなのかという議論をしていただきたいと言ったのは、いろいろなシナリオがあり得るからである。最終的には、環境投資をすれば経済と環境が両立する、といったシナリオが書けるということを議論すべきである。

◇連合から来ているが、物事は正確に話した方がよい。連合としては平成6年に環境基本計画が策定されたのを受け、直ちに我々労働組合としてどう取り組むべきかという方針を環境指針としてまとめ、それをもとに連合全体の運動として職場や地域で行ってきた。2年前からは環境指針の見直しを行うと同時に、ステップ1〜3という形をとって環境に優しい生活スタイルの見直し運動に取り組んでいる。我々としてはもっと積極的な国民運動として進めたいと考えており、準備も進めているが、その辺が見えないのが残念である。
 世界の労働運動の中では国際自由労連という組織があるが、ここで環境問題に一番積極的な発言をしているのが連合であり、OECDの中の労働資本会議(ディアク)においても積極的な発言をしている。世界の労働組合の中で、ヨーロッパが熱心なように見えるが、一枚岩ではないし、アメリカの労働組合が熱心でないこともあり、国際自由労連全体としてなかなか環境問題についてインパクトのある方針が出てこない。我々としては、なお積極的な発言を続けていきたいと思っている。こうした取組が見えないということは反省すべきであるが、このように考えている。
 横山委員からの話についてであるが、我々は経済成長を目標として運動を進めている訳ではなく、いかにして雇用を確保するかを第一の目標としている。雇用と環境の関係をいかに整理していくかが、労働組合として最も問われている課題ではないかと考えている。

◇確認であるが、総論をもっと詳しく議論していく中で、「持続可能性」の定義は入れるのか。

(森嶌部会長)
◇目次を書いたのではなく、このような順序でこのようなことに重点を置きたいということなので、「持続可能な」ということもみなさんとお話ししながら当然取り上げる。

 事務局から各種連絡事項の後閉会。


<以 上>