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第6回水俣病問題に係る懇談会
会議録


  1. 日時:平成17年11月28日(月)13:00〜15:10
  2. 場所:環境省第1会議室

午後1時00分 開会

○柴垣企画課長 それでは、定刻になりましたので、ただいまから水俣病問題に係る懇談会の第6回を開催させていただきます。
 本日は、ご多忙中にもかかわらず、8名の委員の皆様にお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。まだ見えられておりませんが、屋山委員も若干遅れてご到着という連絡をいただいておりますので、よろしくお願いします。
 それでは、議事に先立ちまして、小池環境大臣からご挨拶をさせていただきます。

○小池環境大臣 小池でございます。
 先生方、本当にお忙しい折に、今回で6回目になります、水俣病問題に係る懇談会にご出席賜りまして、まことにありがとうございます。それから立教大学の助教授の関先生、本日新潟の水俣病を取り上げて、その経緯と現状についてご報告をいただくということで、ありがとうございます。それから、丸山委員からは、熊本、鹿児島地域での実地調査のご報告をいただき、前回ご議論いただきました過去の責任の帰結としての地域社会の問題構造についてご議論いただくということになっております。どうぞよろしくお願いいたします。
 今の水俣病問題の状況について、若干ご報告をしておきます。認定申請者が3,300人を超えまして、そのうち500人を上回る方々が、国、熊本県、チッソに対して裁判を提訴されているという動きがございます。一方で、被害者の方々の日々の健康上の問題を軽減しようということで、医療費などを支給いたします新保健手帳について、10月13日から受付を再開いたしましたが、現時点で773人の方が申請されておられます。地域での個別相談会など、関係県にご努力いただきまして、地元への周知が進んできたということも一つあろうかと思っております。今後も多くの被害者の方々が安心して暮らしていただけるような取組を進めてまいりたい、このように思うところでございます。
 これまで一体何があって、何がなくて、何をすべきだったのかという検証事項、回を重ねて、より深く、そしてより広くなってきたものと思われます。当初から申し上げておりますように、失敗の本質、どこにその問題、根源があるのかということをぜひとも先生方の活発なご議論の中から、一つでも多くのヒントをちょうだいできればと思っているところでございます。
 本日、このまま懇談会を全部お聞きしたかったのでございますけれども、諸般公務が入りまして、まことに恐縮でございますが、このご挨拶の後失礼をさせていただく無礼をお許しいただきたいと思います。本日もどうぞよろしくお願いいたします。

○柴垣企画課長 それでは、まず資料の確認をさせていただきます。議事次第のところに配布資料ということで、資料の1から3、それから参考資料1、2ということで、示させていただいております。参考資料の1は前回の議事録でございまして、あらかじめ各委員にお送りしまして確認をいただいておりますけれども、今日この会議の終了後にホームページに掲載いたしますので、もし何かございましたら、会議終了時までにお願いいたします。それから、参考資料2といたしまして、今、大臣の挨拶にもございました、水俣病問題の申請者や、保健手帳の申請者など、最新の数字を掲げさせていただいておりますので、前回懇談会で委員からご指摘がございました、情報の共有ということの一端になればということでございます。よろしくお願いいたします。
 では、以降の議事進行を有馬座長にお願いいたします。

○有馬座長 それでは、議事進行に移らせていただきたいと思います。今日は、皆様お忙しいところ、ありがとうございました。
 まず初めに、本日の懇談会につきまして、非公開にする必要は全くないと思いますので、原則どおり公開したいと思いますが、よろしいでしょうか。

(「異議なし」の声あり)

○有馬座長 それでは、本日の懇談会は公開で行い、議事録は出席された各委員の承認、了解を頂いた後に、環境省ホームページに掲載し、公開させていただくことにいたします。
 さて、本日の議題でございますが、まず、新潟水俣病の経験・現状・教訓についてということで、長くこの問題の研究をされておられます立教大学助教授の関礼子さんに特別に出席していただきましたので、先生の発表を受けて、前回の懇談会で議論いただきました熊本の水俣病の経緯などとの比較も含め、質疑応答をさせていただきたいと思います。次に、丸山委員から、水俣病の認定申請者の生活実態調査について発表していただき、新潟も含め、現在の水俣病関係地域の問題構造につきまして、議論を行いたいと思います。
 なお、水俣病のうちでも、新潟で起こった新潟水俣病につきましては、さらに次回の懇談会で、関係団体であります、水俣病共闘会議の高野さんと、阿賀の会の旗野さんからもヒアリングをしたいと考えているところでございますので、その点ご記憶賜れば幸いです。
 では、議事に入ります前に、前回の懇談会においていろいろ発言がありました、その内容につきまして、ご欠席された方へのご報告も含めまして、簡単に事務局から説明をしてもらいましょう。

○柴垣企画課長 それでは、資料1をご覧いただきたいと思います。
 前回は過去の水俣病問題の中心としての34年前後の状況についてご説明し、ご議論いただいたわけでございます。まず、最初のところでございますけれども、昭和32年の端緒の段階の行政や科学者の価値観や問題意識ということが水俣病問題の分かれ目になったということで、将来に向けての考え方として、専門分化した枠組みの中だけで問題処理しようとする、かわいた三人称の視点ではなくて、自分の立場に置きかえ、また、何とか対応できる方法はないかということを探るというような、二.五人称の視点という形に問題意識を変えられないか。そのために、どういう組織的な保障をもってすればそういった問題意識なり、対応なりを変えることができるのかということで、一例として、政府の中に被害者支援局というようなものをつくり、それがまた組織的な保障となって、問題意識なり、対応なりの変化を促していくということになるのではないかというようなご意見がございました。
 それから、政治的な解決といいますか、昭和34年末の紛争調停も政治的解決の一つですが、その後もいろいろな政治的な解決が必要な場合もあるけれども、その場合においてどのような問題を積み残したかということをはっきりさせておくことが重要ではないか。それから、懇談会の在り方みたいなことにも絡めて、やはり現実に問題が起こっている現地とかけ離れたところでの議論ではいけないというようなこと、それから行政の限界といいますか、すべて二.五人称ということにはなかなか難しい。また、政治と行政の役割ということ、さらには科学的な不確実性や未然の予防といったことに対して、行政も含めた政治、それから科学者が責任を取れないとすれば、倫理や説明責任、情報公開を越えたもう一概念ということが必要ではないか。
 また、日本のシステムの中で、即何かをする際には、行政の中ということだけでは動きにくいのではないか。それから、過去の中での教訓として、どういうことまでがわかったら原因として対応を講ずべきか。また、過去においては、訴えられれば受け、またそれがなければ放置するということであったけれども、やるべき時には対応するという、能動的な行政ということが必要ではないか。また、裁判では限定された責任の追及になるけれども、責任の全体像といいますか、今後の教訓ということも含めて、全体として責任がどこにあったかということについては、裁判任せではなくて、裁判以外の場でも議論していくべきではないか。また、強制的な権限の行使に対する反動ということがあって、そういった反動の重荷を背負える組織を考える必要がある。
 また、そういった組織の中で原因の科学的な調査ということを早期に徹底的にできるような仕組みも考えてくべきではないか。
 また、30年代に、必要な時期にメチル水銀の曝露調査がなかったことが、その後の救済における大きな混乱の原因になったのではないかといったようなご意見がございました。
 以上でございます。

○有馬座長 この点、何かつけ加えてご発言になっておかれるようなことがありましたら、お願いします。
 それでは、本日の議題に入らせていただきます。まずは、関礼子先生からご発表をいただきたいと思います。関先生は、嘉田委員と同じく環境社会学会のメンバーで、新潟水俣病の研究に携わっておられます。本年8月に開かれました新潟水俣病40年記念事業のシンポジウムで、コーディネーターを務められておられます。それでは、先生よろしくお願いします。

