今後の化学物質による環境リスク対策の在り方について(中間答申)


−我が国におけるPRTR(環境汚染物質排出移動登録)制度の導入−
















平成10年11月


中 央 環 境 審 議 会







目   次




はじめに

1.化学物質に関する環境保全対策の現状と課題
 1−1 我が国における対策の現状

 1−2 今日の化学物質問題と環境保全上の課題

 1−3 国際的な動向等

 1−4 今後の化学物質対策の基本的な方針



2.PRTRを機軸とする化学物質対策の展開

 2−1 PRTR導入の背景

 2−2 PRTRに期待される多面的な意義

 2−3 PRTRにより得られる情報の公表及びリスクコミュニケーション


3.PRTRの導入の在り方


 3−1 導入に当たっての基本的な考え方


 3−2 PRTRの実施に関する考え方


 (1)排出移動量報告手続の考え方
 (2)対象物質
 (3)対象事業場
 (4)報告内容
 (5)報告対象事業場による排出移動量の報告に関する支援
 (6)報告対象事業場以外からの排出量の把握
 (7)国と地方公共団体との連携
 (8)情報の公表等についての考え方
 (9)リスクコミュニケーションの在り方
 (10)PRTRデータの活用の在り方


4.今後取り組むべき事項

 4−1 科学的知見の整備・充実
 (1)基本的な情報の整備
 (2)環境リスク評価の充実と活用

 4−2 国際的なPRTRの普及と協調のための取組への参加

 4−3 化学物質に関する国際的なリスク評価・管理への貢献

おわりに


(参考)中央環境審議会環境保健部会委員名簿




はじめに

 現在の我々の生活は多数の元素や化合物を含む様々な製品を使用し、利用することによって成り立っている。
 これらの製品の製造、使用、廃棄の過程において様々な経路から環境に排出される元素や化合物(以下「化学物質」という。)の中には、人の健康や生態系に悪影響を及ぼすおそれがある性状を有しているものも多いため、それらの物質による環境の汚染に関する国民の不安が増大している。
 化学物質の排出による人の健康や生態系への影響を科学的に判断するためには、化学物質そのものの有害性のみならず、それらの化学物質の環境中における挙動並びに存在の態様及び程度、それらと人の健康や生態系への影響との関係などについての知見が必要とされる。
 一方、様々な化学物質による複合的な影響を含めて、現に存在する数多くの化学物質による人の健康や生態系への影響に関して十分な科学的知見を整備するためには極めて長い時間と膨大な費用を要することから、そのような科学的知見の充実を背景とした厳格な法規制を中心とする従来の対策手法には限界があることが指摘されている。
 このような状況を踏まえ、国際的にも様々な新しい取組が行われている。
 例えば、OECD*1(経済協力開発機構)が加盟国に対して行った環境汚染物質排出移動登録(Pollutant Release and Transfer Register: PRTR)の導入勧告を受けての各国の取組、「国際貿易における有害化学品及び農薬の事前通報・合意手続条約」(仮称。いわゆるPIC*2条約)や「残留性有機汚染物質(いわゆるPOPs*3)による環境汚染を防止するための条約案」の国際的な検討、OECDやIPCS*4(国際化学物質安全性計画)において国際的な分担により進められている化学物質の簡易なリスク評価の推進等が挙げられる。
 また、産業界においても、PRTRやMSDS*5(事業者間における化学物質の安全性に関する情報交換を目的とした化学物質安全性データシート)の普及等のレスポンシブルケア(企業が自主的に化学物質に関して環境・安全・健康面の対策を行うこと)への自主的な取組が進められている。
 このような国際的な動向や産業界における自主的な取組の状況、さらには国民・産業界・行政の連携等をも視野に入れつつ、より効果的な環境リスク対策の手法が求められていることを背景として、平成10年7月15日に環境庁長官から中央環境審議会に「今後の化学物質による環境リスク対策の在り方について」諮問がなされた。
 当審議会は、環境保健部会において、5回にわたる審議、学識経験者・産業界・NGO*6・地方公共団体の参考人からの意見聴取、国民意見の募集などを重ねてきた。今般、我が国において早急に導入すべきPRTRについてその制度の導入に当たっての基本的な考え方を中心として、検討結果を取りまとめたので中間答申する。


