中央環境審議会第37回企画政策部会会議録

中央環境審議会第37回企画政策部会会議録


<日  時>平成9年2月3日(月)14:00〜17:50

<場  所>九段会館 「鳳凰の間」

<議  題>
(1)意見交換
(2)その他

<配付資料>
○今後の環境影響評価制度のあり方について(答申案)

<議  事>  審議は公開で行われた。

(1)小委員会の審議経過についての報告

清水委員長より、小委員会の審議経過についての報告があった。

(委員長) 前回12月25日の部会において指示を受けて、1月17日に小委員会を開
催して答申案の起草作業を行った。起草作業に当たっては、前回の部会において森嶌部会
長が、答申案の起草に当たっての基本的な考え方を示されたので、その考え方に沿って作
業を進めた。すなわち、たたき台に前文、はじめに、おわりにを付け加えて答申としての
体裁を整えた。前回の部会でのたたき台の審議において出された御意見を踏まえて、たた
き台に適宜修正を加え、文章化した。それが本日お手元に配られている答申案であるが、
ただし、この案文の中で1ヵ所書き足りないというか、未完成というべき部分があるの
で、このことについて申し上げる。
それは、電気事業法の発電所に係るアセスメント、いわゆる発電所アセスに関連する問題
である。
まず、発電所アセスの取扱いについては、前回の部会においても議論が行われたが、その
段階では、答申で発電所についての特別の言及はしない、特性を認める場合でも基本的な
プリンシプルを外すようなことがあってはいけない、ということでまとまっていた。とこ
ろが、その直後から突如として、発電所アセスの手続を国の統一的な制度として考えられ
ているアセス法とは別に、電気事業法の中で処理しようとする意向のあることが新聞等で
報じられた。
そこで、1月17日の小委員会においては、そのような動きは部会の議論で想定されてい
た方向とは異なるものであり、国民から信頼されるアセス制度の確立に支障を生じさせる
ことが懸念されるということが多数の委員から指摘された。そして、この答申案の4ペー
ジの上から5行目、「なお」で始まる文章以下、特に、「なお」から数えて5行目、6行
目あたりのところが関連するが、つまり、「透明性が保たれ、わかりやすい制度」という
言葉があるが、これだけでは足りないのではないか、この辺のところに「統一的制度」と
か「統一性のある制度」ということをはっきり書くべきだという意見が大変強く主張さ
れ、議論が沸騰した。それが大勢であったということである。
なお、その理由、背景等については、一たん切って、この後で整理して補足したいと思
う。
一方では、しかし、「統一的に」というような表現を書くことについては、12月25日
の部会長のまとめの経緯にかんがみれば、そこまで明確にされていないのではないか、部
会に報告してもう一度議論してもらうべきではないか、という趣旨の意見も述べられた。
したがって、小委員会としては、発電所を一般的アセス法から除外するという考え方が伝
わっている以上、答申においてはそれではいけないという意味が分かるように統一的であ
るべきことを明記する必要があるとの意見が大勢であったことにかんがみて、このことに
ついて改めて部会において検討をお願いすることにした次第である。
以上が小委員会の審議の経過である。
次に、今申した理由、背景について補足的に申し上げる。
「統一的に」という意見が強く主張された理由、趣旨については、これまでの議論の中か
ら私なりに整理すると、次のようなことが言えるのではないかと思う。
まず第1に、これまでの議論の流れやこの答申の各項目の内容の書き方からいって、発電
所も含めて統一的な枠組みの下で法制化することを念頭に置いて審議が進んできたものと
理解するのが自然であるのではないか。アセスメントという制度は、事業を許認可してい
る現行の事業法とは観点を異にするものであって、事業の種類が何であれ、環境保全とい
う統一的観点から、その事業が自然環境を壊さないか、大気汚染や水質汚濁はどうか、騒
音や振動はどうか、等々の環境に与える影響についてあらかじめ調査・予測・評価して環
境保全を図ろうとするための手続であるということから、それは当然のことといってよい
のである。
さらに、今回のこの審議会の審議が、これまで便宜的にいろいろな形の行政指導で行われ
てきたアセスメントを振り返り、内外情勢の変化、指摘されてきた問題等を検討して、公
正妥当な新たなアセス制度の確立を追求してきたことからいって、それは特に重要なこと
である。
次に、新たなアセス制度において大事なことは、一般の住民、国民にとって信頼し得る制
度であるということである。そのポイントをわかりやすくいえば2つあると思う。
一つは、その内容である。内容が十分によいことであることは言うまでもないが、特に法
律の制度であること、その中で、住民の関与が明確、適切に確保されていること、アセス
の結果に対して、中立的第三者による審査が適切に確保されること等であるが、これらの
点は、本答申の中にきちんと盛り込まれているように思う。
もう一つ大事なことは、制度の形態として透明性があり、わかりやすいということであ
る。そのためには、対象となるすべての事業を通じて、個々の事業法とは別に、一本のま
とまりのある法律であることが不可欠である。この点で、例えば、ある特定の事業だけが
一般のアセス手続とは別に規定されるというような状態は、一般国民から見ると、なぜわ
ざわざそうする必要があるのか不可解である。これは、もし同じ内容であれば、ますます
不可解であるだろうし、もし内容に違いがあるというならば、より厳しいにせよ、より甘
いにせよ、一般アセス手続法の中で解決すべきことであり、これは十分可能である。一つ
の事業だけを別の法律にするということは、アセス制度の混乱のもととなり、ひいては、
アセス制度に対する一般国民の不信感を招くことが憂慮される。
翻って、今回の審議を通じて、手続における効率性の必要性、電力の安定供給の重要性等
については、皆が認識していると思う。さればこそ、答申案では、事業の特性を勘案して
柔軟に対応できる仕組みを取り入れている。
したがって、個別事業種の特性に対応する必要がある場合でも、この答申に即して構築さ
れることになる一般的アセス法の中で十分対応可能なはずである。そのようにきめ細かい
配慮を尽くした一般的アセス法の下でアセス手続を実施することについて、発電所だけが
特に支障があるという合理的な理由は見出せない。
なお、電気事業法の中にアセスメントの手続を一緒に取り込み、一体的にやる方が効率的
でうまくいくというような発想は、本来、事業実施とは対立関係にある環境保全上の要請
に基づいて、事業を行う者の手により科学的・客観的に行われるべきアセスメントの性格
とは相入れないものと言ってよい。さらに、これはかつての昭和42年制定の初期の公害
対策基本法における経済調和条項、これは昭和45年の改正で削除されたものであるが、
そのような疑念、不信感を惹起するものであり、さらに、その後の環境と経済をめぐる思
想の発展の経緯からみても適当ではないということを特に強く指摘する意見もあったとこ
ろである。

(2)意見交換

○ 答申案そのものに賛成する場合には何も議論する必要はないのだから、答申案そのも
のについて何か疑問があるとか、こういう点で違う意見を持っているというときにのみ発
言する、それでよろしいか。
(部会長) そういうことでお願いしたい。
何回もやったことをもう一度最初からというわけにもいかないので、この案について、こ
の点はこういうふうにしたらどうかというようなことがあれば御発言いただく。そこで発
言がなければ、了承いただいたということで次に進むということにさせていただく。

前文

○ 下から2行目の「意味でも」の「でも」というのは、何を含めたものなのか伺ってお
きたい。
(事務局) ここでは2点を言っており、政府において環境影響評価に係る法制度の確立
の重要性を認識して法制度化を図られたいということがまず一つの文脈としてあるから、
もう一点として、国民各界各層から寄せられた期待に応える意味でも、というような形で
受けさせていただいているというふうに御理解いただければと思う。
○ よくわからないけれども結構である。
(部会長) 少なくとも文法的には、「重要性を認識し、」とあり、「また、……意味で
も」とある。同じ内容の文章の並列ではなく、最初は、認識して、速やかに法制度化を図
られたい。そのことは、国民各界各層から審議会に寄せられた期待に応えるという効果も
持っている、そういうことだろうと思う。
○ 「も」を抜いたらどうか。
(部会長) 先ほども言ったように、文章の中身が少し違うと思う。端的に申して、これ
が答申案の命運を左右するとも思えないし、ここであまり時間をとりたくないので、ここ
は、今の御指摘を踏まえて、国語学的に訂正することがあれば、私の方で訂正させていた
だくということにさせてもらう。