○関助教授 ただいまご紹介いただきました、立教大学の関と申します。本日は、新潟水俣病に関し発言する機会をいただきまして、まことにありがとうございます。水俣病と新潟水俣病を対比させながら、新潟水俣病の経緯と現状に関して、説明させていただきます。
 新潟水俣病というのは、ご存じのように、水俣病に次ぐ第二の水俣病として発生しました。しかしながら、水俣病を社会問題化させる上では非常に大きな役割を果たしたものでありました。新潟水俣病が発生することによって、熊本では既に終わったと思われていた水俣病問題が、まさに日本全国各地の問題である、公害問題の非常に大きな原点が水俣に解決されないまま残っているということを示すきっかけになったからです。
 新潟水俣病と熊本、不知火海沿岸の水俣病の違いとして指摘したいのが、新潟では一斉検診という方法で患者さんが発掘されたということであります。患者さんが、どのくらい被害を被っているのか、どのくらいの人数の患者さんがいるのかなどの被害把握をするために、行政が主体的に阿賀野川流域の一斉検診を二度にわたって行ったという経過があります。
 そしてまた、新潟水俣病は、どちらかというと、水俣病との対比でいえば、行政の対策がうまくいったので被害は軽い、それに比べて水俣病は非常に被害が深刻で大きいというような、比較対照の位置づけがされてきたということが、違いとして挙げられます。そして、そのような対比の構造が、新潟水俣病の被害現地において、被害者に苦痛をもたらす一因になってきたということが挙げられます。
 和解に至る過程では、環境省が特別医療事業というものを政策として出していたわけですが、その特別医療事業の適用から、新潟県が外されたという経緯がございました。同じ水俣病でありながら、新潟が対象外にされるというような経緯があったので、新潟の現地では、水俣病問題で新潟が置き去りにされるのではないかというような不安を常々持っておりました。そういう意味で、今回、新潟について、この懇談会で取り上げていただいたということは、新潟の現地で活動なさっている皆さんにとっても、非常に大きなニュースであるのではないかと思います。
 新潟では、現在、新潟県の泉田知事が、「ふるさとの環境づくり宣言」を公表しております。新潟水俣被害者の会、共闘会議は、この宣言に期待を持ちつつ、疑問も持っておりますが、地域の再生に県が果たす役割は非常に大きいだろうということで、さまざまな要望を出しているところです。
 さて、今、お話ししたような経緯に沿いながら、新潟水俣病は何を教訓として残してくれるのかということについて、具体的にお話しさせていただきたいと思います。
 1点目、先ほど申しました、第二の水俣病が起こるまで、水俣病の被害が解決されずに放置されていたという構造に関してです。新潟水俣病が水俣病を社会問題化させたということは、逆にいえば、社会問題化されるまで問題が解決されるような有効な対策がとられずにきたということを示しています。水俣病の教訓がいかされていないという言説が、しばしばとられます。例えば薬害HIVとか、BSE問題においても、水俣病の教訓は全くいかされていないという発言がございました。その場合、水俣病が教訓化されていないということは、行政の対応が後手後手に回って、問題の発生が未然に防がれることがなかったということを示すわけです。
 したがって、新潟水俣病が水俣病問題を社会問題化させるまで、何ら対応はとられなかったということを教訓化するならば、さまざまなこれから発生し得るリスクというものを、まだ社会問題化されていない段階で、対処しなければいけないということになると思います。
 そのようなリスクの問題に関しては、例えば化学物質とか環境リスクの情報が、研究者間でのみ伝達されるような状況ではなくて、行政にも伝わるような、あるいは一元的にどのようなリスクが問題になっているか、どのような環境問題が今現場でひそやかにささやかれているかという情報を蓄積するシステム、そしてまた、そこに集まった情報を分析して、例えば優先順序をつけて、対応を図っていくようなシステムを、省庁を越えて構築することを考えてもいいような段階にあるのではないかと思います。
 ただ、しかしながら、問題が大きくなる前に対策がとられたとしても、それだけでは被害を防げないというような場合もございます。例えば、新潟水俣病では、新たな被害を未然に防ぐ、被害の拡大を防ぐために、魚介類の採捕とか食用にすることを規制する行政指導がなされているわけです。この行政指導は、確かに出されてはいるものの、その情報が伝わっているべき地元の住民の人たちには、きちんと伝わっていなかったというような状況がございました。
 あるいは、先ほども例に出しましたけれども、薬害問題でも、例えば危険性が既に指摘されていても、医療現場において保管されていた薬剤、危険であるということが既に指摘されている薬剤が使われたという事例が、さまざま指摘されております。薬害HIVの事例でもそうですし、病院に保管された、既に危険性が指摘されていた乾燥硬膜を使って、薬害ヤコブ病が発症したケースなどが記憶に新しいかと思います。水銀に関しては、現在小児用のワクチンで保存剤として、チメロサールという水銀化合物が含まれており、それはよろしくないということで、減量の方向にあるんですが、同じ自治体の中でも、リスクの高い、すなわち減量されていないワクチンと、減量されているワクチン、両方が出回っているというような状況が実際にあるわけです。こういうような状況に対し、どのようにリスクの低い薬剤に切りかえていくかを考えたときに、例えば自治体の保健所を通じて必要な人に必要な情報が渡るようなシステムをつくるとか、あるいはどのような薬剤が使われているか情報を共有する。そういうような仕組みを、行政、国や自治体だけではなくて、地元で医療に携わっている者すべてが情報を共有するなど、リスクに関して関心を共有するシステムづくりが重要なのではないかと思います。
 さらに、重要なのは、社会問題を解決するというのは、2つの意味を持つということです。例えば社会問題を解決するときに、問題を鎮静化させる、世論の騒ぎを静めるという意味での問題の解決の方法と、現地で被害を受けている実際の人々が問題解決であると理解し、納得するというのは全く違うということも考えなければいけないかと思います。
 水俣病問題というのは、何度も鎮静化し、そしてまた何度も社会問題化してきたというような、波の流れを持ってきたわけですけれども、現地の人たち、被害者の人たちにとっての解決方法とは何なのかということを、認定制度の問題も含めて、考えなければいけない時期であろうということは、今までこの懇談会でも指摘されてきたとおりであります。
 水俣病問題に関しては、国内外に水俣病の教訓を伝えるという動きが積極的に検討されているわけですけれども、ただ単に水俣病の教訓を伝えるということが、ひとたび被害が出るとどんなに大きな被害になるかとか、あるいは被害を未然に防ぐことがどんなに重要であるかというような、理念的な、あるいは非常にわかりやすい図式だけではなくて、もっとその図式を制度、政策にいかせるような具体的な対応策とセットにして、国内外に発信していかなければならないのではないかと思います。海外への発信は、最近、かなり積極的に行われているようですが、国内においてさえ水俣病の教訓に関する発信は十分に行われてきたわけではないと思います。
 また、被害者にとっての解決というのは、実際に被害を受けた人にとっては真の解決、要するに健康を回復するとか、そういうようなことはもう既に不可能でありますので、被害者をどのように支援することができるか、社会全体としてどのように考えていくことができるかということが重要であります。その意味では、「人間は生きている」という非常に明確な原点に立って、支援策を考える必要があるのではないかと思います。すなわち、被害者が被害を受けてから、例えば大人になり、労働者として非常に活発に労働することができる時期を経て、老いていくというライフステージの中では、被害を受けた当初には考えられなかった困難に直面することもございます。したがって、時間軸を導入し、被害者がライフステージごとにどのような困難に直面するのか、そのときにどのような支援をすることができるのかということを考えていくことが、非常に重要ではないか。それは水俣病を教訓化すると同時に、他の類似の構造を持つさまざまな問題についても、同じように教訓化することであろうと考えております。
 バリアフリーというものが、障害者に対する社会の応援、支援という意味でつくられた。しかしながら、そのバリアフリーの恩恵は、ただ単に障害者だけではなく、赤ん坊連れのお母さんとか、お年寄り、あるいは荷物を持って大変なときなど、さまざまな人が享受できる。それが社会の豊かさになる。水俣病問題に対応するということで、社会がより豊かになる、そういうような支援策が考えられてもよいと思います。
 また、新潟水俣病の被害は、先ほど申しましたように、一斉検診によって発見されていったという経過があります。しかしながら、一斉検診という、いわば非常にすぐれたシステムを持っても、すべての被害者がそこで発見されたわけではないということを、考えなければいけません。被害を正確に把握するというのは非常に困難であります。被害地域の中では、実際に水俣病にかかってしまっては困るということで、検査を避ける、あるいは水俣病にならないように、認定されないように、検査のときには元気なふりをする人たちもいたわけです。そのような人たちが再度、状況が変わって、自分は水俣病だと訴える。新潟の場合は、集団検診、一斉検診をもう一度やってほしいというような要望が地域から出ました。しかしながら、その要望というのは、ただ一回きりしか認められず、その後集団検診の要望はありましたが実施されることはありませんでした。このような問題では、一回検査をすればそれで事足れりというわけではありません。制度としては水俣病被害者の発掘、あるいは発見をするための十分な策をとったということになりましょうが、実際の地域社会の中でその制度に対してどういうふうな対応、反応がなされたかということ抜きに、十全な対応策というのは実現不可能であるということを考えなければいけないと思います。
 先ほど小池環境大臣から、水俣においてどのくらいの人が裁判、提訴をしているか。あるいは新保健手帳を申請しているかというような数値のご紹介がございましたけれども、新潟では、不知火海沿岸の水俣病に比較し得ないほど、認定申請を新たに行っている人というのは少ないわけです。しかしながら、数値で示される被害がすべてではないと考えるならば、声を出せなかった被害者、あるいは声を出せないでいる被害者、声を出そうと考えていない被害者というものが、今なお新潟にも存在し、あるいは不知火海沿岸にも存在しているというふうなことに常に配慮をしていく必要があるのではないでしょうか。そういう意味では、被害者支援だけではなくて、地域社会への支援も必要となるかと思います。
 また、先ほど言いましたが、新潟水俣病は、水俣病との比較対照で議論になることが多いですが、数値に示される被害者数というのは、熊本に比べて非常に少ないということで、新潟水俣病の被害についての議論は、しばしば省略されたり、あるいは捨象されたりするという傾向にございます。そのような状況がどのように新潟の被害者に影響を与えてきたかということですが、新潟では、しばしば水俣病認定患者に対する、あるいは水俣病未認定患者に対する差別として、「水俣病というのは、熊本で出ているような、ああいう患者さんのことであって、ここら辺では水俣病の患者さんなんかいないんだ」という言説がたびたびささやかれる。結局、水俣病に比して、新潟水俣病の被害が小さいという言説が、地域の中でも一般化してしまっているということが指摘できます。
  しかしながら、そのような新潟での水俣病への差別的な言説を、ただ単に「差別しないようにしよう」というだけでは事足りない。なぜならば、その差別の言説というのは、ある意味で被害者同士の間で行われている差別だからであります。そのようなことを考えると、もやい直しは、新潟においても非常に重要であります。また水俣病の記憶を伝えるということも非常に重要であります。水俣病の記憶を伝えるというのは、熊本で、あるいは不知火海で伝えられるだけではなくて、新潟においても伝えられていくべきものと考えます。そのような意味で、新潟に関しても、水俣病公式確認50年事業をはじめ、さまざまな機会に、ぜひ水俣病問題と同時に取り上げていただきたいと考えております。
 さて、水俣市で行われているもやい直しですが、新潟県でもこのもやい直しを行おうというような、かけ声が今かかり始めたところです。水俣では水俣市という単位がもやい直しに非常に重要な役割を果たしているわけなんですが、新潟の場合は、新潟県がその役割を果たそうとしています。阿賀野川流域という、非常に広範な地域を網羅するには、しかしながら県だけではどうしても対処し得ない。県だけではなくて、市町村、あるいは市民、住民が積極的にかかわっていくということが重要になります。その意味で、もやい直しについても、ぜひそのノウハウを新潟県にもお伝えいただきたいと思うし、それがまた水俣病の教訓を伝えるということの具体例であると考えます。
 長くなりました、最後にまとめます。被害者は単なる教訓化の素材ではないので、水俣病の教訓化、あるいは海外への発信と同時に、今、生きている人々、被害者の現状を考えた施策をぜひお考えいただきたい。外へ向かって教訓化するという動きがある一方で、被害地域では、問題が取り残されるのではないかという不安を特に新潟では抱えております。そういうことに関して、ぜひご配慮ください。
 そして、第2点として、被害の重大さとか、あるいは被害を未然に防ぐことの重要性、被害が生じた場合の問題への対処、被害者補償等々に関して、海外に発信する場合には、特に具体的なシステムや制度とセットで教訓を伝えていただきたいということです。
 そして、第3点として、さまざまな市民レベル、草の根レベルの活動が活発に展開されるということが、教訓化でも非常に重要となります。それを育て、あるいは一緒に行政とともに伝えていくような行政の関与というものが欲しい。例えば、基金をつくるとか、あるいは積極的にタイアップしてイベントを行うなど、考えられてもいいのではないか。
 そして最後に、問題が発生、拡大する前に、適切な対応をとることができるような具体的な制度設計を、ここでも二.五人称の視点等々議論されておりますが、ぜひ具体化していただきたいというふうに考えます。
 以上、少し長くなりました。これで終わります。