1.化学物質に関する環境保全対策の現状と課題

1ー1 我が国における対策の現状

 我が国では、過去の公害被害の苦い経験等を踏まえ、化学物質による環境汚染の防止に関して様々な法令に基づく厳格な規制等を実施してきている。
 既存の法制度に基づく化学物質対策には、
@大気汚染防止法や水質汚濁防止法等の環境への排出を抑制するもの、
A化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律や農薬取締法等のように化学品の製造・輸入の制限や使用・管理方法等を規定するもの、
B食品衛生法等のように化学物質の人への摂取を抑制するもの、
などがあり、主に人の健康の保護の観点から進められてきた。
 これらは相互補完的に機能し、化学物質による環境汚染の防止にそれぞれ大きな役割を果たしてきている。これらの法令に共通しているのは、個別化学物質ごとに設定された維持することが望ましい環境保全上の基準、有害性等に関する試験結果等に基づき、環境への排出や使用に係る基準等を厳格に定める規制を中心とした仕組みを設けていることである。
 一方、これまでの化学物質対策には、環境汚染に係る事件・事故の発生等の社会問題化を契機に強化が図られてきたという側面がある。
 こうしたこともあって、化学物質による環境汚染問題への対処という面では地方公共団体が大きな役割を果たしてきたことも事実である。すなわち、地方公共団体は、法制度の施行を担うとともに、地域の自然的社会的条件に応じたきめ細かな対策を進めてきているところである。

1ー2 今日の化学物質問題と環境保全上の課題

 化学物質対策は、化学物質が大気、水、土壌という環境媒体を通じて人の健康や生態系に悪影響をもたらす可能性について、科学的な知見に基づき的確に評価(環境リスク評価)し、社会的な合意の下でこれを適切に管理すること(環境リスク管理)を基本として推進されてきている。
 従来の規制的な手法は、今後とも化学物質による環境の汚染の防止に大きな効果を発揮することが期待されている。また、今後とも環境リスク評価や環境リスク管理の充実を図ることが必要である。
 一方、すべての環境媒体を全体的に見た対策が必要であること、数多くの化学物質による環境への負荷を総体として低減する必要があること、有害性を有する化学物質の数が膨大であること等から、今後、化学物質による環境への負荷をより効果的かつ効率的に低減するためには、さらに新しい手法の導入の検討が必要な状況にある。


 環境への負荷の原因となる化学物質の排出源は個別規制法の対象施設であるか否かにかかわらず多種多様であること、各排出源によって技術的経済的に最も効果の高い対策手法が異なり得ること等から、対象とする化学物質や発生源に応じて多様な対策手法を取り得るようにすることが求められている。
 そのような規制的手法以外の多様な対策手法があれば、環境媒体を通じた暴露の程度や、それによる人の健康への影響の程度等に関する科学的知見が必ずしも十分ではない化学物質についても、未然防止の観点から環境への負荷の低減を図る上で、効果的かつ効率的であろう。
 さらに、このような環境媒体を通じた影響等についての科学的知見が十分にないことや、それがあっても情報として正しく伝わらないことは、社会における化学物質に対する過度の不安の要素ともなり得るので、そのことに留意した対策も必要であろう。
 また、人の健康の保護はもとより、生態系の保全にも一層配慮して化学物質対策を進める必要があろう。