[1].はじめに

○ 2の「制度の見直しの基本的考え方」の第2パラグラフのところに「本答申では、」
とあり、そこに{1}、{2}、{3}、……と書いてある。{3}のところに、「事業者が事業計画
のできる限り早い段階から」と書いてあるが、「できる限り早い段階から」というのは、
私からみると、事業者によってかなり恣意性が入ってくるであろう。どういう恣意性かわ
からないが、少なくともそういう余裕がある。そこでこの文章は次のように書き換えたら
どうか。「事業者が事業計画作成後直ちに情報を出して」とすると、「できる限り早い段
階」とはかなり違った意味を持ってきて、言ってみれば、事業者自身が本当に事業計画を
作成したら直ちに外へ出すということで、外部の意見を聴取するための時間も十分できて
くるので、そういう形でやったらどうだろうかというのが私の意見である。
○ 今の点については、説は、ある意味ではよく理解できるが、逆になる可能性もある。
小委員会ではそれを議論して、計画を作ってしまってからではなくて、作っている最中で
もということもあるのではないか。だから、「事業計画のできる限り」というのは、「計
画」という言葉が、日本語としてはおかしいが、動詞のような形で使われることを意図し
ており、計画を策定する段階でもということである。つまり最終計画ができてしまってか
らという今のアセス、あれはよくないのでという意味。
○ それは日本語としておかしいので、事業計画というのはプログラムだから、これは動
詞ではない。
○ わかっているが、そこをあえてそういう表現にしてある。
○ 私の言うのは、こういうあいまいさをなくした方がいい。だから、今おっしゃるよう
な意味だったら、「事業計画のできる限り早い段階から」ではなくて、「事業計画の段階
から」でよい。私は「事業計画」を名詞と考えたから、こういう事業計画を作成する段階
からということでやった方がいいのではないか。計画が最後にできて、最終云々というこ
とではもちろんない。
○ お互い考えていることは大体一緒のようだから。あと、事務局の方で……。
(事務局) この部分については、今のニュアンスで私ども書かせていただいているとこ
ろであって、「事業計画の作成後」といった場合に、事業計画が法律等で明記されてい
て、どの段階で、どの内容で事業が計画されるということが明確な場合には比較的わかり
やすいが、計画を作るといっても、内部手続になった場合には、いつの時点か非常にとら
えにくいということがある。一つの事業をやっていく場合には、熟度ごとにいろいろな構
想を練りながら進んでいくということもあるから、そういう事業を計画するできるだけ早
い段階でこういう情報が出されてという趣旨でこの文章は書かせていただけたらと思って
いる。
(部会長) 今のお答えでいかがか。
○ もしそうであるなら、「計画が始まった段階で」と書けないか。
(事務局) 計画が始まったとか何とかというのもとらえにくいから、できるだけ早い段
階でと書かせていただいて、これが具体的な制度として受け止めているのは、[2]の方で具
体的に制度としてスコーピングというのが、これを受けた形で手続として出てくるわけで
ある。これはいつでもいいということではなくて、アセスメントに係る調査等を開始する
際に情報を提示してという形で受けさせていただいているので、一つの制度的な受皿はで
きているのではないかと思う。
○ 私の考えたのは、ここに「基本原則」と書いているから、これは曲げてはいけないか
ら、基本原則だけははっきりした方がいい。この文章は必ずしもはっきりしてない、そう
いうことである。
(部会長) 具体的には、[2]の2のところに記述されているが、先ほどの御趣旨で、一番
最初に御提案になった「事業計画成立後直ちに」の「成立」というのは、その点ではか
えって遅くなることもあり得るので、それを避けるということから。
○ 「事業計画開始段階から」ではどうか。計画というのはどこかで開始しなければいけ
ない。
(部会長) これも先ほどあったように、「開始」というのはいつかというようなことも
ある。
○ 事業種によって違うから、なかなか難しい。
(部会長) 立法する場合のテクニカルな問題があるので、ある意味では、そういう具体
的な技術的なコンセプトに合うようにするためには、確かに基本原則ではあるので、明確
であることはいいのだが、「できる限り」という、しばしば一般条項というもことしてと
らえがたいものもあるので、ここでは、先ほど事務局が述べたことという趣旨で維持する
ということではなくて、私も、そうなるとどうなるのかなという気がするが。
○ 「事業計画のできる限り早い段階」ということになると、素人考えでも、事業計画と
いうのは、最初のアイディアから始まって、それを実際に何らかのプラン、計画にし、そ
れからプログラムを作っていく、そういういろいろな段階があるが、そういう意味で考え
ると、「事業計画のできる限り早い段階から」という書き方だと、一体どこの段階かわか
らない。非常にはっきりしてないから、私は、よりはっきりすれば何でもいいと思うの
で、要は、日本語としてよりはっきりした形で書けないものか、そういうことである。
(部会長) 我々は立法する立場ではないが、これは立法する場合のテクニカルの問題も
あるので、その点から事務局、法案を考える場合にどうか。
(事務局) 立法時にこの辺をどういうふうに位置づけるのかというのは、また法制的な
詰めをさせていただきたいと思うが、ここの点をはっきりというのは、確かに御指摘のよ
うな点があろうかと思うが、{3}で書いてあることを受けたのが、[2]の早期段階での環境
配慮のところと、スコーピングについて触れたところになる。[2]の2のところでも、問題
意識としては、「事業の熟度を高めていく過程は各事業種ごとに異なり」という記述をし
ており、一律にすることがいかがかという問題意識で受けている部分もあって、今おっ
しゃられた段階が、仮に計画段階がいくつかに理念的に分かれるとしても、そのうちのど
の段階で必ずやれというような原則をここでお示しするのはなかなか難しいのではない
か。考え方として、事業を計画して、熟度を高めていく過程はいろいろな過程をたどる
が、その中でできるだけ早い段階にという方向性をここの基本原則としてお示しさせてい
ただくということで御理解いただければと思っている。
○ あまりこだわりたくないから簡単にするが、では、「できる限り」を取ってしまっ
て、「事業者が事業計画の早い段階から」ということでどうか。
(部会長) 私もそれを考えなかったわけではないが、その後がまた「早い段階から」と
あるので。
○ ここでこの文章を一々議論していたらとても今日中には終わらないと思う。意見は意
見として発表された後は、文章の整理は部会長一任ということで進めていただきたいと思
うが、いかがか。
(部会長) そうしていただければ、一任されてもまた後で、あれではあいまいだという
ことになるかもしれないが、2月10日にもう一度あるので。しかし、その段階で大幅な
修正も困るが…。
○ お考えになっていることはそう違わないと思うので。
(部会長) 私もそう思っている。
○ 私はこの書き方で全く自然だと思う。「事業計画」を取ってもおかしいし、「計画の
できる限り早い段階」ということは別に文法的におかしくないと思う。
(部会長) それも御意見として承り、白紙委任とはいわないが、すべて御一任いただけ
ればと思う。
○ 2の{7}に書いてあることは、後の説明もよく読んだが、あくまでも国のこういう制度
に一本化するので、地方公共団体の意見を十分に反映するようにするのが重要だという意
見か。
(部会長) はい。
○ それはそれでもよろしいが、私自身ちょっと足りないと思うのは、果たしてここに入
れていいのかどうかわからないが、国が制度的に一本化したときに、例えば地方公共団体
によっては、その地方自治体の住民の意思から、国がやるアセスの制度以上のものをやる
ということはあり得ると思う。地方分権の時代に至って、そういうものが許されていいと
私は思うが、そういう意味だから、そういうものはここには一切書く必要はないのか。そ
の点をお聞きしたい。
(部会長) この点については、今までも議論して、具体的には、法律で一本化するけれ
ども、例えば審査をするとか、そのようなことをする場合に、それを国の手続の中で十分
反映するようにしろというのは、13ページの方に出てくる。
○ ここの部分は、今部会長御指摘のこともあるし、もう一つは、スコーピングという新
たな手法を考えているから、そこで地方と十分に話し合って対象を決めるという手続を取
り入れると、それ以上にはそれを上回るという話は原理的には出てこないという理解をし
ている。だから、全く別の事業種、国の事業種に入らないものとか、国はそんな小規模の
ものはおよそ国の制度の中には入れないというようなものについて自治体がおやりになる
ことは何の制限もしてないが、スコーピングまでやっておいて、スコーピングで話合いを
した上に、さらに、地方自治体がまた別のというのは、ちょっと論理が合わないだろうと
いうことで、ここではこういう書き方になっている。だから、スコーピングを入れるとい
うこととのバーター取引きみたいなところがあるので、今までのように枠を決めてしまえ
ば、もちろん御指摘のようなことが配慮として必要になる。
○ 今までの意見と違わないかもしれないが、いずれにせよ、ここでは、この答申は、国
の制度の骨格をどのようなものとして、それに基づいて法律をつくってくれという立場で
書かれていると思うので、国の制度の中で一定の部分は積極的に条例で評価項目も手続も
上乗せを認めるとか横だしを認める、そういうことを積極的にするわけではないが、それ
を書かないということは、あとは法律と条例の一般論に任せるということだと思う。だか
ら、私個人としては、例えば都道府県の意見を形成する段階で、都道府県の担当機関と住
民との間でどんな手続をとるかとか、そういったことはむしろ国の制度は何も触れない
で、地方に任せている。その辺にあるいは条例による工夫の余地もあるかもしれないが、
そこは地方にお任せである、基本的にはそういうことではないかと思っている。もちろん
スコーピングなどについて、今の意見はそのとおりだろうと思う。

3.対象事業

○ 気がつかなかったから、うっかりしていたが、(3)の「国外での事業の扱い」のと
ころ。現在、ODAに係る事業に関してということで、ここに書いてあるJICA、
OECFということになっているが、(3)の上の方が民間企業の直接投資とかに関連す
ることだと思うが、後ろの方で、最近非常に重要になってきているのは、ODA以外の
ODFという概念があるが、日本でいうと、例えば輸銀の活動、輸銀の融資とか、そうい
うことだが、そういうようなODA以外のものに関わる事業についても、ここに書いてあ
るような形でもって「引き続きこうした取り組みを推進するべきである」、そういうこと
を入れておいた方が、現に日本がやっているから、ODAだけに限定せずに、「ODAを
含めた政府開発協力に関わる」というふうな言葉の方がいいのではないか。日本が現に
やっていることだから、何も遠慮する必要はない。
(部会長) それを排除する趣旨ではなかったが、民間のと政府のということでやったと
思う。それでは、その点について、文言を入れるとすれば、どういうのがいいかというの
は後で事務局の方にお示しいただけないか。ただいまの点はそうさせていただきたいと思
う。

5.調査・予測・評価の実施

○ 前回意見を申し上げたことで訂正等をしていない部分というか、私の意見が取り入れ
られていない部分があるので、もう一回申し上げる。
(3)準備書・評価書の記載内容の5行目だが、私は自然科学をやっているから、ここは
いつもこだわっている。「このほか、」の次に、「科学的知見の限界に伴う不確実性」と
ある。前回申し上げて議事録にも残っているが、「限界」の次に「及び予測の手法に起因
する不確実性」ということを入れてほしいと申し上げたが、それが入っていない。何も命
運を決するほどの違いでもないが、文脈の整合性からいうと、12ページの「評価後の調
査等」には「予測の不確実」という言葉が出てくる。また、14ページの上から3行目に
「技術手法や知見の進展を取り入れる」という表現があり、やはり知見と技術ということ
を分けている。そういう点からいうと、ここは、できたら、「科学的知見の限界及び予測
の手法に起因する」としてほしい。これは科学というのを広くお考えになる方と技術と別
だという方とあるが、そういう点、自然科学をやっている人間からいうと、ちょっと違う
ということであえて申し上げた。
次に、「このほか、」の次の文節、「さらに、」の2行目から「この場合、調査・予測・
評価の基礎となった観測データ等」は記載はできないが、一番終わりのところに「準備書
等に観測データ等の出展を記載する等、こうした情報が必要に応じ利用できるように配慮
することが適当である。」と。これは前のたたき台には入ってなかったところで、私が
「その他」というところで、いろいろな予測に使われた基礎データは公開すべきだという
ことを申し上げたので、多分この部分を取り入れていただいたのだろうと思う。これは後
で全体として関連質問でお伺いしようと思っているが、ほかの場所で同じように情報公開
について配慮された部分があるのかどうか、これは後でまとめて伺う。というのは、いろ
いろなヒアリング等でも非常に多くの方々が情報公開を求められており、そういう点につ
いて配慮があったかどうか。ここで申し上げる点は、「予測の手法」等というのを入れて
いただくのと、ここに少なくとも情報公開の一部として、観測データについて配慮くださ
るのはありがたい。
○ 今の意見に全く賛成であり、「予測の手法に伴う」というのはやはり入れなければい
けないと私も思う。
関連するが、一番下に「平易な概要を記載することが必要である」という文章があるが、
「平易な概要」というのは大変難しいなと思っているわけで、準備書等は概要部分が独り
歩きする場合が非常に多いが、その場合に、平易に書いてあることでかえって間違ってい
ることがなきにしもあらずというふうに私もときどき感じる。付けるか付けないかは事務
局の方にお任せするが、平易で正確ということが必要なのではないかと私は考えている。
(部会長) 趣旨はわかった。不正確な概要を考えているわけでは当然ない。
○ 私は、別に「予測の手法」などということはリダンダントだと思う。というのは、予
測というのは、科学的知見と集めたデータに基づいて予測する。では、何で予測が間違う
かといったら、科学的知見が不十分だからである。もしラプラスの悪魔のようなものがい
れば、何もかも当たるという議論もあるだろうが、ラプラスの悪魔ではないから予測に誤
差が出るということ。科学的知見が不十分だから予測に誤差が出る。だから、予測の手法
というのは、科学的知見とデータを持っている、そのときに最適な予測をするというのは
当然である。最適な予測をやっても、科学的知見が不十分だから予測は間違うわけであ
る。だから、これで結構ではないかと私は思う。
(部会長) 私も自然科学ではないから、そういうふうにインクラインするので、一任さ
れると、そっちの方にいきそうな懸念がないわけではないが、今のお二方の御指摘は十分
理解できたので、この点について、後の方の表現の問題とも併せて、慎重に検討させてい
ただいて、次回までに文章を修文するかどうかということでさせていただく。
○ 予測の方法に一定の方法がある。その方法によっては、場合によっては科学的知見の
全部を使わずに推定するということもあるので、方法によって随分動きがある。正確な予
測方法を使わないといけない。予測というのは、いろいろな形でやられるので、そういう
意味で、自然科学の場合は、予測にどういう方法を使ったかということ自体が大変問題に
なる場合が多いので、それまでのデータは、自然科学の場合はデータは無限に生きるのだ
が、それを使った予測というのはいろいろな形で時代とともに変わっていく場合もある。
だから、その辺の正確さをこの辺はうたっていると私は理解している。
(部会長) ここで多分言いたかったのは、不確実性が存在するということをちゃんと書
いておけということであって、それが存在する知見なのか、手法についてなのか、そこを
強調するという趣旨ではなかったと思うが、指摘があるので、その点を尊重して、最大限
敬意を払ってもう一度考えさせていただくということにさせていただく。
○ ただ今の予測のところ、不確実性のある予測というのもあり得るわけだが、予測した
内容が技術的にどうであるかというのは、むしろ審査の段階でいつも問題になってくるこ
とがかなり多い。こういう手法しか使わなかったのか、あるいはこういう手法もあるのに
なぜという場合が結構多い。だから、審査段階でもそういうところにポイントを置いてや
ることも重要だが、前の準備書なり評価書を提出する段階と審査段階と併せて必要だとい
うことだろうと思う。