○有馬座長 今のお話に対しまして、ご質問をいただきたいと思います。熊本県のことも考えに入れて、ご質問くだされば幸いです。

○嘉田委員 関さんは、20年以上にわたる水俣病の研究をしていらして、大変綿密な調査結果をまとめて本にしておられますので、それを読んでいただいたら背景の重さがわかると思います。その中で、私が特に注目したいのは、新潟で、もやい直しのような、いわば地域社会の再生というのが動きに出ているようですが、これにどう取り組んでいけるだろうかということです。地域社会学的に見ていきますと、新潟の場合には、ある意味で加害者が昭和電工という、60キロ上流の別の地域社会と考えていい。それに対して、被害は下流です。いわば、加害、被害の物理的位置関係、それがある意味で社会的な位置関係の遠さにつながりました。逆に熊本の場合には、加害企業と被害者が大変近接していた。近接していたがゆえに、もやい直しのときには、「対立のエネルギーを次の再生に変えていく」という、そこが吉井市長などは随分ご苦労なさったところだと思うんですが、そのような方向にいけた。対立があるということは、既に関心があるということだし、皆がかかわっている、あるいはかかわっていないように見えても、内々無視できないという関係です。新潟を二、三度訪問させていただきながら、関心さえない、対立の種さえ弱いのではないか、という社会状況のなかで、地域再生の問題にどう取り組んでいけるだろうかということを、応用問題として少し意見をいただけたらと思います。

○関助教授 新潟でもやい直しをしていく場合に、どのような取組が可能であるか、対立がない新潟という特徴をお示しいただきながら、ご質問をいただきました。
 新潟の場合は、不知火海沿岸とは異なりまして、あるいは水俣市の場合とは異なりまして、単一の運動団体が被害者運動を担ってきたという歴史がございます。したがって、その運動団体と、関係者のみが、新潟水俣病に関心を持っており、その他の人々は余り発言しない状況にあったかと思います。
 しかしながら、和解以降、中流地域の中で、次回こちらの懇談会でお話しくださる旗野さんという方が中心になって、地域の中でのもやい直し的な活動を既に始めております。そしてまた、「新潟県立環境と人間のふれあい館−新潟水俣病資料館−」ができているわけですけれども、そこでは語り部ということで、被害者が被害経験を語るというようなことをやっております。何もないところから、無から有を生み出すというのは難しい。しかしながら、今あるものをどうやって広げていくかというところから考えなければいけないのが、新潟ではないかと思っております。
 例えば、今、行われている活動は、どちらかというと個人とそのネットワークで支えられているような運動であったり、あるいは特定被害者の努力によって支えられているような状況であります。しかしながら、そのような運動に関して、被害者の人たち、運動に参加している人々は、地域社会に帰ると、「ああ、また水俣病の問題で騒いでいる」「ああ、またテレビに出たね」というようなことを言われる。40年を迎えた新潟では、非常に報道が活発になりまして、その結果、今まで先頭に立って運動を担ってきた人たちが、「できるだけ顔を伏せたい」とか、「マスコミには出たくない」というような状況が現にございます。そのようなことを考えると、地域に帰ったときの被害者の居場所を支えるような運動が、一つ重要になる。例えば新潟水俣病に関する対策も進められているわけですが、「新潟県が勝手に総合対策の認定をしてくれた」というような言説もささやかれるわけです。「これは水俣病の運動の成果です」というような説明であるとか、「被害者の運動があって、その結果こういう福祉、こういう対策が生まれたんだ」というような、細かいところに配慮した説明が欲しいと思います。
 そしてまた、現在展開されているような運動に関しては、それを阻害することなく進め得るような支援をお願いしたい。例えば、環境省がバックアップについた、新潟県がバックアップしているというようなことでイベントが成立するならば、それは被害者が地域に戻ったときのお墨付きになるのです。被害者だけではなくて、例えば、国が、行政が応援して、タイアップしてやっている。それを被害者主導でできるような仕組みというものも考えられていいのではないか。その意味でのファンド形成なり、その意味でのコラボレーションということであります。