1ー3 国際的な動向等

 化学物質の環境上適正な管理は「環境と開発に関する国連会議」(いわゆる地球サミット)において持続可能な開発を達成するための最も重要な課題の一つと認識され、ここで合意された「リオ宣言」及び「アジェンダ21」を受けて、環境リスクの評価及び管理、それらに関連する情報の整備及び活用等を推進することが世界の潮流となっている。
 こうした地球サミットでの合意を受けて、OECDは1996年2月に加盟各国が環境汚染物質排出移動登録(PRTR)の導入に取り組むべきとの理事会勧告を採択した。
 PRTRは、行政庁が事業者の報告や推計に基づき化学物質の排出量及び廃棄物に含まれる移動量を把握し、集計し、公表する仕組みである。
 PRTRは米国、カナダ、オランダ、英国、オーストラリア等で既に法制化されている。また、多くの国々で導入を検討中であり、我が国でも環境庁がそのためのパイロット事業を行ってきているが、同様に韓国、チェコ、スイス等でもパイロット事業が実施されてきている。
 このほかにも、国際的に協調・協力しつつ、環境リスクの評価及び管理を進めるための様々な取組が推進されている。
 また、化学物質を取り扱う事業者による自主的な環境保全対策の促進が図られている。アジェンダ21の第19章においても促進すべきとされているレスポンシブルケア(企業が自主的に化学物質に関して環境・安全・健康面の対策を行うこと)、事業者の環境管理等の規格であるISO14000シリーズ*7の整備がこれに当たる。
 我が国でも(社)経済団体連合会が自主的に産業界の環境汚染物質の排出移動量を把握する等、PRTRに関する事業を行っており、また(社)日本化学工業協会はPRTR、MSDS(事業者間の化学物質の安全性に関する情報交換を目的とした化学物質安全性データシート)などのレスポンシブルケアを推進している。また、多くの企業がISO14000シリーズを取得してきている。

1ー4 今後の化学物質対策の基本的な方針

 これまで述べてきた化学物質対策に関する現状、課題及び国際的な動向を踏まえつつ、今後の化学物質対策を進めるに当たって基本とすべき考え方・方針を整理すれば以下のとおりである。
@人の健康及び生態系への影響を未然に防止するため、有害性がある化学物質による環境への負荷を可能な限り低減すべきである。
A化学物質による環境への負荷の低減は、多様な方法を用いてできる限り効果的かつ効率的に推進する必要がある。
B事業者、国民、行政が各々の役割を果たすことにより化学物質による環境への負荷の低減を進め得るような仕組みを検討する必要がある。




2.PRTRを機軸とする化学物質対策の展開

2ー1 PRTR導入の背景

 PRTRは、化学物質による環境への負荷の程度を把握し、そのデータを各主体が利用できるようにするものであり、環境への負荷の低減を図るための環境政策上の手法として有効である。
 PRTRの背景には、国民の環境情報の適切な入手と意思決定過程への参加を促進するというリオ宣言第10原則の考え方があり、さらに、アジェンダ21第19章における情報の伝達・交換を通じた化学物質の管理や化学物質のライフサイクル全体を考慮に入れたリスク削減の考え方がある。
 PRTRは、米国では化学工場の事故を契機として地域住民に排出量情報を提供する制度として成立している。欧州ではPRTRが環境汚染の管理の一環として用いられ、英国では施設の許認可の条件として排出量の把握が義務づけられてその結果が集計されており、オランダでは国の環境保全計画において施策目標として掲げた環境汚染物質の排出量の削減の達成状況の点検にPRTRのデータが用いられている。このように、国によってPRTRの沿革は異なっており、これに応じて制度の仕組みも異なっているが、いずれの国においても環境に関する法制として、環境行政機関により実施されている。