6.住民等の関与

○ (2)関与の範囲で、イのところの一番下の方に「有益な環境情報を収集するため、
意見提出者の地域的範囲は限定しないことが適当」とある。「有益な環境情報」だから、
誠にそのとおりだと思うが、今とっさに心配したのは、自己の利益になるためにこういう
調査をやってくれとか、あるいは自分の土地の値段を上げるためにこういう評価が要ると
か、そういうことを言う人がいずれ出てくる。性善説に立てばそういうことはないと思う
が、必ず悪い人がいるから、私に言わせれば、全体としてはいいことをやるわけだから、
いいことをやるのを乱す者は徹底的に懲罰すべきだと思うが、私は法学者ではないのでよ
くわからないが、「有益」という言葉でそれらを十分排除できるかどうかということが
ちょっと心配になったので、発言させていただいた。お答えは結構。

8.許認可等への反映

○ 一番下の行に「趣旨の規定を法律に設けることが必要である」と書いてあり、法律に
云々しろということがここだけ出てくるが、この法律というのは、この答申が出て、それ
に基づいてつくろうとしている法律のことをいうのか、それとも、個々の認可とか何とか
いう法律にそれぞれ書き込めというのか、どちらなのか。
(事務局) ここの表現で法形式をどこの法律ということは直接的には言っていないと考
える。ただ、やり方としては、ときどき出ているかつての環境影響評価法案の中には横断
条項という形で環境影響評価の結果を許認可法につなぐような規定を設けていた経緯があ
る。ただし、こういう条項を設けた場合でも、個別許認可法の規定の仕方はいろいろな対
応があるので、個別許認可法で、もともとの横断的につなぐ法規と異なるというか、別の
定め方をすることによって、それを活かすというようなことも場合によってはあり得ると
思う。
というのは、先ほど言ったかつての法案の中でも、公有水面埋立法などは、今の横断条項
でつなぐのではなくて、公有水面埋立法そのものの許認可条件の中に環境配慮という規定
が入っていたので、技術的な話になるが、そういうことも論理的にはあり得るということ
だろうと思う。
(部会長) ここで言っているのは、いずれにしても、許認可に結び付けるという趣旨の
ことを法律できちんと書けということであって、そういう個別法がない場合には、一般法
としてちゃんと設けておけということだが、それを直接に言っているのではなくて、許認
可とアセスメントとを関連させるということを法律で書けということがここでの趣旨であ
る。

その他

○ 情報公開のことについて、前回の審議では、部会長がこれは各項目いろいろなところ
で分散して配慮するものだとおっしゃった。データについては、先ほど申し上げたとお
り、観測とか、記載の中に入っているが、ヒアリング等で希望の強い情報公開について
は、どの点で配慮されているのか。私は自分の部分は気づいたが、ほかのところでも何か
あれば、おっしゃっていただきたいと思う。
(部会長) 何ページのどこにというのは、事務局に御指摘いただいた方がいいと思う
が、最初の計画の段階でも情報を出して、それについて意見を求める。準備書ももちろん
だが、その前に、スコーピング、スクリーニングでもそうであるので、「情報公開」とい
う一般的な制度は現在検討されているところだと思うが、そういう言葉は特に使ってない
が、むしろ積極的に環境に関わる情報を出していくということは、先ほど申し上げたよう
なところに書いてある。
(事務局) 森嶌部会長の言われたのは、個別にどの表現でということではなくて、アセ
ス手続そのものが、一定の情報を出して、それに対して幅広い意見を聴くという手続で構
成されるので、各段階で、お話があったように、スクリーニングのときにも自治体の意見
を聴く、あるいはスコーピングでも一定の情報を出して、幅広く意見を聴くという構成に
なっているので、全体としてそういう考え方が示されているのではないか、こういう趣旨
だと思う。
特に、御指摘の関連で言うと、問題意識に一番近い部分というのは、記載事項のところに
書かれている分、あるいは我々として全体としての情報基盤をどう整備するかという観点
から、項目でいうと、11番目でいろいろな情報の収集・整理・提供ということの問題意
識は十分盛り込んでいるつもりである。
○ 結構である。