○金平委員 水俣の時には、なかなか患者も自分が水俣病であるかどうかわからないままに、行政もこれを一斉に調べるというふうな、少なくともそういう乗り出しはなかったように思うんですが、今日お話を伺って、患者の発見に当たって一斉検診という方法がとられたということ、患者とその時自分がわかっていたかどうかはわかりませんけれども、そうでない人たちとの、本来対立の概念があったのではないかと思いますけれども、ここら辺のところを教えていただけないでしょうか。どうやって、一斉検診という、住民の中に行政が入ったのか、入れたのか。よろしくお願いします。

○関助教授 新潟水俣病の場合は、新潟水俣病が発生した当初から、新潟県と新潟大学が連携をとって、流域の住民の疫学的調査を積極的に進めたという経緯があります。それは、水俣病の教訓をいかしたということでもあります。その疫学調査を踏まえて、早目に被害の実態を把握し、そして次にどういう対処ができるかということを検討した。被害実態がわからなければ対応ができないということがございますので、その意味では、初期にすべき、非常に重要な調査であったというふうに考えます。
 一斉検診は、初めは新潟水俣病というのは下流だけというふうに思われていましたので下流地域だけ、2回目は、上流まで網羅した検診が行われました。水俣病というのは魚を食べて発症する病気であるいうことで、漁業組合員等々を中心に一斉検診の対象者が選ばれていくわけなんですけれども、新潟の場合は、海の漁師さんではないというところが大きく水俣病と異なっております。川で漁をするというのは、川の漁専門というのではなくて、農業をしながら漁をするとか、川を船で下って荷物をおろしたり、あげたりする、そういう舟運がありましたので、船頭さんなどをやりながら、魚を釣って食べるというような、まさに生活の中に漁があって、生活の中に魚を食べるという行為があるというような状況でした。したがって、初めに漁業組合員というような限定をしたことが若干悔やまれる。一斉検診は非常に重要な威力を発揮しますが、十分ではなかった。地域の実情、実情に見合った対策でなければ、あるいは実情に合わせて対策、政策を変えていかなければ、より正確な被害の状況を把握することはできないということがいえるかと思います。
 ただ、一斉検診が非常に重要だったのは、個の力ではなくて集団の力を引き出したということです。個人の力で、「水俣病ではないか」ということを訴えるのがいかに大変かということを考えてみてください。例えば、我々も、個々さまざまな病気を持っているということがあります。例えばガンであるとか、HIVであるとか、さまざまな病気を持っているときに、個の力で、「私はそのような病気です」と手を挙げることがいかに難しいか。新潟の場合は、一斉検診ということで、集団で検診を受けて、集団の勢いで認定までこぎつけることができたというようなことがありましたので、やはり集団の力というのは、さまざまな健康被害の問題を考える上で、非常に重要であるというふうに感じます。

○嘉田委員 今回の懇談会が行政の責任、行政の立場ということを考える上で大変大切な部分が、新潟の中で、一斉検診を可能にした行政的構造というものがございますね。これは、社会学の方ではキーパーソン論という、つまりそのときに大変重要な人物が、ある社会的な倫理観なりを持って、問題を社会問題化して、行政のフレームづくりに大変奔走した。具体的にもうよろしいかと思いますが、北野衛生部長さん、それから新潟大学の椿さん、それから現場の診療所で患者さんを発掘なさった齋藤先生、そういう人たちがどういう条件の中で生まれてきているのかということを、社会学としたら、それは北野さんや齋藤さんの個人の能力ですというのではなくて、少し分析をしながら、これからの行政マンはどうあるべきなのかというアドバイスをいただけるとありがたいです。
 一方、ある意味で熊本は問題が膨大過ぎて、個別の行政マンも出なければ、例えば医師も動けないということで、三すくみ、四すくみの状態で、長い間放置されていたという、その対比を見る上で大変重要だと思いますので、ぜひとも関さんに、その辺のキーパーソン論から行政が学べることを少し手短かに教えていただけたらありがたいです。

○関助教授 新潟水俣病の場合は、嘉田先生のお話にもありましたように、上流の昭和電工から下流まで、非常に被害範囲が広いということになります。水俣市の場合とは異なり、同じ市の中で加害と被害が両方存在するというような状況ではなかったので、ある種行政もイニシアチブをとってやりやすかったということもありましょうし、この懇談会でも何度かお話がありました、二.五人称の視点を持った行政マンとして、例えば北野氏がいらっしゃったというようなことも、非常に大きいかと思います。
 ただ、重要なのは、一人の人間が、たとえ二.五人称の視点を持っていようとも、ヒューマンな感情を持って行動しようと思っていても、それを許すような雰囲気がその組織の中に存在しているかどうかです。北野衛生部長は、たしか自分はさまざまなことをやれたけれども、それは、やらせてくれたというか、周囲の人は黙って容認してくれたというようなことを言っていたかと思います。行動を規制するのではなく、かといって行動することを積極的に応援しなくてもいい。やらなければいけないことをやろうとしているときに、その組織なり、行政全体が、どのようにその個人の行為を容認し得るか。見て見ぬふりができるかというような、そのような「ゆとり」とか「遊び」、そういう幅があるような組織というのが重要なのではないかと思います。
 そのようなゆとりとか、遊びとか、幅がある組織は、さまざまな問題に対応することが可能ではないかというふうに思います。機械は遊びがなくては動かない。行政も、遊びがなくては、さまざまな問題に柔軟に対応することができないと考えます。

○丸山委員 最初の経過のところで、新潟の場合には、特別医療事業が適用されなかったというのは、そういう必要な対象者がいたのに、そういう制度がとられなかったということですか。

○関助教授 もともと、熊本、不知火海の水俣病の問題がきっかけになって、このような特別医療事業というものが展開されることになったわけなんですけれども、同じ事業を新潟県で展開しようと思った場合、その対象者が非常にわずかである。問題の経過も違いますし、社会状況も違うということで、適用除外されたということがございます。

○丸山委員 一定期間長期に処分が保留とか、処分が出なかったケースというのは、熊本の場合は、長期にわたって認定申請しても処分が出ないという状況が続いて、そういうものに対してまた訴訟であるとか、いろいろ出てきた経緯があって、では、一定期間経った人については治療研究事業を適用しますというような経緯だったかなと思うんですけれども。

○関助教授 新潟では、それほど長期間にわたって認定申請が保留になったというケースではなく、その意味では、熊本とか、不知火海沿岸とは異なるわけです。しかし、特別医療事業が拡充されるというような段階に特に問題になり、新潟県も対象にという要望もありましたが除外された。除外される、要するに新潟は違うから除外されるということの現地における意味というものは、制度運用上、熊本、不知火海ではこの特別医療事業は適用して当然だけれども、新潟では若干適用しなくてもいい状況があったという、制度側の判断と、現地における判断というのは全く違うわけです。したがって、和解のときにも、水俣病関係の訴訟が全部終わって、新潟だけ残ると新潟は置き去りにされる。新潟の問題は絶対に解決されないということで、和解への足並みをそろえたというような雰囲気もございましたので、さまざまなところに影響が及んでいくということでございます。

○吉井委員 被害者の支援とか、救済にもお触れになられましたけれども、私は、被害者を支援する、救済するというのは、被害者が何を求めているのか、これはしっかり把握しないと、変なことになってしまう。むしろない方がいいということになりかねないと思います。
 支援の中には、医療支援とか、福祉支援とか、ございますけれども、最も大切なのは、やはり被害者が精神的に安定するように支援していくということだと思います。水俣の場合は、差別、中傷誹謗、こういうのがすごく渦巻いて、患者を大変苦境に落し入れたわけですけれども、そういうのを取り除いて、そして理解し、励まし、勇気づけ、助け合う。そういう温かい支援をつくっていくというのが、これが最も大切な支援であろうというふうに思います。
 それを受け持ったのが、もやい直しです。もやい直しは、崩れてしまった内面社会を正常に戻すというのが一つ、それから、患者をすごく精神的に迫害をした、これに対する謝罪というようなことも含まれておりますし、同時に、患者の精神的な支援、こういう意味合いを持っているわけですけれども、水俣の経験からすると、これはどうしても市民の自発的活動にほとんどがかかっているというふうに思います。行政がこれに直接かかわるということは難しいと思います。ただ、それをどう促していくかというのは、行政あるいは第三者機関の非常に大切な務めではないかと思います。
 そういう意味で、熊本県のもやい直しに対するかかわり合いというのがすごく適切だったというふうに思います。新潟で、もやい直しをこれからする、展開するということをおっしゃいましたけれども、やはり市民を主導にするような、バックからの促し、かかわり合い、この点については、熊本県のやり方が非常に参考になるのではないか、そう思います。