2ー2 PRTRに期待される多面的な意義

 PRTRは、化学物質の排出量等の集計・公表を通じて、行政、事業者、国民、NGO
といった様々な社会の構成員がデータを共有し、環境への負荷の低減を進め得るという点が特徴の一つで、従来の規制的な手法とは異なっている。
 各国での経験を踏まえれば、PRTRには以下のような多面的な意義が期待される。
@環境保全上の基礎データとしての重要な位置づけを有すること。
A行政による化学物質対策の優先度の決定に当たり重要な判断材料となること。
B事業者の化学物質の排出量の削減のための自主的取組の促進に寄与すること。
C国民への情報提供を通じて、化学物質による環境リスクへの理解を深め、化学物質対策への協力及び環境への負荷低減努力を促進するものとなること。
D化学物質に係る環境保全対策の効果・進捗状況を把握する手段となること。

2ー3 PRTRにより得られる情報の公表及びリスクコミュニケーション

 PRTRの効果的かつ円滑な実施を確保するためには、PRTRにより得られる情報の公表及びリスクコミュニケーションが重要である。
 このリスクコミュニケーションとは、化学物質による環境リスクに関する正確な情報を行政、事業者、国民、NGO等のすべての者が共有しつつ、相互に意思疎通を図ることである。
 リスクコミュニケーションにおいては、PRTRにより得られる排出量情報のみならず、その理解に役立つ情報が併せて公表されて各主体の利用に供されるとともに、それらの情報についての疑問や相談への対応が的確に行われることが必要である。
 そのためには、情報の提供体制の整備、意思疎通のための手法の開発、意思疎通の場の設定、リスクコミュニケーションに係る専門の人材の育成など、多くの要素が必要となると考えられ、それを支える行政的な努力も重要である。
化学物質による環境リスクを正しく理解し、分かりやすく説明できる人材が育成され、確保されることは特に重要であるから、国が行う地方公共団体の職員に対する研修の拡充、地方公共団体による地域の実情に詳しい人材の活用、事業者等による人材の養成の強化等が図られることが望まれる。



3.PRTRの導入の在り方

3ー1 導入に当たっての基本的な考え方

 環境庁が進めてきたPRTRパイロット事業での経験や「PRTR技術検討会」(座長:近藤次郎東京大学名誉教授)での調査検討結果、同庁により招致されたOECDの「PRTR東京国際会議」(平成10年9月)の成果、産業界が自主的に行っているPRTRに関する取組及び諸外国におけるPRTRに関する制度を参考にするとともに、当面する化学物質問題を念頭に置きつつ、PRTRを活用して環境保全のための多面的な施策を推進できるよう、我が国にふさわしい制度を導入すべきである。
 すなわち、次のように、PRTRによって得られる環境保全上の基礎データが各主体に共有されることにより、事業者及び国民による環境への負荷の低減努力が促進されるとともにその状況が透明化され、さらにその低減努力が社会的に支援され、補完されるというような社会的な意義が大きい枠組みとすることを基本とすべきである。
@PRTRによって、有害性がある数多くの化学物質について様々な環境媒体への排出量及び廃棄物に含まれての移動量が、環境保全施策の基礎的な情報として把握できるようにする。
A個別の事業場からの排出量等の報告を得るとともに、それ以外の排出源についての排出量等の推計を行うことにより、PRTRの対象とする化学物質に係るすべての排出源からの排出量等を把握できるようにする。
B排出量データの集計及び公表並びにリスクコミュニケーションにより、化学物質による環境リスクに関する情報の提供及び理解の促進を図ることができるようにすると同時に、事業者及び国民による環境への負荷を低減するための努力の促進を図ることができるようにする。
C化学物質の環境における存在状況の調査(環境モニタリング)の効果的かつ効率的な実施等により、事業者及び国民による環境への負荷を低減するための努力を適正に支援し、補完することができるようにする。

3ー2 PRTRの実施に関する考え方

(1)排出移動量報告手続の考え方

 PRTR制度では、事業者から排出量等の情報が確実に得られることが基本である。
 公平性の確保、数値の信頼性の確保の観点からも、報告対象事業場からの化学物質の排出移動量の報告を義務化することが適当である。
 また、PRTRで報告、集計、公表されるデータは、環境への排出量等のデ−タであり、それを把握し管理することは環境政策にとって基本であることから、環境行政機関がPRTRの実施に主体的役割を果たすべきである。
(2)対象物質