小委員会からの検討事項

○ 先ほど清水委員長から起草小委員会の議論の要旨の報告があったので繰り返さない
が、私は、もし発電所のアセスについて別体系に、具体的にいえば、電気事業法の改正に
よるという動きがあることを意識して、答申案文の内容を修正しようとするならば、答申
はある程度オープンになっているから、案の段階で当然通産省も見ていると思うが、答申
と電気事業法の改正について、責任のある行政庁としてどういうふうにお考えになってい
るかということをまず聞いてみたいという気持ちがある。ただ、一般にこの種の答申は、
政府とは別に、我々が答申するわけだから、そういう動きは無視しても一向に差し支えな
いわけで、その必要がないと言われればそれまでだが。
私が今申し上げた理由は、この答申案文をどういうふうに読んでみても、発電所が例外に
なるとは読めない。強いていえば、6ページの(1)のウだが、対象事業の範囲について
明確に書いてない。「具体的にどの事業種を対象とするか」については、現在閣議決定要
綱でやっているものははっきりしているが、それに加えて、「対象を拡大することが適当
である」といっているだけで、発電所を含めよとはっきりいっていないので、法律乃至政
令で指定することにあると思うが、その段階で反対があったりすると困るから、こういう
御意見もあろうかと思うが、少なくとも電気事業法を改正しようとした場合に、この答申
の趣旨と反するような改正は、実現するはずがない。そうすると、仮に「統一アセス法」
と呼べば、統一アセス法による以外にはあり得ないわけであって、行政庁相互に問題が何
となくあいまいに処理されてしまうというおそれはまずないと考えてよろしいのではない
か。大変ホットイシューになったので、明らかにそこは問題である、国民皆が心配されて
いるというなら、通産省は何を考えているのか、説明する機会をもって、その考え方を聞
いた上で議論がなされるべきではないかという感じがする。
もう一つ申し上げておくと、答申を法案に具体化するのだろうが、「統一的な法制」とか
何とか「統一的」という形容詞が入るかどうかは皆さんの議論の結果で、私もそれに従う
ことにはやぶさかでないが、いずれにしても、4ページの上から5行目以下、「なお、実
効ある環境影響評価が行われるためには、効率性にも配慮しつつ事業の特性や地域の実態
に即した対応が可能な柔軟な仕組み」という表現がある。ということは、仮に統一法によ
ると、もちろん原則は統一法制だが、先ほど事務局から説明があったように、現在の公有
水面埋立法のような規定があることは認めないわけでもないだろうと思う。例えば、電気
事業法第41条を改正して許認可基準をはっきりするというのは好ましいことであって
も、決して反対されるべきことではないのではないか。まさに4ページのこの表現とこの
答申案文全文を見れば、あとは行政事務当局同士で十分に話し合えば、皆さんが御心配に
なっているようなことは決して起こりえないのではないかと思う。今日が部会としては最
終だから、意見を聞けというのは無理かと思うが、もしその動きを非常に意識してやるな
らば、一体何を考えておられるのか聞いた上で判断すべきではないかと思う。
○ 昨年8月に関係省庁の方に来ていただいてヒアリングをやったときに、私は通産省の
方に、通産省は環境アセスメントの法制化についてはどういうお考えかと聞いたところ、
代表の方は、今の行政指導で十分だ、アセスメントの法律は要らないとはっきりおっ
しゃった。その通産省が今度は統一法よりも厳しいアセスメントを電気事業法の改正、そ
ういう別の法律でやるということが新聞に出ているが、ほんの数カ月の間に180度態度
を変えるということはどうしてだろうかといろいろ理解に苦しむ点がある。電源立地には
法律は要らないと言っていたのが、こういうアセスメントの法制化もかなり実現に向かっ
て必至になってきたという事態を前にして、今度は電源立地にはアセスの法律よりももっ
と厳しい法律が必要だなどと言っておられることも新聞に出ているが、どう見ても、通産
省の権限強化が目的で、アセスの中身は手段にすぎないのではないか、悪く考えるとそう
いうふうに推測できる。
前のアセスメント法案の審議のときもそうだが、私には巧妙なアセス法つぶしではないか
とも思える。だから、本当に国民に信頼してもらい、電源立地を円滑にするのなら、公明
正大に統一アセスの法律の中で同じルールでいろいろな事業と同様にやるべきではない
か。その中で立派なアセスをすればいいのであって、それによって国民の信頼もかえって
得ることができると思う。だから、統一的制度でやるべきだということをこの答申にも
はっきり書いてほしいと私は思っている。
○ 私は、いわゆる廃棄物問題というか、ごみ問題に研究者としてこれまで関わってきた
が、御案内のように、ごみ問題といえば、住民と行政あるいは住民と事業者の対立を呼び
がちで、私自身もこれまで何度かそういった対立の渦中に引き込まれたことがある。こう
いった運動を見てみると、ごみ問題そのものをどう改善するかということもさることなが
ら、住民運動など提起する内容を見てみると、決定の手続の問題とか行政の民主化といっ
た問題意識を強く持ちがちである。このようなことに関して、それでは行政の手続とか決
定の仕組みを避けるといったようなことで果たして問題が解決するかというと、それは全
く反対であり、避けたところが問題が解決するわけでも何でもない。要するに重要なこと
は、関係者の間の対立とか不信を取り除くための努力をすることが最も大事なことであ
る。そういう観点からすると、電気関係の法律の問題も同じ法律の中に組み入れられるべ
きだと思うし、また、問題が起こりがちであればこそかえって情報公開とか住民参加と
いった条件を厳しくした方が、むしろ不信を除く、あるいは相互の理解を強めるというこ
とに貢献するケースの方が多いのではないかと思っている。
いずれにしても、この種の合意形成というのは、苦労しないで、しんどい思いをしないで
なされるというものでは決してない。でも、関係者の方々が、これは行政の職員の方も含
めてだが、同じしんどい思いをするのなら、苦労するのなら、やりがいのある苦労をした
方がよろしいのであり、そういうことのためには、当初の出発点のときの不信を取り除
く、コミュニケーションをできるだけ良いような状態に保つ、これに最大限の努力を払う
ことが最も大切なことだと思っている。
○ 現在、電気事業法の改正の内容が私どもには分かっていない段階なので、今般の発電
所の分離論に対して、ある意味の推測を加えた意見になるのをお許しいただきたいと思
う。もし私の推測が間違っていたらいろいろ御指摘いただきたいが、これだけ各委員から
一緒の法律でというのが今まで散々出てきたにもかかわらず、まだ電気事業法の改正で通
産省が別に行うということを取り下げていらっしゃらないということを伺っているので、
その辺について、私は分離論を反対する立場で、少し細かいことになるが、意見を言わせ
ていただきたいと思っている。
新聞などで報じられているものを見ると、通産省の方々は、電気事業法の改正で今まで以
上に厳しいアセスを行うとおっしゃっているが、たとえそれが行われたとしても、多分そ
れは相変わらず通産省の主導型で行われるのではないか。そうである以上、通産省での基
準は今までと同じように温存されるのではないかという危惧を持つ。そうなると、自然の
状態を把握する仕組みそのものは変わるとは思えない。例えば事業を行うことを前提とし
た従来型の調査であったり、又は環境の改変を危惧するNGOの意見が事業に反映される
ことなどが期待できないのではないかと私どもは考えてしまう。確かにヒアリングなどで
伺ったところ、通産省はこれまでのアセスの対象の事業で環境上支障を生じた例はないと
おっしゃっていたが、もし本気でそう思っていらっしゃるのであれば、事実認識は甘いと
言わざるを得ない。
私どもの方にいろいろなトラブルの事例がたくさん報告されている。発電所に関してほん
のわずか例を言うと、金居原の揚水発電所の場合は、調査を途中で打ち切ってゴーサイン
が出てしまったとか、奥只見の発電所では、アセスの調査と同時進行で開発工事が進んで
いるとか、苗場の高圧送電線の工事などでは、4年間も基礎調査をされたにもかかわら
ず、貴重種がいるのにそれを発見できなかったとか、要するにそういういろいろな調査も
時間をかけていらっしゃっても、それは、形式的なものなので、その結果としていろいろ
なトラブルが起こっているのではないかと思われる。
そのようなトラブルがあるということは、今日までの通産省のアセスも不完全であったと
いうことを意味している。不完全であることは、人がやることで仕方がないことかもしれ
ない。例えば事業所がやった調査の結果のデータが偏るということはあるだろう。自然は
非常に複雑であるし、いろいろな条件が複雑に入ってくる。偏った場合にそれを指摘す
る、又は偏りを正す仕組みが今まではない。今後も多分電気事業法の改正で厳しいアセス
とおっしゃられても、その辺が今までと同じではないのだろうか。もしもそれが違うので
あれば、こうまで別の法律で、とおっしゃるはずはないと私など素人はそういうふうに考
えてしまう。
そういうわけだから、今回のアセスメント制度の非常に大事な部分でもあるが、とにかく
事業者と第三者機関との協力体制なりお互いの拮抗作用のようなものがなければ科学的に
も結果として正しいものが得られないのではないか。先ほど何人かの委員がおっしゃった
ように、そういうことをすることによって、市民との合意形成のプロセスが確保されるこ
とが大事なのではないかと考える。
もしそういうことをしないで、相変わらず開発が進むのであれば、自然はどんどん壊れて
しまうだろう。日本の植物を例にとると、1989年のデータだが、5300種の植物の
うち830種が絶滅のおそれがあるという結果が出ている。絶滅のおそれがあるのは何と
6種か7種に1種の割合である。今日はもっと多くなっているかもしれない。そういうこ
とを考えて、今日私たちは、自然の生物の絶滅のスピードをできるだけ遅らせるための仕
組みづくりをしているわけである。
その仕組みの中で、発電所のアセスが特別扱いというのはどうしても私には理解できな
い。もしこの審議会で特別扱いを認めるとすれば、私どもは発電所の開発が他の開発事業
より環境配慮を甘くしてもよいということを容認したことになりはしないか。それと同時
に、アセスメント本来の役割と多くの皆様方からの期待を裏切ることにもなると思うわけ
で、私はこの席で、統一法の枠内でアセスを行うということをぜひお願いしたいと思って
意見を言わせていただいた。
○ 通産省のことを弁護するつもりでは全くないが、一委員として、何が一番合理的かと
いうことを考えているので、その点は私の立場を御理解を賜りたいと思う。
先ほど夏のヒアリングから非常に変わったと、確かに通産省も経団連も電事連もあの頃は
アセスの法律は要らないという意見だったが、これは12月25日のときに私も申した
が、全体を判断してみると、法制化が必要だと私も考えるし、事実、そのことを関係者に
も説得したいということを申し上げた。私も今、アセスの法制化についてはそういう考え
方で、確かに半年の間に変わったから、何か別のことを考えているのではないかという疑
念もあるかもしれないが、経団連も電事連も通産省も事態を認識したのだということを御
認識賜りたいと思う。
しからば、電気事業法の改正でいくか、統一アセスでいくかという問題であるが、私は、
これは今度の制度のつくり方の問題だと思っている。したがって、今の発電所のアセスに
ついて、ここで答申されているアセスの仕組みを、その方式をどこか骨抜きにするという
ことは決してあってはならないし、そんなことは多分どこも考えていないと思う。
むしろ今発電所のアセスの問題は大変深刻で、今もお話があったように、いろいろなとこ
ろに問題があり、住民との合意形成ができるかという点は、電力会社もあるいは通産省の
方も立地地点で説明会をするとか大変な努力をしながらやっているわけで、もちろん十分
ではないかもしれないが、今後さらにそうした努力をしていくわけで、アセスで答申のあ
るシステムは取り込んだ上で今のような改善をしていく。しかも内容も実は発電所の方は
むしろ大変厳しいアセスをして、手続的にもより厳格なものにして、また、そうでないと
地元の理解が得られないということでやっているから、むしろ内容的には手続的には厳し
くしようということである。
例えば、アセスの早期段階におけるその辺のチェックにしても、審査は国のベースでき
ちっとやって問題があれば勧告もするということで、今回のアセスの法律よりより厳しい
ものを手続的にも課している。また、地方自治体の意見の取扱いについても、国に対して
はむしろ審査意見に反映させるということになっており、この答申の中で、最終審査の段
階で反映させるよりは、より明確な形でこの手続に取り込んでいる。
したがって、手続的にはより厳格なものになっているというのが私の第1に申し上げたい
ことで、それというのも、エネルギーの供給責任を果たすということのために、環境のア
セスが非常に重要である。したがって、この2つの目的を実施するために、今のような別
の法体系にして、しかしより厳しい手続を課すことが必要だと思う。
2番目に申し上げたい点は、電気事業法では供給計画とか工事計画とか使用前検査とか運
転中の定期検査など各段階に規制があり、今までは保安の確保のために大変厳しい規制を
してきたが、こういういくつかの手続の段階の中で、アセスの成果を反映させるというこ
とになるわけで、この点は今の統一アセス法よりより厳しい手続があり、なおかつ、運用
が一体となるということである。これというのも、私も前から申しているように、行政で
新しい制度を入れる以上、できるだけ効率的なものがいいということを申し上げてきた
が、そのために一体的にやる方が効果的でもあり、なおかつ、行政費用も少なくてすむと
思っている。
それから、先ほど評価後の手続があったが、評価後の手続についても、今の電気事業法で
は、先ほどの運転中の定期検査などで反映できるということで、手続を非常に過重にして
いる。
3番目に申し上げたい点は、発電所の立地は、許認可の手続はいくつもあり、環境保護だ
けでなくて、保安についての規制もいろいろある。むしろ地元の人たちから見ると、環境
保全ももちろん大事だが、同時に、事故が起きない、保安が確保されるということも大変
な関心があるから、そういう両方の手続が一緒に行われる方が一覧性というか、地元の人
たちにはむしろ便利ではないかと思う。
4番目に申し上げたい点は、大気汚染、騒音、振動といった公害関係の規制は、今のとこ
ろはこの分野については電気事業法で規定してやっており、その点は今のそれぞれ大気汚
染防止法ではなくて、電力は電気事業法、鉱山は鉱山保安法という法律になっている。そ