○加藤委員 きょうは、関先生ありがとうございました。
 水俣病の被害者がいるところに懇談会の委員がぜひ行って、直接そこで被害者の声を聞いてほしいということで、関西訴訟の原告の方、関西、そして新潟現地ということで提案をしていた中で、水俣が実現し、こういう形で新潟の被害者の方たちの声を、次回も含めて聞ける機会が持てたということは、本当によかったというふうに思います。
 そういう中で、私は新潟には何遍か行かせていただきまして、新潟の被害者の患者さんとの交流も、ささやかですけれども、とりあえず同じ水俣病の被害を受けた者同士ということで、被害者同士の交流をぜひということで、今年の夏、新潟から患者さん一人に水俣に来ていただくことを実現したばかりです。
 ただ、そういう際に、確かに新潟でのもやし直しというのは、これからだと思いながら、ただ、新潟が、次回ここでヒアリングの対象になっています旗野さんたちを通して、本当に草の根のもやい直しが始まっているというふうに思うんです。そういう意味で、これをぜひ行政が、新潟の行政が、十分いかしていくようなもやい直しが、新潟ならではのもやい直しになるのではないかというふうに思っております。
 その中でも、水俣にも資料館がございますけれども、新潟の水俣病の資料館、環境と人間のふれあい館については、水俣病資料館というふうにはなかなか呼ぶことができなかったという経緯も含めまして、いろいろと遠くから心配をしておりましたけれども、ただ、ここの資料館の皆さんが、新しい職員が配置されると、その職員の方が必ず水俣に研修に来られる。研修に来られる際に、少ない時間なんですけれども、非常に丁寧に回ってこられまして、私たちも交流をさせていただいているのですけれども、こういう姿勢というのは、この点はいかしてほしいなというふうに私は思っています。
 しかし、少し気になることが一つあります。一斉検診が新潟で、被害が顕在化してすぐ行われた結果、胎児性の問題になりますと、新潟には公式に認定された患者さんがお1人しかいらっしゃいません。それで、おしまいではなくて、今後この胎児性の患者さんの世代の方たち、これから更年期を迎えていくわけで、水俣と10年おくれているわけですから、実際に被害者として認められていなくても、この方たちの今後の健康や福祉の問題というのは非常に重要な問題だというふうに思います。
 数年前に、たしか齋藤先生たちを中心に聞き取り調査が行われたかと思います。その調査結果を見ましても、明らかに通常の健康である世代と比べると、対象になった方たちの調査結果というのは、はなはだしいものがあったというふうに思います。幼少期、それから学齢期における健康、それから知的な問題も含めて、さまざまな報告がされていると思います。この辺もこれから非常に重要な点になってくるというふうに思っております。これは次回そういうご報告もあろうかというふうに思います。
 それから、ライフステージということで、新潟で今報告されていることのほとんどが、被害者の立場から見たときに、水俣でも同じように問題になっていることであって、特に被害を受けた方たちがその後どう生きていくかということでいうところのライフステージ、水俣の場合には、幸いに、とりわけ胎児性の世代にしてみると、ライフステージとして、まず社会にかかわる第一歩のところでの学齢の問題に関しては、いち早く病院の中に学校ができるという形で、教育ということについていち早く、100%ではありませんけれども、社会的な場で教育を受けることができるということが実現しましたけれども、その後のステージについては用意されないままにきて、今に至っているということだというふうに思います。こういう意味で、水俣病をいかしていくということは、とりもなおさず、こうした被害を受けた方が、それからも生きていくという、生活をしていくという視点というのは、あわせて私も常日ごろ感じていたことですので、関先生の今日の提案というのは、非常に共感するところでした。
 以上です。

○関助教授 非常に重要なご指摘を、吉井委員及び加藤委員からいただきました。被害者の支援にとって、精神的安定は欠かすことができないというご指摘がありました。実は、それは新潟でも同様です。新潟の場合は、どちらかというと被害の単位が地域の集落であり、多数の集落が基礎になるような状況にあります。集落の中で差別的な発言がよく出されるというのは、非常に悲しいこと、苦しいことであります。なぜならば、新潟では、まだ相互に助け合って生活する集落というものが生きております。ひとり暮らしをしていても声をかけてくれる人がたくさんいます。そして、何か困ったときに助けてくれるのは地域の人々ということになります。被害を受けた人が、まさにそこで生きていかざるを得ないような地域、集落を、どのようにもやい直ししていくかということは、考えなくてはいけない重要なことであります。
 熊本県のかかわり方をぜひ私も参考にさせていただいて、どのようなもやい直しができるかということを、新潟の皆さんと一緒に考えていくことができればというふうに思います。
 そして、現在ある市民の自発的行為を大切にして育んでいき、そして息切れしないように応援する。あるいは、今まで関心を持たなかった人たちも、新潟に関心を持って活動できるというような、気楽に入れる新潟水俣病の雰囲気というのも、重要なのではないかというふうに思います。問題が重大すぎて、なかなか、かかわりにくい。あるいは、気おくれがするような状況が長く続いてきましたけれども、重大な問題であっても気楽にかかわり、気楽に学ぶきっかけをつくっていく。そういうことが重要だと思います。
 また、被害者の声というのが非常に重要であるというような話を加藤委員からいただきました。情報を集めて発信する、あるいは情報と情報との間を介添えしてくれるような役割として、新潟の場合は、「環境と人間のふれあい館−新潟水俣病資料館−」がございますので、例えばその資料館において必要な情報と情報が交わるようなシステムができないかというようなことも、ぜひ検討していただきたいと思います。
 水俣病の被害者同士の交流のみならず、さまざまな公害被害者がかつて存在したはずです。そして、現在も被害者は存在しているはずです。そのような人々が今どういうような状況なのかという情報を収集し提供することができる、あるいは被害者同士をつなげることができるシステムが存在しましたら、例えばマスコミなども現状を知らずに報道することで被害者の人を苦しめるというような、善意の態度が被害者を苦しめてしまうことは少しは防げるのではないかと思っております。

○有馬座長 関先生、どうもありがとうございました。
 なお、まだ柳田先生及び屋山先生のご質問をいただきたいところですが、時間が大分たっていますので、まずはここで丸山委員からご発言いただいて、あわせて議論させていただきたいと思います。丸山委員、お願いいたします。