 PRTRの対象物質は、人の健康への影響のみならず、生態系への影響も考慮して幅広く選定することとし、その際、化学物質の有害性及び暴露可能性の観点から環境負荷が大きいと見込まれる物質を優先的に選定することが適当である。
 また、既存の環境規制の対象物質もPRTRの対象に含め、より望ましい環境の実現と、環境行政の効果・進捗状況の把握に活用することが適当である。

(3)対象事業場

 PRTRの報告対象事業場の範囲は、対象物質の排出量を可能な限り報告により把握することを基本とし、化学物質を製造している工場だけではなく、化学物質を使用している事業場等も対象にし、できるだけ広くすることが望ましい。
 また、化学物質の取扱いの可能性や、事業者による排出情報の把握及び処理の技術的能力及び経済的能力を考慮して、事業の選定及び対象事業場の規模の裾切り要件の設定を行うことが適当である。
なお、裾切り要件の設定は、裾切りの規模が過大になることによって排出量の適正な把握に支障が生じないように行う必要がある。

(4)報告内容

 対象とする化学物質ごとに、報告対象事業場において大気、水及び土壌に排出される排出量、事業場の外に搬出される廃棄物に含まれている移動量並びに事業場の名称及び所在地などの関連情報を報告させることとするのが適当である。

(5)報告対象事業場による排出移動量の報告に関する支援

 事業者による排出量等の算定を容易にし、事業者の負担を軽減するために、化学製品中の成分情報の提供体制の整備や、排出量算定のためのマニュアルの整備・充実に努める必要がある。
 こうしたマニュアルについては、環境庁が行ったパイロット事業において、事業者への支援方策として有効であることが確認されている。
 事業者は、可能な限り高い精度で排出量等の報告を行うことを旨として、事業場の実情に応じて次のいずれかの方法による推計を行い、得られた排出量等を報告するものとし、報告のために排出量の実測を行うことを必須としないことが適当である。
@排出量算定のためのマニュアルに基づく推計
A事業者の工夫による適正かつ合理的な方法により行った推計
B実測データに基づいた推計
 加えて、電子情報システムの普及状況を踏まえ、事業者が電子媒体によっても報告できるよう配慮すべきである。
なお、例えば同様な工程を有する事業場の排出量等を比較して大きな差異があれば推計方法の点検を行うことなどにより、排出量等の報告の信頼性の確保を図ることも必要である。

(6)報告対象事業場以外からの排出量の把握

 報告の対象とならない事業場からの排出量並びに自動車走行等の移動発生源、家庭及び土地利用からの排出量については、行政が可能な限りの精度を確保して推計し、報告対象事業場の排出量と併せて集計することが必要である。
 排出量の推計は、排出源及び化学物質の種類に応じて、全国的な統計資料を用いて行う、報告対象事業場の排出量データから類推して行うなど、最も適切な方法を選択して行うことが適当である。

(7)国と地方公共団体との連携

 PRTRによって得られるデ−タを全国レベルや地域レベルでの化学物質対策に関し、広く関係者の理解と協力の下で有効に活用できるようにすることが必要である。
 データの収集に当たっては、可能な限りきめ細かく報告方法等を周知徹底すること等により、デ−タの精度の確保や報告者間の公平性・統一性の確保を図るべきである。
 そのため、国と地方公共団体が連携してPRTRの普及定着が図られるようにするとともに、事業者からの報告に関して国において統一的なルールを示すこととすべきである。
 また、地方公共団体においてもPRTRを有効に活用しやすくする仕組みとすることが必要である。