ういうふうに今でも既に分割されて、電気事業の規制の中で保安の確保と同時に環境の保
全にも配慮して、今の電源立地の円滑化ということを考えている。
そんなわけで、過去の実績が悪いのか、大変評判が悪いのだが、実際にやろうとすること
は、この仕組みを骨抜きにしようとすることではない。そのときに、この前、清水小委員
長から環境庁のかみ方について、電源開発調整審議会の一委員として環境庁長官が言うだ
けで環境庁の意見が十分反映できないのだという発言があった。また、今回も委員の中か
らそれに類した発言があったが、もしそういうことであるならば、私は、環境庁の意見が
反映するような仕組みを電気事業法の手続の中に入れれば、仮に今のような不信があるよ
うなものについては十分規制ができるわけで、その辺は環境庁と関係省庁とで調整すれば
解決できる問題ではないかという気がしている。したがって、ここでは制度のあり方を議
論するのであって、法制化がどういうふうでいいかというのは、多分に立法論であって、
もちろん一覧性、わかりやすさというのは非常に大事だから、そこをPRするなりして、
私は、今申し上げたような形で最後の法制化は政府の方でやっていただくということがい
いと思うし、そういう点では、前回12月25日の森嶌部会長の最終のおまとめは大変公
平な判断であったと思っている。
○ 今ここに私が講読している新聞の切り抜きがある。たまたま昨日の新聞の切り抜きだ
が、「なぜ発電所だけ別枠なのか」という社説が載っていた。この内容を読むと、全部読
むと時間がかかるので、要点だけ申し上げると、「立法化をめぐって不可解な動きがみら
れる。なぜ発電所だけを特別扱いしなければならないのか。合理的な理由が見つからな
い。アセスメントそのものは、開発行為に先立って環境への影響を予測して、地域住民に
意見を求めて許認可などに反映させる横断的な手法である。発電所だから格別の手続があ
るといった性格のものではない。通産省の主張は、いわば当省だけ別の情報公開法や行政
手続法をつくるというようなもので、省益保護ともとられかねない。」ということが書い
てある。確かに通産省がお考えになっている、電気は国民生活とか産業活動に不可欠なエ
ネルギーであるから云々、という考え方はあろうかと思うが、こうなると、ほかの事業そ
のものは全部否定されているようなことにもなりかねないわけで、電気供給だけが国民生
活に不可欠なものかということに対して、少し問題があろうと思う。確かに電源の立地の
難しさというのはわかっているが。この社説の中でも、むしろ統一的な制度に積極的に参
加して、環境保全を重視する必要を明確にして、国民の理解を求めるべきだろうと書いて
ある。
その次に、16年前、アセスメント法案が国会に提出されたが、発電所を適用除外とした
ことへの反発もあり、国会が解散になって廃案になったが、昭和56年から58年まで2
年にわたって審議してきたということがあるわけで、もし通産省が同じ結果を期待すると
したら問題である、中央環境審議会も答申の中で別立てアセスメントは認めないとの方針
を明確にすべきであると社説に書いてある。
前の案のときに、一番最後の括弧書きのところで、発電所をアセスメント法の対象から外
すことについては、重大な問題があるということで、これまでの部会でも小委員会でも
散々議論してきたわけで、統一的な制度を念頭に置いて私たちは少なくとも審議してきた
であろう。私はそう認識している。そういうことで、点線部分の括弧書きについては、議
論の末、「発電所の実態を踏まえるべき」という表現については、記述は不要であるとい
う結論に達したように私自身は理解している。それから考えていけば、当然、発電所を例
外扱いして除外するということにはならないわけで、もしこれを除外すれば−−除外する
というか、こちらでは除外したいと思っても、向こうではつくるということかもしれない
が、他の事業も除外するということにもなりかねないわけで、私たちが考え、国民の方々
が持っている期待に対して十分応えられないのではないか、アセスメント法そのものに対
する信頼感がなくなるのではないかということを心配する。
2月1日の新聞では、1月31日に電気事業審議会で電気事業法の改正について諮問され
たということが載っているが、我々は総理の諮問に応えて今まで検討してきているわけ
で、そうすると、審議の方向と反するような諮問が、また別の審議会で政府の部内でなさ
れていること自体が問題になるのではないかとも考えられる。
今まで議論してきたことを結論的に申し上げると、本日の答申案の4ページの上から9行
目、「また、基本原則を具体化するに当たっては、透明性が保たれ、わかりやすい制度と
するよう留意する必要がある」となっているが、「透明性が保たれ、わかりやすい制度と
する」の前に、答申にはっきりと「統一的な枠組みの中で」と入れていただくことを私と
しては提案申し上げたいということが一つ。
それから、先ほどいろいろと電気事業法の改正について意見があったが、確かに保安の確
保あるいは供給計画、これはアセスそのものというよりも、実際に事業者の計画遂行の中
で行われることであって、アセスの段階で保安内容云々も場合によっては必要なことだろ
うと思うが、私も審査会の審査員として今まで電気関係の石炭火力あるいはLNG火力で
いくつかの審査をやってきたが、そういう供給計画があるから電源立地が必要だというこ
とでの電源立地に対してのいろいろなアセスを行ってきたが、そういうものは今まで不十
分だったからこれからはもっと厳しくやるというのであれば、今までの電源立地の内容は
一体どうなってくるのか。今まで不十分だったから今後厳しくするということであれば、
ますます国民からの不信感が高まるわけで、その辺についてどうお考えになっているのか
ということも非常に疑問に思う。
法制化について、昨年の初めには法制化は要らないとおっしゃったのを、法制化は必要だ
ということになったのは、厳しくやるということは、そういう不十分さを認識されてのこ
とかとも思うが、その内容を伺っていると、統一的な枠組みの中で十分対応できることで
あり、新たに別の立法化を図らなければできないということにはならないだろうと思って
いる。そういう意味で、「統一的枠組み」というのを入れていただくことを提案したいと
思う。
○ 先ほど小委員長のお話を承って、先般の部会の後、小委員会がこれほど苦労されたと
いうことは想像もつかなかった。もともとこの審議会は法制化を含めて審議するというこ
とであった。私もそのつもりで参加してきた。次いで法制化、法律をもって行いたいとい
う結論に達したことについて、私は前回、よかったということをひとまず申し上げ、次い
で、統一法規ということについては、先ほど小委員長から説明のあったこの文章だけで
は、確かに統一法の命運について心配される方々は恐らく心配されたのだろうという感じ
がしている。私自身は、電気事業法で特別にやるということについては全く賛成できな
い。また、理由もいろいろ伺ったが、誠に説得力がないと私は思っている。
姿勢について申し上げると、電力産業はあくまで日本における最大、根幹的な産業である
ことは論を待たないところであり、いわば日本における産業のリーダーであると思うが、
ことアセスに関しては最後尾を走っているという感じがいたしている。私はむしろ、電力
産業のステータスというものは、アセスについては模範的なアセスをやってもらいたい。
ただ今御紹介のあった話を承ると、大変厳しいアセスをしておられるということである
が、前回申し上げたように、もしもこの法律で電力産業をこなす場合に、それほど厳しい
ならば、政令等でもっと厳しい規定を置くことによって可能であるし、下位法令によって
操作したいと前回申し上げた。一部マスコミでいろいろ時代について錯誤はなかりしかと
いう意見もあるが、私自身はそういった評価も無理もなしと思う。
いずれにしても、私ども企画政策部会の委員としては、これまでの使命感と併せて、誇り
をもってこの結論を大事にしたいと思うので、部会長によろしくおとりなしをいただきた
いと思っている。よろしくお願いしたい。
○ 専門家でないので、ごく常識的な感じで意見を言わせていただく。
率直に言って、この段階で、立法形式の問題がどうしてこんな大議論になるのか不思議で
ある。問題は恐らく中身だろうと思う。中身というと、要するにいろいろな事業の実態に
応じて実効性のあるアセスの制度をつくる。しかも、それを担保するために例外なく法律
化をする。そこが要だと思う。その趣旨に沿って、立派な中身の答申を作られたわけだ
が、発電所について、いわゆる統一法でいくのか、電気事業法の改正でいくのか、そこが
今問題になっているようだが、私は、いろいろ経緯があったにせよ、通産省といえども、
ここに示された基本原則に反するような仕組みをつくろうとは恐らく考えてないと思う。
一方、電気事業の特殊性からいって、いわゆる一般原則にプラスするものも恐らく必要上
ないとは言えない。そういう中身のものを作ろうとする場合に、それを法律上何で書くか
ということがどうしてそんなに議論になるのか。通産省がこのアセス制度の趣旨を活かし
ながら、電気事業の特殊性にも配慮した制度をつくる場合に、その制度に最もふさわしい
立法形式でやるのが常識というものではないか。それが統一法以外で書けば、あたかも基
本原則に反する、「別立て」であるとか「別枠」であるとかというようなことで基本原則
に反するもののように予断をもって取り扱うというのはいかがなものか。それはやや行き
過ぎではないか、あるいは気が早過ぎるのではないか、そんな感じがする。
○ ここで御議論いただいたこの答申内容と違った、発電所については適用しないのだと
いうような考え方であれば、これはとんでもない話だろうと思う。基本はあくまでもこれ
に従うということだろうと思う。ただ、今これを具体的に法制化するときに、この法律が
一体どういう形をとってくるかということがわからない。これはこれからの法制審議の段
階。それから環境審査のシステム、国のシステムにしても、今度の法律でどうなるか、具
体的なことは何もない。ここは物事の考え方、取り上げ方、対象の広げ方、こういったこ
とを議論しているわけで、今後の立法の過程でいろいろな問題が出てこようと思う。電気
事業法でこれと全く別のものをつくるということであれば、それはとんでもないことだろ
うと思う。ただ、橋渡しをすることはいくらでもできると思うし、それから、これとは別
に電気事業法を運用していくときに、環境の問題と一体的にやっていくときに、今考えて
いるものが、例えば行政に反映させるのを勘案するというだけでいいのだということであ
れば、電気事業法の方では、そんな甘いことではやっていけないということになるのかも
しれないが、そういったようないろいろな問題があろうと思う。どういう形の法律にする
かということは、これから環境庁がこの答申に基づいて法案を作っていくわけなので、そ
の過程でいろいろ議論されたらいかがかと思う。
まさにこの法律だけですべてが律せられるということでなくて、場合によっては、電気事
業法なり、いろいろなほかの法律と相まって実効が担保されるのではないかと思う。この
制度に基づく法律、これ一本だけで実効が担保されるかというと、私は必ずしもそうでも
ないと思うので、そのあたりも含めて、今後、立法過程において議論していけばいい問題
ではないか。それをどうしても一本化しろということまでこの委員会で答申する必要はな
いのではないか。現在4ページに書かれていることで十分意が尽くされているのではない
かと思う。
○ 12月25日に議論したときの部会長のおまとめが何で引っ繰り返ったのかというの
がちょっと奇異な感じがしている。あのときの部会長のおまとめというのは、いろいろな
議論があったけれども、全会一致で電気事業も含めてアセスメントを法制化するというこ
とをこの部会でまず確認する、しかし、どういう法律をつくるかという法律の形について
は、この部会で踏み込んでどうこう決める必要はないのではないか、むしろ法律に織り込
まれるべき基本的要素、絶対に欠かすことができない基本的要素はしっかりと書いて答申
するということでまとめたいということであって、私も、いろいろな議論を経た結果、い
い結論が出たなと思っていた。それがその後、電気事業を別にするのはけしからんという
議論にいってしまっているわけだが、この部会の責任というのは、環境保全をいかに的確
に担保するか、それをいかに法制化するかということであって、その法律が一つでなけれ
ばならないのか、あるいは業態に応じたものがつくられてもいいのかということについて
は、長年実際に行政を担当しておられる方々が意見を闘わせて立法案をおつくりになれば
いいのではないか。ここにおる私ども、かつて行政に携われた方もあるようだが、どうい
うやり方が一番いいのかということはそこで考えていただく。
今、電気事業法の改正でやろうとしているのはけしからんという意見がいろいろ出ている
けれども、通産省だけで法律が決められるものではない。法律の原案は環境庁にも回され
るし、総理が出た閣議で審議されて国会に提出されて、国会で議論される。そういう手続
を経るから、そこまで踏み込んで、一つでなければならんと決め込むのはいかがなもの
か。それほどの経験を皆が持っているとも思えない。通産省がざる法をつくるつもりかと
いう先入観があまりにもありすぎるのではないか。その点については、この部会で答申す
るアセスメントに関する基本原則、基本要因、絶対やらなければいけないことは皆書いて
あるから、それをしっかり守って、それを逸脱するような法律が出れば、世論を挙げて反
撃するということで十分対応できるのではないか。むしろ中身をきちっとやれば、形は立
法府にお任せしていいのではないか。そこであまり議論していると、肝心の中身がぼやけ
てくることになりはしないかという気がする。
(部会長) おまとめいただいて大変ありがたかったが、前回のまとめは、皆さんが合意
したところのものは、例外を認めずに法制化をする、その法制化に当たっては、ここに述
べられた基本原則を必ず守るということであり、あとは政府が決めるというところまでは
私は申していないので、ここでの合意点はここまでであるということで小委員会の方にお
願いした次第である。
○ 大変細かいことだが、法形式の問題になったので、事柄を正確に理解していただくた
めに、若干資料を用意してきたので、お配りして説明したい。非常に見解の対立があるよ
うだが、法律を細かく読んでいくと、それほどに見解に対立があるという性質の話ではな
い。私も、制度をずっと扱ってきたが、法律制度を正確に理解していただくのは大変難し
いわけで、そこをあいまいにすると、実際に後で運用にあたって、また役人にだまされ
た、ということになる場合が多い。官僚に対する世の中の批判が強くなった理由の一つ