○丸山委員 水俣病認定申請者についての生活実態調査報告ということになっていますけれども、私どもの仲間、チームとして、ここ数年来メチル水銀汚染の影響、これは第一次的には身体的な影響なんですけれども、しかし、それにとどまらない影響が当然あるわけで、その点について十分解明されていないということで、そこに住んでいる住民の人たちの精神世界や日常世界や家族や地域の生活等、そういうのを含めて、どういう影響があるのかということについて、実態を明らかにしようということで取り組んでいたんです。たまたま今年度から科研費という、文科省の研究支援助成金がありますけれども、それが当たって本格的にやろうとしていたときに、大量の新しい認定申請者が出てきたということに出くわしたものですから、当初の方針を少し変えまして、今、大量に出てきている申請者、その背景はどういうところにあるのだろうか。新しく出てきた申請者については、春ごろには新聞やテレビなどでも、こういう人がまだ残っていたというような形で、幾つか報道があったんですけれども、全体としてどうなのかということは必ずしもわからない。あるいは受けとめる側もそれらは特別なケースだろうというふうな受けとめ方もあるし、いろいろなものですから、まずは今新しく申請してきている人たちがどのような健康状態にあって、どのような生活をしていて、どのような契機で申請したのかということを調べようということで、長期的な僕らの計画とは少しずれたようなことになりましたけれども、こういう新しい認定申請者の調査をやった次第です。
 4月の末ぐらいから始めたんですけれども、対象地域は、正式には八代海ですけれども、通称不知火海と呼んでいます南部地域、これが主たる汚染地域ということになるわけです。中心の水俣、それから、隣の鹿児島県の出水、それから対岸の天草、鹿児島の離島、それから水俣の北の方の芦北町、津奈木町あたりが申請者が多いところです。後で少し触れますように、今回の調査では、主として中心地の水俣、出水という地区よりは外側、外縁部から申請してきている人たちが、結果的には調査対象者となっています。
 調査できたのは274人、データが有効なのは274人ですけれども、性別、それから年齢別ではこういう構成になっているんですが、これは274人の内訳なんですけれども、これは大体申請者全体の性別、年齢構成とほぼ同じです。ですから、性別、年齢別では母集団と偏っていないといえるかと思います。男性が44.5%、それから女性が54.7です。年代的には50代が一番多くて、それから70代、60代、50代から70代を合わせますと72.7%ということになっております。ここらあたりが申請者の主たる年齢層といえるかと思います。
 それから、調査対象者の居住地ですけれども、これが今回の4月末の時点での全体の申請者と比較しますと、それを母集団としますと、少し地域的に、先ほど言いましたように偏りがあります。調査対象者は、東町の獅子島地区が44.9%を占めて一番多い。その次に御所浦、それから芦北、津奈木となっているんですけれども、申請者全体の数字ということになりますと、特に多いところでは、芦北と津奈木町の比率というのは、ほぼ母集団の比率を反映していますけれども、東町の場合は非常に大きなウェイトを占めている。逆に、水俣市や出水市が今回の調査対象者では非常に少ないという、そういうような、対象者についてのこれはデータです。ですから、地域的にはそういう偏りが起こったデータということにはなります。
 そこで、もう少し属性的な話をしますと、まず、生家の家業はどうであったかということを見てみますと、漁業が51.5%、これは半数以上が漁業、それから半農半漁といいますか、農業・漁業が10.9%になっておりまして、やはり漁業にかかわっている生家が非常に多い。60%以上がそういう生家の職業、なりわいになっている、そういう出身者であるということです。
 それから、次に汚染された地域、特に汚染が存続して続いていたであろうと予測される昭和25年から50年までの間にどこに居住していたかということについて調べたんですけれども、25年から50年といったら25年間ということになりますけれども、その間で不知火海沿岸地域で暮らした平均居住歴ということになると、対象者全体では20.9年が不知火海沿岸で暮らしていた。25年のうち延べ年数で20年以上この地域に住んでいた人が63.1%という比率を占めています。
 その間、どのくらい魚を食べたかということで、全く食べないから、ほぼ毎日、大量、少量といったような選択肢で答えてもらったんですけれども、これは大体5年間間隔で見たんですけれども、毎日大量に食べた人の割合というのは60%以上を占めています。最も深刻な汚染が指摘されています昭和30年代の全期間、30年から34年、35年から39年ですが、全期間を通じて70%以上の人がほぼ大体毎日大量に不知火海の魚を摂取していた。
 私が初めて水俣地区に調査で入ったのは昭和45年だったのですけれども、茂道という、一番濃厚汚染地区の集落で1週間ばかり学生を連れて行ったんですけれども、こういう時でもとにかく朝からどんぶり鉢いっぱい新鮮な魚をもらうんです。私たちの感覚では、魚というのは晩御飯かなというイメージがあるんですけれども、それが全然違う。まさに大量に食べているというのを実感したこともあります。
 そういう人たちが、これまで、では水俣病の申請制度、いろいろな救済制度に対してどのように接してきたかというと、申請経験の有無について聞いてみたんですが、ただ、この場合、いわゆる公健法、公害補償法の公健法の認定申請ではなくて、地元の人の中には95年のときの、政治解決も申請と受けとめていたものもあるものですから、それを含めて、とにかく何らかの救済補償制度にこれまでかかわった人がどのくらいいるか。全く初めての人がどのくらいかということを調べてみますと、いずれかの申請経験者(47%)のうち、公健法、公害健康被害補償法のみに申請した経験のある人が10.9%、1割です。それから、95年の政治解決の際に初めて申請したという人が69.0%、約7割がそういう人です。両方に、公健法にも、それから95年のときにも申請したけれども、結果的には両方満足いくような結果が得られなかったという人が今度申請しているということになるわけですけれども、そういう両方に申請した人が2割、今回、過去にそういう救済制度、補償制度にのって申請してきたという人が、今度の認定申請者の中では全体の47%ですけれども、内訳を見ると、今、申しましたような実態になっています。
 95年の政治解決の折に申請した人の結果、そのときはどうでしたかということで聞いてみると、そのとき棄却されたという人が57.4%、それから保健手帳が41.7%。41.7%は保健手帳だったけれども、それでは満足しない、不満だということで、また今回の新たな申請になったということです。
 ところで、今回の新しい認定申請者では、これまで全くそういう救済制度にかかわらずに、今回が全く初めてだという人が52.9%も占めているわけです。半数以上です。この人たちが、なぜ、ではこれまで申請しなかったかということを、あらかじめこちらで順々に質問を設定して、そう思う、思わないというようなことで答えてもらったんですけれども、その結果を見ますと、これまで申請しなかった理由で最も多いのは、「自分が水俣病とは思っていなかった」、これが約60%占めています。次が、「95年の政治解決で水俣病は終わったと思っていた」、これが53%です。そのほかには、「申請することで、子供、家族の結婚に差し支えると思った」というのが約5割程度です。それから、同じように、「申請することで集落でのつき合いに支障がでる」、そういうことを案じて申請しなかったという人が49.0、ほぼ2人に1人ということになります。
 具体的に調査の際に自由回答的に補足していろいろ聞いたケースを紹介してみますと、例えば「昭和40年ごろからしびれがあったけれども、当時は自分が水俣病とは思っていなかった」、これは60歳代の女性です。あるいは、「自分が水俣病と思わなかった、もう年だし、これくらいのものだろうと思っていた。ところが年々症状が出てくる」、これは80歳代の男性の人の話です。あるいは、70歳代の女性の話として、「人の話を聞いて自分も水俣病だと思ってきた、そうかなと思っていたけれどもという、水俣病とはっきり自分が確信するというところまでいかなかった」ということです。
 このように、調査対象者のうちの多くの人が、何らかの体調不良、体の具合が悪いという状態を抱えながらも、それを水俣病の影響だとは思わない。また、自分の不健康を水俣病に結びつけないという、その結果として、これまで水俣病に申請しなかったという事情がかなりの割合であるということです。
 それから、そのほかに、「申請する気にならなかった」、「子供の結婚に支障が出ると思った」「最近はないけれども、集落でのつき合いにも影響が出ると思った」というようなこと、申請したら、「チッソやその関係者から嫌がらせを受けると思っていた」、「役場に勤めていたので支障があると思った」など。
 この役場に勤めていたので支障があると思ったというのは、これは先ほどの水俣病だとは自分は思っていなかったということとの関連では、行政によって積極的に救済しようといいますか、そういう広報活動がなされていない。例えば、積極的に、もしもこういう症状があったらその恐れがありますから検診に来てくださいといったような、積極的な働きかけというのがなされていない。そういう行政の中で自分からはなかなか、役場に勤めていたので支障があると思っていた、など。いろいろな事情で申請しなかったんだという人が、まだこの時点で、50年という、この時期になってもそういう人たちが少なからずいるという事実、現実があるということです。
 それから、先ほど95年の政治解決で水俣病は終わっていたというようなことに関連しても、いろいろあるんです。「もう終わったと思っていた」とか、「後で『しもうた』という、方言ですけれども、しまったと思ったけれども」というのは、結局政治解決のときには申請が非常に時間的に限られていました。ですから、その期間内には踏み切れなくて、それでもう終わったからということであきらめていたとか、どうもそういう一部の人たちもいるなという印象を受けました。
 これを年齢別に見ますと、50代未満の人は、認定制度に対する不信とか不満とか、申請しても認定されないというのが、ほかの年齢層に比べて少し多くなっています。50代になりますと、子供や家族の結婚に差し支えると思ったとか、集落のつき合いとか、地場産業の影響とか、そういったことが、ほかの年齢層に比べて少し多くなっているという傾向があります。
 それから、60歳では、やはり子供や家族の結婚に差し支える、集落でのつき合いに支障が出る。あるいは自分の仕事に差し支えが出ると思って申請しなかったというのが出てきています。
 70歳以上になりますと、全体として回答率が低い傾向はあるんですけれども、申請制度を知らなかったというのが、他の年齢層に比べて幾らか高くなっているということです。これが、今まで申請しなかったかということの理由として上がってきている傾向です。
 それでは、全体として、今度申請してきた人たちというのは、家族、親族、身内にどのくらい既に何らかの水俣病に関する補償を受けている人がいるかということで見てみますと、身内、少し広げた親類まで含んでいるんですが、親類、縁者のうちに1人以上が、(保健手帳は含んでいないです、保健手帳はもらっている人で不満だから新しく認定申請してきている人が多いわけですから、医療手帳までです)、医療手帳まで含んでの水俣病補償を受けている人の割合というのは、1人以上では全体の73.7%、今度申請してきた人の4人のうちの3人は、少なくとも1人以上は比較的身近なところにもう既にそういう補償を受けている人がいる。
 それから、図を見ていただきますとわかりますように、2人以上の場合でも半数以上です。2人に1人ぐらいは身近なところに2人以上いる。51.1%です。つまり、調査対象者の半数以上というのは、身近な身内に2人以上、認定患者であるとか、医療手帳を受けた人とか、あるいは裁判で補償を受けているとか、何らかのそういう人が身近にいるという、そういう人たちであるということです。