(8)情報の公表等についての考え方

 PRTRにおいては、事業場からの報告並びに小規模事業場、家庭、自動車走行等の移動発生源及び土地利用に関する推計を集計することによって、対象とする化学物質の排出量等の全貌を明らかにするデータが得られる。
 この情報が社会の様々な構成員に正しく理解され、活用されるようにする観点から、化学物質ごとに、環境媒体別、発生源の種類別、地域別等に集計するとともに、表現方法も工夫すること等により、分かりやすく公表するよう努めるべきである。
 また、排出量データを電子情報化することにより集計の迅速化を図るとともに、集計情報の公表においても電子情報システムの活用によって利用者が容易に入手し得る仕組みとすべきである。
 なお、個別事業場データについても開示の請求があれば可能な限りそれに応ずることとし、それらの情報が正しく理解されるようリスクコミュニケーションの推進に努めるべきである。
 一方、諸外国のPRTRでは、厳格な判断の下に企業秘密とされた情報については、排出量データの公開等に当たって保護される仕組みとなっている。これら諸外国の仕組みでは、担当行政機関が企業秘密も含めて化学物質の排出量全体を把握できるようになっていること、実態として企業秘密と判断された件数が少ないことから、企業秘密を保護することはPRTRによって排出量を把握する上での障害とはなっていない。
 我が国においても、たとえ企業秘密とされる排出量情報が少なかったとしても、それを保護する必要があり、また同時に化学物質の排出量全体を把握できるようにする必要がある。企業秘密については、関係する他の法制度との整合を図りつつ、その拡大解釈ができないような一定のルールを定めて公正にかつ透明性を確保しつつ判断できるようにすべきである。

(9)リスクコミュニケーションの在り方

 環境中にある化学物質による環境リスクは、科学的知見を利用して行う科学的な判断を基礎として、社会的に合意し得る程度とすることが望まれる。
 そのためにはPRTRの実施によって得られた情報を含め、環境リスクに関する様々な情報があらゆる主体に共有され、理解されることが必要である。
 こうした観点からすれば、PRTRの結果の公表に当たり、排出量データが誤って理解されることや意思疎通の困難性を危惧する事業者の意見が多いことを踏まえ、国や地方公共団体が、有害性に関する情報提供や、環境リスクに関する説明等を併せて行うよう努めるべきである。
 一方、リスクコミュニケーションの一環として、事業者により自主的なPRTRデータの公表とそれに関する説明が行われることが望ましい。そうした積極的な努力を支援するために、行政やそれと同様に中立性が確保された者が関与することにより関係者間の円滑なリスクコミュニケーションの推進が図られることも重要である。
 また国や地方公共団体においても、自ら又は知識・経験のある者や団体等の協力を得て、事業者・国民の相談や問い合わせにきめ細かく対応できるよう配慮することが望まれる。
(10)PRTRデータの活用の在り方

 化学物質は社会経済活動や国民生活に幅広く利用されており、その過程で、あるいはそうした活動に伴って、様々な排出源から排出されている。
 そのため、化学物質の製造や加工に関わる事業のみならず、他の事業を営む者や国民生活においても、化学物質による環境への負荷を低減させるという考え方が必要である。
 PRTRは、事業者にとっても国民にとっても化学物質による環境への負荷の低減に努める契機となり得るものであるので、それにふさわしい公表や活用方法を考えるべきである。
 そのような取組を促進し支援する上で行政が一定の役割を果たすべきであり、例えば化学物質による環境への負荷が増大しないようにするためには、事業者の自主的努力、国民の理解と協力、公的な視点からの支援的取組が総合的に効果を発揮することになろう。
 このような公的な施策としては、環境モニタリングの充実、排出量抑制のための技術開発、より安全な化学物質への代替を促進するための調査・研究、公共事業の効果的な促進、知識や技術の普及啓発等が考えられるが、それらの多種多様な対策を可能な限り効果的かつ効率的に進められるようにすべきであり、また、国と地方公共団体が連携して取り組めるよう配慮すべきである。
 なお、人の健康への被害や生活環境の保全上の支障の発生を防止するための必要最小限の規制は既に行われていることにかんがみ、公的な役割として、PRTRの結果の公表が国民にむやみに不安を生じさせることがないよう積極的に意識啓発等に努めるべきである。