に、このような点もあるように思われるので、事柄の性格を正確に御理解いただきたいと
思って、法律の規定を要約した資料を用意した次第である。
先ほど引用された新聞記事の論説等がある。一般の国民の方々がそのように受け止めるの
は当然だろうと思う。ただし、「統一」という文言を入れようと入れまいと、最終的に答
申の内容が現実にきちっと動いているかどうかをチェックするのは、この答申案の11
ページの8のイに書いてあるように、各個別法の許認可によって担保されている。した
がって、電気事業法第41条の「電気事業者は通産大臣の認可を受けなければならない」
というところが決め手になるわけで、これは統一法によろうとよるまいと、答申の中身自
身がそうなっている。したがって、この際、認可基準が、1号から4号まであるが、そこ
にアセス法に基づいた手続をきちっとクリアしているかどうかという基準を書き込むこと
は決していけないことだとは言えないだろうと思う。
ただ、通産大臣だけに任せたのでは信用できないということがあるから、通産省は最初は
電源開発促進法第4条の規定があるからいいのではないかとおっしゃっていたかと思う
が、それはおかしいので、旧アセス法案の第19条第1項、環境庁長官が必要に応じて意
見を述べるという規定をきちっと書いていただく。これはポイントになると思う。
この2つがクリアされると、あとは両者の見解にそれほど違いはないわけで、手続だけの
問題になるが、これは先ほど説明があったから細かくは申し上げないが、より厳しい規制
を考えておられるかどうか、我々は通産省の話を全然聞いてないのでわからない。しか
し、あえて現在の法律制度の仕組みから考えられることは、11ページの7の(2)の
ア、「現行の閣議決定要綱では、まず、準備書について、地方公共団体において実質的に
審査が行われ」云々ということで、これは法律に仕組む場合は、今度の制度でも第一次的
には都道府県段階での審査を予定されているように読める。ところが、今の発電所アセス
の場合には、最初の段階から通産大臣が関与している。そういう趣旨の規定は、実は法律
にあるわけで、電気事業法の第103条第1項に、河川法上の許可申請があったときは、
通産大臣の意見を聴けということが国の法制として定まっている。なぜそういう規定が
入ったかというのは細かく説明すると長くなるから省略するが、十分理由のあることだと
思う。そういう規定がある以上、電気事業法において、手続面で多少統一アセス法の手続
をモディファイすることは許されるかも知れない。それは4ページに書いてあるような事
業の特性に応じて弾力的に対応できるという範囲内で読み込めることだろうと思う。
したがって、先ほど発言のあったように、一方で統一アセス法はもちろん適用する、法律
乃至政令で指定する、そうしておいて、一方、電気事業法の方は必要最小限の事業の特性
に応じた改正を加える。それに加えて、認可基準もきちっとする。こういうことは、法律
制度をやってきた者としては、極めて自然な形で、これは「統一的」という文言を入れる
かどうかということとは別に認められてしかるべきではないか。それは両省の担当者の協
議で妥当な線が得られるのではないかと考える。「統一的」という文言を入れるか入れな
いかにかかわらず、今のことは認められてしかるべきではないかと私は考えている。
○ まず、国のアセスメント制度というのは、だれにでもルールがはっきりと理解でき
て、明快で公平で公正である、そういう法律であることが大切だと思う。そのためには、
一つの法律である必要があると思う。先ほどエネルギーの安定供給をすることが必要だと
おっしゃった委員がいた。しかし、それをするために、なぜこのアセスメント制度ではい
けないのかということは十分説明を受けたとは思わない。なぜ安定供給は別のアセスメン
トの法律がなければできないのか。
もう一つ、効率性ということをおっしゃったが、効率性については、今回のアセスメント
の案の中にも「配慮する必要がある」と書いてある。効率性を国民の信頼とトレードオフ
するということはあってはならないことではないか。効率性を優先するために、国民の信
頼を度外視してもいいという動きには私は賛同できない。
それから、世界の主要諸国では、発電所を全く別枠にしたアセスメント制度を持っている
国はない。なぜ日本だけが特殊に発電所を外さなければならないのか、ここはまだよくわ
からないところである。国民が納得できるような説明や合理性がない中で、例外を設ける
と、ほかにも例外を求める声が出てくる可能性がある。アセスの法案の信頼性を損なう可
能性があることを私は危惧している。
今、発電所は、国民の信頼を回復することが一番大切お仕事なのではないか。そんな中、
なぜ通産省は別扱いを主張されるのか、どうしても理解できない。今通産省がしようとし
ていることは、かえって国民の不信を招くことになるのではないか。国の制度を新しくつ
くる上で関係省庁の協力は欠かせないことだと思う。それぞれが協力し、必要な調整をす
ることによって、新しいこうしたシステムが実現するものだと思う。国民が安心して信頼
できる統一の法律づくりに通産省も協力くださることを強く期待している。
○ 実際の法律になるときには、答申に反するようなものにならないだろうからいいだろ
うという感じの議論が出てくるのは大変残念なことだと思う。今問題になっているのは、
答申で何を述べるかということであって、そのことがない限り、中環審の部会は何のため
に存在するのかという問題にまでつながっていくことになっているのではないかと思う。
アセス法を議論してきた中で、世の中の注目をあまり浴びてなかったというところがある
と思うが、通産省の問題提起をきっかけに非常に注目されるようになってきた。これは本
当に喜ばしいことであると私は考えている。それだけに、発電所のことを入れるか入れな
いのか、つまり中環審のこの部会としての意思表示をしないでは済まされない、その問題
を避けて通ることはできないというところに来ているのではないかと思う。
その意味で、私は、文言は別として、「統一的な」ということをぜひ入れるべきである、
それは意思表示であると考える。この点をあいまいにするとどうなるか。いろいろなこと
が考えられるわけだが、悪影響がいろいろ起きてくると思う。一番大きいのは、環境基本
計画の中でも国民の参加ということを4本柱の一つに挙げているけれども、環境問題は基
本的には、国民が理解し、世間が認めるものでなければいけない。世間がわからないこと
はやってはいけない。これは環境問題の基本原則、それこそ本当の原則であると思う。そ
ういった世間の支持を得る、世間の認識を高めるという意味でも、せっかく問題提起され
たわけだから、それについては中環審のこの部会としての意思表示はきっちりとすべきで
あると考える。そうした意味で、私は「統一的な」という文言を入れるという意見に全く
賛成で、ぜひ入れるべきであると思う。
○ 結論からいうと、今の意見に近いところである。先ほどから、議論は白熱している
が、議論の相手である通産省の責任ある発言はないわけで、では、我々は何のために、だ
れを相手に議論しているのかということになる。
これは総理大臣から諮問されているので、もし政府部内に違った考え方があるということ
であれば、それをばらばらに放っておいていいというのであれば、内閣総理大臣など必要
ない。だから、我々はどうすればいいかということになるが、この審議会としては、淡々
と内閣総理大臣から諮問された、したがって、あるべきアセス制度のあり方を考える、こ
れは恐らく政府全体に通用するような考え方を考えるということであって、それについて
個別の省庁が我々の知らないところで何を言っていようが、あまり気にすべきではないの
ではないかという気がしている。だから、通産省の方を公式に招致するということはしな
いでいいのではないか。
そうだとすると、先ほどから恐らく通産省の立場をよく知っておられるであろうという
方々の意見も含めて、実質的に我々が考えているアセスの基本的な考え方がいけないとい
う意見はないわけで、あとは立法形式の問題だということで、やはり実質の方が大事であ
ろうというのは私もそのとおりだと思う。
だから、問題は、結局、何かわけのわからない話になってきているものだから、本当に実
質が確保できるのだろうかということについて、また別の方々から不安が出されていると
いう状況だと思うので、私としては、結論としては、実質はあくまでも大事にするという
ことを私どものメッセージとしてもう一度明らかにしたい。そのためには、この原案でも
「基本原則に従って対応することが必要である」ということは書かれているけれども、こ
れだけ議論したのだから、その結果を何らかの形でもう一度修文の上で表すことが必要な
のではないか。「統一的」でも「整合性」でも「明快な体系性をもった」でも、そこはい
ろいろ考えられると思うが、それを明らかにした方がいいのではないかと思う。
○ 何人かの委員の方と意見が重なるが、私は、このテーマについて諮問を受けて以来、
論議の流れは統一的なアセス制度を目指す方向にあったと理解している。それは、我が国
のアセス制度の歴史的な経過とか先進諸国の実情を見れば、自然のことではないか。答申
案の中にいう「透明性が保たれ、わかりやすい制度」というのは、そういう認識の一つの
表現ではないかと私は理解している。
仮に電気事業法の改正か何かで電気が別の制度でいくということになれば、透明性とかわ
かりやすさというのは損なわれかねない。また、答申案の中には、現行の閣議決定要綱よ
りもアセス対象を広げろという表現があるが、それも肝心のところが抜けて点睛を欠くこ
とになってしまうおそれがあるということを言っておきたいと思う。
したがって、そういう事態を招きかねない2つのアセス制度ということになれば、大方の
世論の理解は得られないのではないかと思う。通産省の動きは動きとして、総理から諮問
を受けた中環審としては、先ほどの意見にもあったように、中環審の意思として、答申の
中に「統一的な法によるアセス制度」ということを書くべきではないか。電気事業法では
もっと厳しいアセスということを言っているようだが、もしそうであるならば、一つの大
きなアセス制度の傘の中に入って、その中で、日本のアセス制度全体にいい影響を与える
方向を目指すべきではないか。もしそのように「統一的なものを目指す」というふうな表
現をしたとしても、この答申案の中には、個々の事業については特性を踏まえて柔軟な仕
組みを求めるべきだということが書いてあるわけだから、決して無理のない答申であると
私は思う。ぜひ「統一的」という表現を盛り込んでいただきたい。それを重ねて注文した
いと思う。
○ 結論から申し上げると、まず環境アセスメント制度の基本原則を示して、例外なく法
制化することに対しては、私も同意したいと思う。ただ、特に発電所とか、あるいはほか
にもそういった問題が出てくるかもしれないが、そういう問題については、かなり専門的
な、いろいろな難しい特異な問題が出てくるケースがあるだろうと思う。特に発電所の問
題については、過去から電気事業法の関係で相当実績を上げておられる点も事実だと思
う。先ほど話があったように、いろいろ問題があって、確かに迷惑されている点があるこ
とはあると思うが、そういった問題を今後のこの法律制度によって一応整合性をとってい
くということは必要ではないか。したがって、基本原則を示して、あとは環境庁あるいは
通産省その他の省庁との整合性を図りながらこの法律を運用するという方向がいいのでは
ないかと私は思う。
いろいろな意見が出て、先ほど社説の話が出たが、1月22日のある新聞の社説は、環境
アセスメントの法制化で環境庁と通産省が対立している、発電所は統一アセスの対象から
外したらどうかという論説になっている。私は必ずしもこの論がいいと思わないが、そこ
で特に言っていることは、特に電気は国民生活にとって不可欠なエネルギーであり、円滑
な立地を図る上で、国が直接関与し、電力の安定供給と環境保全の両立を目指すべきだと
思う、環境庁は、今回の法制化の対象から発電所を外した対応をしたらどうかと書いてあ
るが、これは少し行き過ぎだろうと私は思う。この点は、先ほど申し上げたように、環境
基本法の精神を踏まえて、個別についての整合性を図っていただくということだろうと思
う。
また、これまで環境上支障の生じた問題もあるが、特に硫黄酸化物や窒素酸化物は欧米の
水準を超えて世界最高水準の環境保全策が実施されていると。ちょっと調べてみたが、硫
黄酸化物については世界の先進6カ国の24分の1、また、窒素酸化物については6分の
1だというデータもある。そんな形で、全般的に今までの電源立地が決して悪いわけでは
ない。もちろん問題があるから、それをどうして解決するかということの方が大事だろう
と思うが、そういうことをこの新聞は書いているわけである。私は先ほど申し上げたよう
に、これが正しいとか悪いとかという問題ではなくて、これに全面的に賛成するものでは
ないが、あくまでも基本理念を明示して、あとは省庁間の法制化に譲っていくという考え
方がいいのではないかと思うので、そういう立場で申し上げた。
○ 結論を申し上げると、ここに書かれている基本的な考え方の中で、「統一的な枠組
み」というような文言を4ページのところに入れていただきたいと思っている。私は、こ
れから法律をつくっていくであろうそういう手続とか論議がされると思うが、中環審の場
で統一的な論議でまとめていかれることを望んでいる。それが、ひいては、法律の出来具
合によっては、私たちが望むいい実効性のある、今皆さん方が意見を言われたような「統
一的枠組み」というようなことが入り、なおかつ、通産省がつくろうとされている電気事
業法の方もいろいろな形で高めていくような考え方を私は持っているので、ぜひとも「統
一的枠組み」という文言を入れながら、私たちが論議してきたことを実効性を高めるよう
な法律をつくっていただくようにお願いする。
○ 12月25日の部会で議論して、一応合意をみたことがあったわけだが、その後、起
草小委員会の段階で紛糾したのは、率直な言い方をすると、ある事態の変化が起こったか
らである。それは答申が出た後でどうするかという議論が当然出てきていいはずなのに、
手順の違うような話が出てしまったので、混乱が起こった原因はまさにそこにあると思っ
ている。しかし、小委員会としては、あくまでも25日の決定に拘束されているので、そ
れ以上のことを書き込むことについては慎重であるべしということで、本日はこういうよ
うな形で、小委員長が報告するということになった。
内情をいうと、実は3つぐらい案があった。このままでもいいのではないかという意見も
あった。それから、「統一的な」あるいは「統一法で」あるいは「可能な限り」という言
葉を入れる案も出た。いろいろ出たが、結局それを併記することもやめて、ここでは淡々