 これは、一つに、これまでもう指摘されていることですけれども、環境汚染による公害病の一つの特性というのは、何と言っても家族集積性が高いということで、これは当然予想されることです。同じ汚染された環境の中に暮らしている。大気汚染でもそうですし、この水俣病の場合は、同じ食卓を囲んで、同じものを食べているんですから、ある意味では当然予想される事態なんですけれども、やはり今度申請してきた人たちも非常に家族集積性が高いということが、改めてここで確認されるということです。そういう中で、自分は棄却されたとか、せいぜい保健手帳であったとか、あるいは今まで申請していなかった、ということでの不公平感が実感的にある人たちが申請しているということがわかるわけです。
 自由回答の中にもいろいろそういうのが出ているんです。例えば60歳代の女性、「同じ家にいてどうして家族に医療手帳が支給され、私だけ棄却なのか、体の状態は全く変わらないのに、同じ家族なのに、片方は医療手帳で、私は棄却された」。それから、60歳代の男性です。「親と同じものを食べ、漁にも行って、なぜ私だけが棄却されるのか」というような、納得できないということです。身近な家族とか親類と自分の体調を比較して、自分だけが十分ちゃんと償われていないという、不公平感というのは、かなり高じてきていたのだなということが推測されるわけです。
 これが一つの、まず身近なところでの家族、親族の中での、新しい申請下に置かれた状況です。それから、もう一つ、新たに認定申請に踏み切るきっかけとしては、やはり地域、集落、身近な地域社会をどのように認識しているかということもかなりその人の態度、行動には影響しているだろう。これは客観的にどうかということではなくて、今度申請してきた人たちがどう受けとめているかということなんですけれども、それで見ますと、あなたの集落でどれくらいの人が補償を受けていると思うかということで見ると、かなり補償されていると思っている人が37%、ほとんどみんなが補償されていると思っている人が37.6%、この両方合わせると約75%を上回る、極めて高いんです。これは客観的事実かどうかというのは関係ない。これはそういうデータがないからわからないんですけれども、自分の集落のほとんどみんなとか、あるいはかなりの人はもう補償されていると認識している人が4人に3人、いるということです。
 この点が、その人の、態度、行動とかかわりがあるわけなんです。今、どんどん新しい申請の動きが出てきているわけですけれども、その集落の中でどのくらい今回、特に関西訴訟の最高裁判決以降、申請しているか。これも客観的事実ではなくて、その人がどう思って判断しているか、認識しているかということなんです。「かなり申請している」、「ほとんどみんな残った人は申請していると思う」という人を合わせて63%なんです。そのように、もう既にかなりの人が補償されている。今度の申請でも、残された人はかなり、ほとんど申請しているという、そういう認識のもとで、本人も申請してきているという状況がわかるわけです。
 個別的なケースについて紹介しますと、「これまで申請したことはなかったが、みんなが医療手帳などを持っているようなので申請することにした」、これは70歳代の女性です。それから、70歳代の男性で、「10年前、政治解決のときです、全部申請するもので、あんたたちも今度申請しないともういかんばいという、そのように言われたから」と申請したとか、それから、70歳代の女性では、「今は補償してもらわない方がばかだと言われた」とか、あるいは60歳代の女性で、「自分たちだけがもらっていないことで村の人たちから嫌味を言われる」。ですから、完全に従来のマジョリティーが変わってきているということです。もう申請していないのが少数派だと。周りみんなも補償に向けて申請をしているというような認識があるわけです。かつては申請するのに非常に集落から抑圧されたりして、我慢してきたというのとは逆転したような状況が、今度出てきた新しい申請者の増加の背景にはあるなという予測ができます。
 特に95年の政治解決、それから最高裁判決を受けて、水俣病に対する集落内での意識というのは大きく変化しているなと判断されるんです。受けていない者、何らかの補償を受けていない人が少数派だと。大部分が何らかの補償を受けているという構図になってきているというか、そういう認識になっているということです。
 その結果として、日常生活のさまざまな場面で、いろいろ格差を感じている。申請していないことでの格差です。例えば、70歳代の女性で、「自分の周りで同じような症状の人が認定されているのに自分は認定されなかった」とか、「周りの人を見て同じなのにどうしてもらえない人がいるのか。病院代もばかにならない。辛抱して通院しないでいたけれどもとか、医療費について悔しいと思っている。私たちは何万円もかかる。医療手帳のある人は無料で、格差を感じる」。これは非常に日常的な経験で、例えば医療手帳を持っている人は支払わなくてもいいですから、診療してもらった後すぐ帰れるわけです。ところが個人負担、自己負担があるから待合室で支払うまで待っていなければいけない。さっと帰る人が何か偉いような感じ、そういう状況が出てきています。「医療手帳を持っているは、支払いの、そういう煩わしさはなくてさっさと帰る。自分たちはいつまでも待たされて、自己負担分を支払って」みたいな、そういうのを日常的に経験しているという事情もあって、医療費について非常に悔しい思いを持っているというような、そういう発言、これは70歳代の女性です。
 そういったような、日常生活の場での不公平感、これが大量申請を生み出している大きな背景、原動力となったのではないかということです。今まではむしろ地域からの抑圧を心配して我慢してきた人たちが、集落によっては雰囲気が変わってきている、そういう状況があるなと思います。
 それから、このように新しく申請してきた人たちが、実際にどういうふうな症状を自覚しているか、自覚症状です。慢性的な水俣病患者に多く見られる症状として、24項目上げて、いつもあったのか、時々あったのか、全くないというようなことで答えてもらったんですけれども、自覚症状では、全体で多いのは、高い順で見ると、手足のしびれが一番多いです。68.2%です。それに続いて、腰痛、それから細かい手作業がしにくい、物が見にくい、大体こういったようなことで、かなりの自覚症状の訴えが見られるということです。
 年齢別に見ますと、これは予想されるように、加齢とともに自覚症状の有訴率は高くなっています。60代、それから70代と高くなっているわけです。こうした自覚症状の訴えをほかの調査と比較してみますと、例えば平成13年度に実施されました国民生活基礎調査で、国民を対象とした調査でいいますと、65歳以上で最も多く見られる症状は腰痛で、これが2割ぐらい、20%ぐらい結果として出ているんです。それから、手足の関節痛み16%、肩凝り13%、目のかすみ云々となっているんですが、これはいずれも大体年をとるに伴って典型的に出てくる症状なんですけれども、ただ、この地域、今回申請してきている人たちに多く見られた手足のしびれというのは、今回の新しい認定申請者では一番多かったんですけれども、国民生活基礎調査では第10位で、そんなに高くない。あるいは、細かい手作業がしにくいというのも、比較的申請者には多いんですけれども、国民調査によるとこれは7位と、そんなに高くない。あるいは物が見えにくいという、これも比較的申請者には高い率であらわれているんですけれども、国民調査では第8位。そういったデータを見てみますと、今度申請してきている人は、全体として自覚症状を訴える率が高くて、認定されている水俣病患者に多く見られる症状を訴えているということがわかります。
 大体それが一つの特徴で、事前に資料を配っていましたので読んできていただいたと思いますが、同じく健康状態を把握するSF−36という、これは非常に標準化された調査票、これは一字一句も修正できない、そのとおりの設問の仕方で調査しました。そうすると、国際的にも国内的にもかなりそれを使った調査が行われているのです。そういうことで、この地域の特性というのをそれと比較する意味で非常に有効だということで使ったわけですけれども、SF−36の結果を見ますと、日本人の平均が50点なんですけれども、身体機能、日常生活機能、身体の痛み等々、いずれも今回申請してきている人はかなり低い。国民の標準値と比べると、特に身体機能が低いのが、顕著にあらわれているという傾向があります。これは、一定の数式で算出しているわけですが、全体的な傾向として言いますと、心理的にも身体的にも、両面において今回認定申請してきている人は国民標準からしたらかなり低い。例えば階段を上るとか、重い物を持ち上げる等々、非常に日常生活上困難をしている。そういうのがある。また、派生的な日常生活にも影響しているというわけです。
 次に、そうした現在の健康状態にどの程度水俣病の影響があると考えているか、自分で主観的に思っているかといいますと、現在の健康状態を90%以上の人が水俣病の影響があると答えているという結果になっています。将来についてはどう思っているかというと、年をとってくるとかなり影響が出てくると思うというような、さらに将来については水俣病の影響が大きいだろうという不安感をより強く持っているということが出ているわけです。
 そして、そうした人たちが日常的にどういったような受療行為をやっているか、どのくらいお金をかけているかというのが次のデータなんですけれども、1カ月に1回以上何らかの医療行為を受けている人が72%、大ざっぱに4人に3人ぐらいは医療行為を受けている。これは、はり、きゅうなども含めてですけれども、かなりの頻度で通院している。
 それから、1カ月当たりの医療費はどうかといいますと、一番多いのは、これは交通費も含めてですけれども、2万円未満が25%、3万円未満11.7%、1万円未満が17.9%。今回の調査対象者の多くは、先ほど言いましたように離島の人ですから、病院通いするのに交通費、海上タクシー代とか、これがかなりかかるんです。ですから、そういうような状況のもとで、どのくらい医療費が負担になっているかというと、少し負担になっている、かなり負担になっている、両方合わせると70.5%、これも4人に3人ぐらいは、通院費、医療費を含めてかなり負担になっている、少し負担になっているというふうに答えている。特に、医療費と療養手当、それに対する要求というのは当然出てくる傾向にあるかと思います。
 それが、今回申請をして、どんな補償を希望するかという結果にあらわれています。一時金については、これは政治解決がどうも一つの目安になっているということが言えるんですけれども、ただ、これは4月の時点でのデータですから、いろいろなほかの患者団体が幾つもありますから、その中でいろいろ出てくると当然これは変わってきている。現時点では調査していませんけれども、最初はとにかく医療費が出ればいいということだったんだけれども、ちょっとまた事情が変わってきているような気配もあります。
 希望する補償内容としては、医療費の全額支給、それから、療養手当等が断然多くなっているということです。そのほか、それ以外に何か希望しますかというのは、当然水俣病と認めてほしいとか、国や県にきちんと謝罪してもらいたいということが2番目に上がっています。そういった結果になっております。
 全体総括しますと、とにかくどんどん申請してきている人の大部分は、毎日大量に魚を食べているという人たちです。そして長く不知火海沿岸に住んでいた。自覚症状をかなり多く持っている。心理的、身体的な健康度というのがかなり低いというような状況にあるということです。
 そういう人たちが、自分の家族、身内や、あるいは地域社会の置かれた状況認識等に直面して、非常に不公平感が高まってきている。とにかく同じ症状なのに自分は全く何にも補償されていない。そういったことを身をもって経験するような事態になっているということが、今回の大量申請に結びついたのではないかという、そういうのを暫定的に予測しているわけです。そして、政治解決でかなり集落の状況が変わった。何らかの医療手帳以上の補償を受けている人たちが多くなったということと、それから特に最高裁判決などで、原告の人たちが判決で一定の補償金を受け、医療手帳の適用も受けているという。一方自分は全く何にもない。非常に身近な経験として感じて申請に踏み切ったという状況があるのではないか、そのように今のところ判断している次第です。
 ちょっと長くなりました。