4.今後取り組むべき事項

4ー1 科学的知見の整備・充実

(1)基本的な情報の整備

 環境モニタリングデータ、化学物質の排出量データ及び化学物質の有害性や環境中の挙動特性等に関するデータ等は、いずれも化学物質に関する環境リスク評価及び管理を適切に進めていく上で重要な基本情報である。
 PRTRが実施されて化学物質の排出源や排出量等に関するデータが整備されることは環境保全施策の推進に有効であるが、他の基本情報の整備・充実も引き続き必要である。
 PRTRは、他の基本情報をより効果的かつ効率的に整備する上でも大きな効果を有することが期待される。
 例えば、排出量データを国や地方公共団体が環境モニタリングを強化すべき化学物質の種類や地点等の検討に参考として活用することができよう。
 一方、化学物質の有害性や環境中の挙動特性等に関するデータは、PRTRを有効かつ円滑に推進するためにも必要であり、その観点からも今後一層の整備・充実を図り、PRTR対象物質の追加等に反映するべきである。

(2)環境リスク評価の充実と活用

 環境リスク評価は、定量的な基準の設定の際の科学的根拠等として用いられており、今後とも手法の向上や人材の養成を図りつつ、これを推進・充実させていかなければならない。
 今後は、環境モニタリングデータ、排出量データ、有害性や環境中の挙動特性等に関するデータ等の基本情報の整備を図りつつ、環境リスク評価をより迅速に行うことを旨として環境リスク評価の手法及びシステムの更なる開発に努め、未然防止の観点に立った環境リスク管理への活用を図る必要がある。

4ー2 国際的なPRTRの普及と協調のための取組への参加

 OECD加盟国においてはもちろん、非加盟国においても、新たな環境リスク管理の手法としてPRTRについて関心が高まっており、導入に向けた取組が進められている。
 平成10年9月に開催されたOECDの「PRTR東京国際会議」においても、OECD加盟国のほか、アジア、アフリカ、東欧、中南米諸国や地域、国際機関から、行政、産業界、学界、NGOの実務責任者等多数が参加し、今後のPRTRの方向性について活発な議論が交わされたところである。
 我が国としても、環境庁に蓄積された、パイロット事業の実施を通じて得られた知識や経験、OECDの「PRTR東京国際会議」を招致し運営協力することによって培われた国際的な関係を活かして、PRTRの導入を検討しているアジア諸国などに対する技術的支援等の国際的な協力の実施可能性について検討を行うべきである。
 また、既に環境庁が参加してIOMC*8(健全な化学物質管理のための組織間プログラム)(OECD、UNEP*9(国連環境計画)、WHO*10(世界保健機関)等により構成されている国際機関の協議会組織)の下で進められている国際的なPRTRの普及と協調のための取組等の国際機関による取組にも貢献すべきである。

4ー3 化学物質に関する国際的なリスク評価・管理への貢献

 国際的な協力・協調の下で、多くの科学的知見を集約して実施されてきた化学物質のリスク評価の成果として、IPCSによる「環境保健クライテリア」がある。
 近年、OECDやIPCSにおいては、国際的な分担の下で、生産量が多いこと等による優先度によって対象とする化学物質を選択し、簡易な手法によってリスク評価を行うプロジェクトが進められている。その結果はリスク管理に活用し得るものとして提示されている。
 我が国としても、このプロジェクトにより積極的に参加し、基礎的なデータの整備と新しい手法による効率的なリスク評価の推進に協力していく必要がある。
 さらに、「国際貿易における有害化学品及び農薬の事前通報・合意手続条約」(仮称。いわゆるPIC条約)や「残留性有機汚染物質(いわゆるPOPs)による環境汚染を防止するための条約案」の国際的な検討のような化学物質に関する国際条約関係の動向に注意を払い、また、有害性による化学物質の分類とラベル表示の調和を推進しようという動きや、OECDにおけるリスク管理に関する検討等にも留意しながら、国際的な協調の下で、化学物質に関するリスク管理の推進に貢献すべきである。