とこういう表現でお出しした。しかし、背景にある事柄は皆さんよくおわかりだと思う
し、ここで議論していって、中身について皆があまりばらばらでない理解をしているとい
うことが一番大事なことだろうと思っている。
私は、柔軟な制度でなければいけないということはたびたび申した。それはばらばらな法
律でいいということではないということも言った。法律としては一つであって、それが政
省令の段階で細かく分かれることもあるだろうとか、いろいろなことを言ってきたが、こ
の考え方は、今でもそう変わってはいない。ただし、単一法ですべてをくくれるかという
と、それでないかもしれないということももちろん言えるわけだが、しかし、ここではも
う事態の変化が起こっているので、一方の立場を少し強く言わなければいけないだろうと
思っている。
先ほど小委員長がおっしゃったが、アセスの制度として我々がこの部会で議論してきたこ
とは、許認可法とは別の手続としてのアセスということを言ってきたわけである。許認可
法とどこかでつなごうと言っているわけだから、そういう意味から言うと、どれか一つだ
けは完全に許認可法体系に入ってしまうと、ほかのところもやはり許認可法体系でいいで
はないかという議論になるから、そうすると、ここで我々が言っている「透明性」とか
「わかりやすい」ということとはほど遠い状況が生まれてしまうことを恐れる。だから、
許認可とは別に、環境配慮については、環境基本法の流れからきた手続をしっかりつくっ
ておくことが大事なわけで、その点は譲れない。
もう一つは、ばらばらであるということの問題点は、例えば縦覧の期間が制度間でばらば
らであるということもあり得るわけである。現に現在行われているものはばらばらであ
る。もちろん事業特性によってそんなに長い期間置かなくていいという場合があるかもし
れないが、存外逆な場合があって、重要なものの期間が短く、大して重要でないものがや
たらと長い期間になっているという場合がある。それはよくないわけで、そこら辺は、マ
キシマムをどうするのだということは、統一である方がわかりやすい。そういうことを全
部一々同じようにしていくとすれば、形式としてばらばらであるということはあまり合理
性がないという答えは明らかなわけで、これは最初に発言された委員の意見の中にもあっ
た。
今回の我々の書いている答申の目玉のような部分を先ほど小委員長が実に的確に紹介くだ
さったが、例えば「実質的な審査」という言葉を今度入れてみた。つまり、地域の環境に
ついては、地域について一番情報を持っており、地域環境について責任を負い得る都道府
県知事の意見書を事実上の審査として位置づけ、環境庁長官は国家的な見地から、もっと
地域エゴにとらわれないような見地での意見を述べる。この2つのことを言っているわけ
である。こういうことをちゃんと確保してもらわないと制度としてはどうにもならないだ
ろうと思っている。
それらの点をいろいろ考えてみると、私は、ここまでやってきて、こういう文章に一応落
ち着いているから、「透明性が保たれ、わかりやすい制度」であるという表現で意を尽く
していると思ってはいるが、あえてこういうことになってしまうならば、ここで合意が得
られるならば、「統一的で」という言い方が入ってもいいのかなとも思う。しかし、いず
れにせよ、基本原則をちゃんと貫けということが一番大事な点で、これはどなたも全く異
論のない点であった。だから、それをどう表現すればいいのかということについては工夫
が可能ではないかと思っている。るるいろいろと経過等の中から出てきた意見に対して
は、「統一的で、透明性が保たれ、わかりやすい制度」という表現であれば、ここで議論
してきたことの意味がもっとはっきりしてくるのではないか。特に私は、具体的な手続の
中身について、柔軟であると同時に、骨格部分では同じでなければいけないという気持ち
を持っているので、そういう意見を申し上げたい。
○ 私は、冒頭で清水小委員長がおっしゃったことにほぼ賛成する立場である。
私は、発電所の問題について、通産省の担当官の方と何度か議論した。一つは、より厳し
いアセスをするために別立てが必要なのだという議論であった。そうすると、この中環審
の冒頭でのアセスメント法は必要ではなかったという議論とは違うわけである。それか
ら、より厳しいものにするということだと、今議論している統一アセス法よりも厳しいも
のにするというような意味だとすると、電気事業法の改正による法律が厳しくて、統一ア
セスはいわばまがいものであるというような受け止め方をされかねないということであ
る。したがって、これは説得力に乏しい。逆に、統一アセスが非常に厳しいということな
ら、電気事業法の改正は意味ないということで、この説得はなかなか承服できないという
点があった。
もう一つは、供給責任の問題である。これは電力需要が増大しているということで、供給
責任というものは非常に大きな問題だろうと思う。しかし、それを統一アセス法とは別立
てで電気事業法の改正法案で処理していくというと、また住民は、通産省と発電所が何か
こそこそやっているというような意味で、かえって住民の納得が得られないのではないか
という感じがする。むしろ一つの統一法に従って、公明正大にアセスを受けて発電所をつ
くっていくというのがこれからの時代なのだろうと思う。したがって、供給責任を果たす
ためには、むしろ統一アセス法でしっかりと住民と話し合い、必要ならばつくっていくと
いうプロセスが必要なのだろうと思う。そういうこともあって、こういう言い方はよくな
いが、役所に多く見られがちな一つの省益とか、そういうようなものではないということ
を担当官の方はおっしゃっていたけれども、長年取材してきた立場だと、総合すると、や
はりそういうものを擁護したいのだなという感じになってしまうということで、「我々を
信用してくれ」ということに対しても、信用してきた結果いろいろな問題が起こってきた
のではないかなという視点もあるので、その辺はなかなか説得に苦しんでいる部分もある
のかなということを感想も含めて申し上げておく。
○ 私は1962年から日本と世界の環境現場を見てきた者として、今まで法律論とか立
法論で相当議論されているけれども、もう少し違う観点から意見を述べさせていただく。
この答申案の中に「昭和58年の衆議院解散に伴い廃案となった」と前回のいきさつが書
いてあるが、こんな単純なものではなく、これはつぶしつぶされた。だれがつぶしつぶさ
れたのかということは、当時の新聞を読んでいただければ明快で、何が原因だったかとい
うこともここにははっきり書かれている。この表現ではあまりにもクール過ぎるのではな
いか。審議会はクールであるべしという原則があるようだが、そういうことである。
それから、再三問題になっている電気事業法の改正と厳しさという問題だが、厳しさとい
うのは、恐らく2点あるだろうと思う。一つは、例えば排煙脱硫のK値規制とかサットン
法という方程式がある。しかし、K値規制、サットン法に、特に発電所でなければならな
いパラメータはないように記憶している。あるいはカモシカがどこかに出てきても、それ
が林野庁の鉢巻きを締めているのか、あるいは通産省なのか、そのあたりも多分ないだろ
う。生態は生態、カモシカ・イズ・カモシカである。事実の問題としてまずこの1点を押
さえておきたい。
もう一つは、私が、法律論ではなくて、過去の社会変動、社会通念も特に考慮してお考え
いただきたいと言ったのは手続の面である。昭和59年8月以来の閣議アセスと発電所ア
セスはどう違うかというと、さっきから再三指摘があったように、公告・縦覧、住民意見
の反映の後に、従来の閣議アセスは知事の意見がストレートにそこに述べられている。そ
して事業者によるアセス評価書の作成といくわけだが、発電所の場合には、公告・縦覧、
住民意見の反映の後に、通産省における審査、同時に、環境審査顧問における意見の聴
取、それから電源開発調整審議会での審査、さらに、関係都道府県知事の意見がようやく
この段階で審議会に対して述べられるということになっている。
厳しさというものは、立場によって世界観がかなり違うと思う。私は新聞記者としての世
界観に立ってはっきり申し上げるが、実は、この点が大変問題だろうと思う。厳しいとい
うことは、なるべく防御的なものをつくらない、そういうふうに理解していただきたい。
我々はあまりにも硬直的かつ不透明な規制によって、どこで何が、だれが主体として論議
されて、いかなる目的法と術を得たのかということについて、ほとんど伺い知ることがで
きなかった。通産省における審査はどなたかおっしゃったように、非常に慎重に、高度の
レベルの判断であると、もちろんそれをなさることは否定しないが、時に応じては、例え
ば都道府県知事の意見は邪魔者である。これはかつて私自身がいくつかのところで見てき
たことである。しかし、邪魔者の都道府県知事は、一たん通産において審査を受けたもの
に対して事後的に意見を述べるということは、ほとんど官僚及び政治の世界だと思う。し
たがって、このようなアセスの手続面における厳しさとは何かということを配慮していた
だくと、以上、事実関係、カモシカの問題と手続の問題、2点を含めると、何が発電所の
特殊性なのか厳しさなのかということは、少なくとも私は明確に理解できない。
さらに、保安基準の問題が出た。過去の、例えば大気規制においても、自動車の排ガスが
典型だが、これは道路運送車両法に基づく命令で具体的なモードとか規制基準を決めてき
たわけで、本質は一本の大気汚染防止法に収れんされたはず。この辺の法律の使い分けを
どういうふうにお考えになるのか。
以上、いずれからしても、一本化以外に、私が習った法律、弁論というものはそういうこ
とを教えていたのではないか。やみ米と自主流通米と政府米と一物三価のようなことはで
きるだけ避けるべきであるという感じがする。あまりいいたとえではないが。
○ 私は結論から申し上げると、清水小委員長はじめ何人かの委員がおっしゃったことに
全く賛成である。そういう方向で考えていただきたいと思う。
その理由は、非常に簡単で、どんな省庁でもそれぞれ許認可権を持っているから、許認可
権を持っているところでは、許認可権に従って、自分たちのやっていることをきちんと
やっていきたい、これは官僚のすばらしい点だと思う。各省庁の方々がしっかり許認可権
を守っていくということは、ある意味では正当なことだと思うが、今回の環境アセスとい
うのは許認可法ではなくて、環境アセスという網をかぶせるものであると考えると、私た
ちは中環審の委員として、網をかぶせるという意味では、当然、統一の枠組みでやってい
くというのが基本である。だから、それ以外のものは一切許されないと思う。しかし、各
省庁はそれぞれ許認可権を持っているから、当然、自分たちの許認可権に従って行動する
から、その網の中でできるだけいいものをやっていただきたい。それが国民にとって一番
わかりやすい、かつ、透明性のあるものではないかと思う。
もう一つだけ言わせていただきたいのだが、これはあくまでも仮定だから、大変失礼なこ
とになると思うが、もし私が内閣総理大臣だったらどう考えるか。もし私が内閣総理大臣
だったら、中環審の答申ではっきりと方向を出していただく。私は内閣総理大臣として、
ああでもない、こうでもないということをここで判断するよりも、はっきりした答申に基
づいて、非常に論理的なもの、そして、先ほど申した意味で、なるほどこれが本当に網が
かぶさったなというものであれば、私は非常にうれしいと思う。
もう一つ言わせていただくが、このために、今回私は、自民党、社民党、新進党、民主党
の数十名の国会議員の方に会い、いろいろ話をしてきた。実は、3月22日から24日、
地球環境に関わる国会議員の世界会議が東京プリンスホテルで行われる。そのときに、国
会議員としては、特に環境問題については世界でリーダーシップをとりたいというのがた
くさんの国会議員の方の考え方であって、環境問題でリーダーシップをとるときに、
OECD加盟29カ国の中で、これについて統一的な環境アセスがないのは日本だけであ
る。一体そういう国はどうやって、他の世界から来る国会議員の前で、指導性を発揮でき
るかということについて非常に彼らは危惧している。そういう意味から申しても、今回
は、清水小委員長をはじめたくさんの方々がおっしゃった統一の方向でやるということで
ぜひ中環審の答申を出していただきたいと思う。
○ 法体系のことはよくわからないが、先ほど言われたように、許認可の法体系とは別に
定めるべきだと。これは素人でも非常によくわかり、そういう点からいうと、やはり「統
一的」という言葉を入れていただきたい。
もう一つ部会長にお願いしたいのだが、これは非常に大事な決断だと思うので、「統一
的」という言葉を入れるか入れないかは、各委員の決意表明みたいなものなので、ぜひそ
れについては挙手で決定していただきたいと思う。
(部会長) 多数決ということか。
○ 挙手で意思を表明するということである。
○ 私は極めてプラグマティックな観点から一つ簡単な意見を申し上げたい。要するに、
通産省なり電力業界が懸念なさるのは、環境アセスメントが法制化されて、統一的である
ということで、発電所もその中に含まれることになれば、立地に5年、10年と手間取っ
て供給義務を果たせなくなるということだと思う。そこで、電気事業法の中に例外として
そういう措置をとるということだと思うが、2つのケースを比較して、発電所の立地を円
滑化し効率化するためにどっちがいいのか、私がそういう質問を受けたとすれば、環境ア
セスメントの法制化は現になされるわけだから、そこで電力は例外だとするよりは、一般
的な法の下で環境アセスメントをやった方が、結局、電源立地はむしろ容易になるという
か、効率化されるというか、あるいは円滑化されると思う。
以前は、閣議アセスというのがあって、11の事業がそれに含まれていて、発電所は通産
省の省議アセスということで特別扱いされている。なぜ特別扱いしたかということについ
ては、安定供給という問題があったと思う。閣議アセスも省議アセスも我々は知らなかっ
たし、恐らく大部分の方は知らなかったと思う。だけど、今回、かなり鳴り物入りで環境
アセスメントが法制化される。そのときに発電所を例外にしたということが、当然マスコ
ミ等を通じて大部分の人が知るところとなる。日本人も、従来、私はここでも一度、市民
社会として未成熟だということを申し上げたけれども、かなり成熟化してきている。そう
すると、そういうことに対する反発というのは相当強いものがあると思う。だから、私が
もし電気事業者の立場に立つとすれば、この際もう仕方がないと思う。
○ 何人かの方の意見と重なると思うが、この答申が出る前に特定の省が動きを始めたと
いうこと自身に問題があると思う。特に通産省の動きがなければ、私は、この答申の文案
でよかったと思っている。しかし、その動きが出た以上、我々としての意思表示をせざる
を得なくなった。その意味で、「統一的」という言葉をこの際加えざるを得なくなったと
いうことだと私は思っている。
内容の厳しさとかという問題については、この答申案の中でも「評価の視点」その他の中
で十分触れられていることで、それをいかにうまく使えばいいかということになると思う
し、少なくとも一省庁の判断よりも幅広い判断が加わることが本旨であると思うので、そ
ういうことを考えても、この際、意思表示として「統一的」というのを加えるべきだと思
う。
(部会長) 司会者として大変重い責任を負わされているが、一つは、今回公開であった
ということで、皆さんからいろいろな御意見が出ており、これは、我々中環審がどれだけ
真剣にこの問題に取り組んでいるかということを知っていただくことができたという意味
で非常に意味があったと思う。それと同時に、たたき台を議論したときには、先ほど何人
かの委員が指摘されたように、この問題が顕在化はしていなかった。そこで、例外を認め
るのかどうかということについて、我々は、法制化についての例外は書かないということ
で了解をいただいた。今、こうなった以上は、ということをおっしゃったが、同時に、私
の非常に頭の痛いところは、これは審議会であり、先ほど多数決でやるのかと伺ったのも
そういうことである。そこで、一度確認させていただきたいと思う。前回の後からの事態
の進展で、実態がどうあるということとは別に、多くの委員が不信感を持っておられる。
その不信感に対する一つの答えとして、前回からの事情変更ということで、例えば、「統
一的で、透明性が保たれ、わかりやすい制度」というようなことを書き加えるということ
について、そうすべきではないと現時点で思っておられる委員がおられたら、これを確認
したい。
なぜそういうことを伺うかというと、今までの審議会は、皆さんに合意を得ており、私
は、合意がない場合には、それを多数決によって審議会としては強行するつもりはない。
もしもやるとすれば、それは両論が出てくる。少数意見を書き込むということを伴うこと
になる。私自身は、少数意見を書き込むということは、むしろ我々の審議会の意思を弱く
するのではないかと思っているので、今まで出ていた中では、一番マイルドというか、今
までは原文が淡々とと思っていたが、ちょっとどぎつくなったけれども、なおかつ淡々と
いうので、「統一的で、透明性が保たれ、わかりやすい制度」という言葉で修文をするこ
とは適当でないという委員がおられたら、お声で結構、数ではないので、どうぞおっ
しゃってほしい。
○ 「統一的」という場合に、多分また議論しだすと、2つあると思う。実質的な意味の
統一と、形式的な意味の統一。恐らく今日の議論を聞いていて、お前はどういう立場だと
言われると、私はいつも性善説なので、そういうところから言うと、多分、許容されるの
は実質的なところまでではないだろうか。形式的なという意味合いまで、ここで合意はと
るつもりはないと部会長がおっしゃったので、私のオーバーランだけれども、そこまで含
めた意味の統一性といったら、少し少数意見を尊重していただきたい。あるいは少数では
なくて半数意見かもしれない。だから、実質的な意味の統一性というのなら、私は賛成す
る。
(部会長) ここはまた定義していないところが微妙なところだと思っているが。
(委員長) 冒頭に私は報告を申し上げたが、その意味は、アセスメント制度というの
は、事業を許可するという法律とは性格が別のものである。どういうふうに別かといえ
ば、簡単にいえば、事業は環境に負荷を及ぼす。その負荷の問題を保全の観点から防止す
るのがアセスメントの制度だ、そのために事業者が住民の意見を聞きながら一定のことを
する手続だ、こういうことを申し上げたわけである。それはこの審議会の審議で最初から
一貫していた認識だと思う。そのことからくる問題はどういう問題かというと、先ほどか
ら常識的には実質が統一的であれば形式は法律がバラバラでもいいというふうに分けた意
見が述べられているけれども、それは考え方がおかしいのではないか。むしろ、アセスメ
ント制度は電気事業法と別のところに立っているということが実質的なプリンシプルの第
1で、もう一つは、それは住民の参加でもって、よい保全の対策ができるように持ってい
くということの手続を苦労してつくっている。こういう2点がある。それに対して、個別
の事業法の中でやった方が実質的だとおっしゃる意見がいくつかあったが、それではアセ
スメントの客観性が失われ、不信を招く。一本のアセス法でやったらどこがいけないのか
ということについては、全く説明はなかったように私は思う。
○ 今のお二方の発言は、その前に部会長が質問なさったことから始まっているのだと思
うが、私の感じは、ここは部会長が委員一人一人の賛否を問うという形ではなくて、そう
すると、その案はいかなる意味の案かということになるわけである。私自身は、今、清水
小委員長が言われた統一法であってはいかん理由は、実は通産省の人から聞かされてい
る。だけど、それはこの審議会では何も出てきていない。私自身もそれに完全に納得した
わけではない。そういうような事情は一人一人の委員にそれぞれおありだろうと思うの
で、ちょっと出すぎた話だが、やはり部会長の取りまとめの案をお示しいただいた方がい
いのではないかと思う。
(部会長) そこで申し上げるが、今までは、合意を得られたところまで書いているとい
うことである。そして、その場合に、ここではやったことはないが、多くの審議会で合意
が得られないものについては、両論併記というか、少数意見もきちっと書くというのが審
議会のあり方。つまり議決機関というよりも審議機関であるので。そこで私は、先ほどの
「統一的で、透明性が保たれ、わかりやすい制度」という提案があるけれども、それにつ
いて賛成の方はなぜ賛成かということではなくて、合意ができないという方がおられた
ら、挙手でなくて声で結構だと申し上げたのは、どの人がどうというよりも、もしもそう
いう方がおられれば、今までの発言からも推測はつくが、それを確認した上でさらにこの
議事の進行について申し上げたいと考えている。
○ 時間もないので、今いろいろとお話が出た点について私もいろいろ意見を申し上げる
のは差し控えさせていただきくが、統一法でいいか、単独法でいいかというのは、どちら
かといえば、立法の便宜論になって、どういう形のものがより国民に対してわかりやすい
かという判断だろうと私は思う。したがって、そこの点については見解が分かれたという
ことだと思う。今部会長が「統一的な」ということをおっしゃったのをどういう表現で入
れるか、もう一回正確にしていただければありがたいと思うが、これは実質か形式かとい
うと、いろいろ議論が分かれるかもしれないが、もし実質というふうに解していいのであ
れば、私は、「統一的な」という表現を入れることには特に異存はない。
(部会長) 一つ考えていたのは、私は、各委員の御意見を伺っており、前回の部会以後
の状況に対する非常な皆さんの懸念あるいは不信と申し上げてもいいのかもしれないが、
懸念がある。しかしながら、懸念の対象はどうなっているかということについて我々の方
で把握しているわけでもない。そこで私は、皆さんがどういうふうにお考えになるのであ
れ、一つの意思の表明として、前回とは違って、そういう文言を入れることについて合意
が得られるならば、入れる。もしもそうでないということならば、しかし今日の審議は非
常に重要な審議だと思うので、これは一つの私の提案というか、具体的なプリンシプル、
このプリンシプルのここはこうという問題よりも、基本的には、我々が出そうとしている
原則が骨抜きになるのではないかという懸念が非常に強い。そのことが「統一的な」とい
うような提案になっているのだろうと思う。しかし、異論があるならば、この審議の状況
はきちっと踏まえなければいけない。そこで、次回までに私どもが考えてきたこと、例え
ば、これも言葉は十分考えてないが、私どもがやってきたことは、アセスメントについ
て、これを法律にする、その場合にはどういう法原則を踏まえるべきだということについ
て検討してきた。しかも、その場合には、どの業種を例外にするということなく、すべて
の業種に共通してどのような法原則があるべきかというふうに考えてきた。解釈は自由で
あるが、その意味では、統一的な枠組みを私どもは考えてきたわけである。しかし、その
後に、法制化する、そして、この法原則を踏まえるというふうにおっしゃった上で、法律
形式的に別のものが出てきている。それに対する非常な強い反発ないしは懸念が各委員か
ら表明されたところであるので、我々がやってきたことは、そういう法原則についての統
一的な見解を取りまとめてきたという経緯、それに対して、統一法というような文言を入
れるという考え方と、それを入れるべきではないというお考えもある。答申案に書くとす
れば、そういうことを書かなければならないのではないか。
そこで、私としては、議事録にきちっととどめた上で、合意は得られなかったが、強い意
見で、最近の状況について懸念が述べられ、そして、我々の考えているようなものが骨抜
き、これも言葉は後で考えるが、骨抜きになるのではないかという強い懸念が表明されて
いる。このことについて、議事録の中に、議長の確認ということできちっと入れさせてい
ただいて、先ほど総理大臣ならばとおっしゃったが、これは総理に提出するので、その
際、議長として、この答申をまとめるに当たっては、そういう懸念が表明されているの
で、ぜひ我々の出しているアセスメントの法原則がいささかもゆがめられることのないよ
うに、総理大臣としてきっちりと御裁可されたいということをお伝えする。本日修文が合
意を得られないということであったならば、そのようにさせていただくのはいかがだろう
か。私は、両論併記というのは、この審議会としては最もまずいやり方ではないかと思っ
ている。
○ 最終的なことが何かよくわからないが、先ほど部会長が、否定される方は声を上げて
ほしいとおっしゃられて、声を上げられた方はお二人とも異論はないとおっしゃった。だ
れも否定してないのだから、それに従って、先ほどおっしゃった「統一的」という言葉を
お入れになるのが総意ではないかと私は思う。
(部会長) こういう前提ならば、というのがあったので、私はそこまでお引き受けする
自信がなかったが、それでは、4ページの9行目、「また、基本原則を具体化するに当
たっては」の後、「統一的で、透明性が保たれ、わかりやすい制度」ということでよろし
いか。
○ 先ほどは「統一的な枠組み」とおっしゃったのではないか。
(部会長) 「統一的で」という提言と「統一的な枠組みの中で」という提言があった。
そこで私としては、「統一的で」ということで、そこでいろいろクオリフィケーションが
ついたから、私は、クオリフィケーションのついたものは一応合意ととりかねたが、私と
しては懸念を持つけれども、「統一的で、」という言葉を入れるということでよろしい
か。
○ 「透明性が保たれ」につながるのだったら、「統一性がとれ、透明性が保たれ、」と
いうことではいけないか。
(部会長) それにしても、この修文で必ずしも満足なさらない委員もいらっしゃると思
うので、今日の議論については、骨抜きになるというような懸念が強く述べられている、
ぜひ政府としてはここに書いた原則についていささかも譲ることのない法制度をつくって
くれということを改めて総理に申し上げるということは少なくともしたいと思う。
○ 議事録云々という部会長のお話があったので、私の意見としては、これは枠組みの問
題であって、法形式を意味するということについては、私は留保させていただく。その前
提で、この表現に異存はない。
(部会長) そういう意見もあるが、なおかつ、枠組みとしてもそうすべきだという意見
もあるので、そういう意見が強くあったということは議事録に書かせていただく。「統一
的で、透明性が保たれ、」ということで次回修文させていただくが、私は、今日の発言が
それでよかったということにはならないと思う。しかし、それ以上のことを答申に書き込
むことは困難だと思うので、今日の議論について、私の発言ということで、先ほど申し上
げたようなことを、私が後から文章を作って、それが議事録というのも変なものだが、
ずっと流れの中でそういうことを申し上げているので、十分に言葉を選んでないので、趣
旨としては、従来私どもが議論してきたのは、法律をつくるということ、それの法原則を
つくる、その意味では、業種間を越えて、一般的なものを前提にして我々は議論してき
た。そして、これはどこの省庁などということは言えないが、現在の状況の下で、例外を
つくることによって我々の原則が骨抜きにされるのではないかという強い懸念が述べられ
ている。そこで私としては、そのような懸念を部会長としてもきちっととらえて、そうい
う懸念を総理にもお伝えして、政府に一層の奮闘をお願いするということにしたい。次回
までに議事録を作り、これは私の責任においてやるので、それを審議いただくというので
はなくて、次回それを報告して確認いただくということにしたいと思う。文言としては、
「統一的で、」というのを入れる。
それから、先ほどから「意味でも」とか、いろいろあったが、これは一任いただいて、国
語学的にあまりおかしくないようにするので、次回にそれも含めてお示しすることにさせ
ていただく。
○ いろいろ議論いただいた末、「統一的で、」、私は「統一的枠組みの中で」とさっき
申し上げたが、「統一的で、」が入ることに賛成。要は、ここにもあるように、ブロック
別ヒアリング等をやって、いろいろと国民各界各層の意見を頂戴してまいって、それなり
にこの答申に対しては期待をお持ちになっておられると思うわけで、立法技術がどうのこ
うのということももちろん大事なことだが、国民の方々にこの答申の内容が理解いただけ
るような、また、バックアップいただけるような内容でなければ困ると思うので、今のと
ころも一番大事なところだと思う。
○ 確認だけなのだが、今、骨抜きになることの懸念が示されたということをおっしゃら
れて、そのとき同時に、別の枠組みをつくることに対する懸念というか、そういう反対の
声もあったということも入るのか。
(部会長) はい。今日の雰囲気をどれぐらいサマライズできるかわからないが、強い意
見があったということを議長として確認させていただくということにさせていただく。

<本件に関する問い合わせ先>
中央環境審議会企画政策部会(環境影響評価関係)事務局
(環境庁環境影響評価制度推進室)
TEL 03−3581−3351 FAX  03−3581−4815
室長(環境影響評価課長):高部 正男  (内線6283)
主査(環境影響審査室長):寺田 達志  (内線6284)
課長補佐        :北沢 克巳  (内線6286)