おわりに

 環境中に排出された化学物質によって人の健康や生態系に何らかの影響が生じているのではないかという国民の不安が高まっており、政府においてPRTRの制度化をはじめとする化学物質対策を強化することが望まれている。
 環境庁が行ったPRTRのパイロット事業に関する報告や環境保健部会の討議資料に対して、国民から多数の意見が寄せられたことは、その一つの証左であろう。
 同部会においては、このような状況を踏まえ、化学物質による環境への負荷の低減対策の一環としてPRTRを導入することが急務であると認識し、PRTRの制度化に関する基本的な論点についての検討、取りまとめが行われた。
 当審議会としては、政府において、この報告に示した考え方に基づき、予防原則に立って、早急に我が国にふさわしいPRTRの法制化が図られることを希望する。
 一方、平成10年9月にOECDが開催した「PRTR東京国際会議」における報告等においては、既にPRTRを導入している国が制度を柔軟に見直していること等が明らかとなっている。
 例えば、先進的にPRTRを導入した米国やオランダにおいては、施行状況や政策効果を踏まえて適宜改善を加えている。また、近年PRTRを導入したオーストラリア等においては、先進的にPRTRを導入した諸国の経験等を参考としつつ、それを踏まえて独自のPRTR制度が構築されている。
 我が国においても、早期にPRTRの制度化を図るとともに、その施行後の状況や効果、化学物質に関する科学的知見の充実状況、各国の制度運用の状況等に応じて、化学物質による環境への負荷を可能な限り低減し、よりよい環境を目指すという立場に立って、常により一層環境保全効果の高い制度とするための努力と検討を加える所存である。



(参考)

中央環境審議会環境保健部会委員名簿


部 会 長 井形 昭弘 (財)愛知県健康づくり振興事業団副理事長
部会長代理 安原  正 さくら総合研究所顧問
委 員 浅野 直人 福岡大学法学部教授
〃 江頭 基子 全国小中学校環境教育研究会会長
〃 角田 禮子 主婦連合会参与
〃 北野 大 淑徳大学国際コミュニケーション学部教授
〃 小早川光郎 東京大学大学院法学政治学研究科教授
〃 近藤 雅臣 大阪大学名誉教授
〃 櫻井 治彦 労働省産業医学総合研究所所長
〃 佐和 隆光 京都大学経済研究所所長
〃 清水 誠 東京大学名誉教授
〃 鈴木 継美 東京大学名誉教授
〃 竹宇治聰子 日本マスターズ水泳協会理事
〃 竹内 輝博 (社)日本医師会常任理事
〃 辻 義文 (社)日本自動車工業会会長
〃 野中 邦子 茨城県人権擁護委員連合会会長
〃 宮本 一 関西電力(株)取締役副社長
〃 森嶌 昭夫 上智大学法学部教授
〃 横山 長之 (財)日本気象協会調査事業本部参与
特別委員 宇野 則義 (財)日本自動車輸送技術協会会長
〃 長田 泰公 国立公衆衛生院顧問
〃 香川 順 東京女子医科大学教授
〃 木原  誠 (社)日本鉄鋼連盟環境政策委員会委員長
〃 七野 護 (財)日本産業廃棄物処理振興センター理事
〃 西山 紀彦 (社)日本化学工業協会総合対策委員会技術環境部会長
〃 林 裕造 北里大学薬学部客員教授
〃 前田 和甫 東京家政大学家政学部教授