○有馬座長 大変重要なポイントをご報告賜りました。ありがとうございました。特に申請者たちがどういうことを要求しているかが非常に明確に出てまいりまして、参考になりました。ありがとうございました。
 それでは、時間が大分おくれましたので、本来ここで30分以上ご議論賜りたいと思いましたけれども、10分に縮めさせていただいて、まとめてまいりたいと思います。まず、両先生に対してご質問がある方、どなたからでもどうぞなさってください。

○柳田委員 最初の関先生と今回の発表と重なり合うところなんですけれども、今、非常に明確に丸山先生の発表の中でマジョリティーの意識が逆転して変わったということだったのですが、関さんの報告の中で、被害者同士の中での差別、偏見、対立があったというような報告されています。被害者同士の分裂の根本的な原因、背景なり、どういうところにあって、それが水俣病の場合マジョリティーが変化するというような状況が見られるのに対して、新潟の場合はずっとそれが引きずられているのか、そのあたりはいかがでしょうか。

○関助教授 新潟の場合の差別が被害者同士の間であるということは、今、丸山先生からご報告いただいたのとほぼ重なります。と申しますのは、当初、例えば一斉検診なり、地域の中で集団の力をかりて、あるいは集落の内部に、自分が申請すべきか、申請すべきではないかの行動の規範を求めて、「みんなで申請しましょう」とか「水俣病の被害があるかどうかを検診していきましょう」というような運動を行ったような集落では特に、同じ被害者として今まで行動していた人が、ある人たちは裁判に訴える、ある人たちは裁判には訴えないというような、行為の差異というものが生まれてしまいました。そのときに、「これ以上運動しない」と決めた人たちが、「自分は水俣病ではない、だから、裁判をやっている人たちも違う」、「同じように、魚を食べていたけれども、自分は水俣病ではないし、同じように身体の症状があるけれども、自分は水俣病ではないので、裁判をやっている人たちも、あるいは救済された人たち、補償を受けている人たちも、水俣病ではない」という論理なわけです。そういう論理が見事に転換した事例というものを、今、私は丸山先生の話を伺って、教えていただいた次第でございます。

○吉井委員 水俣の住民は今の申請者をどう受けとめているのかということですけれども、極めてさめた受取りをしております。無関心というか、そういう話題にもしないという状況にある。それはなぜかといいますと、政治解決のときには患者は生きているうちに救済というねらいがありましたし、また、市民は解決しないと地域の経済はだめになる、あるいはチッソはつぶれる、こういう崩れた社会の中で我慢しているのはもう限界だ、こういうそれぞれの危機感があったんです。それで全体集まって、国に対し解決を申し出たというのがあります。しかし、今の反応は、社会が安定しているということ、それから補償を受けた患者さんは精神的にも安定し、地域にしっかりと入り込んでいる、そして生き生きと暮らしている、それから、チッソも抜本的解決策で、もうつぶれるという危機感はない、ということが背景にあるわけです。
 そして、なぜ今になって申請なのか。政治解決のとき、あれだけテレビ、マスコミ、それからみんなでわいわいやった。それを知らなかったとは思われない。なぜ今なのかという市民に疑問があるんです。それを今日は先生の調査できちんと答えが出たという感じがいたします。今の健康に不安がある。私は常々水俣病に悩んでいた。そのことが基本にあって、最高裁判決を機に思い切ったというのが基本ですけれども、その裏に、やはり近所隣りを気にする閉鎖社会、その中で、健康状態の同じ人たちが補償を受けて生活をしておられる。そのことに対する不公平感と羨望といいますか、そういうのがある。
 それから、申請をすると周囲から精神的な圧迫がある。これを恐れて申請を躊躇した。しかし、現在政治解決以降を見てみれば、患者さんは完全に市民の中に溶け込んで、そして生き生きと暮らしておられる。それを見ると、躊躇したのは非常に残念だった。いわゆる後悔がある。そのことが駆り立てたというのが、きょうの調査結果ですけれども、では、なぜかといいますと、やはり政治解決はこれで終わりというふうな国はお考えだったようで、その門を閉ざしてしまったということがあります。せめて、健康手帳なり継続をしておれば、今日の事態はずっと減ってきたであろう。このことが一つの教訓だと思います。それから、これからどうするかというのも、この中から答えを出せるのではないかと思います。
 もう一つ、関先生がおっしゃいました情報伝達の必要性と絡むんですけれども、水俣病は魚を食べて発病するというのは、もう否定できない。そこで、漁獲禁止の代わりに漁協に自主的に規制をさせたんです。ところが、この調査結果を見ますと、その当時ではなくて、40年代後半まで30年代と同じように沿岸の魚を同水準でたくさん食べている。これに驚くわけです。危険だといわれているのに何で食べたのかということです。それは、やはり漁協に自主規制をさせて、行政がほとんど積極的に関与しなかったということにあります。なぜ関与しなかったかというと、これを余り声高く叫んでいくと、チッソの排水の規制、そして操業停止、ここに結びついていく。これを極力恐れた国の中のある大きな力が働いていたということです。これから情報公開、伝達の迅速化というのを進めていく上では、行政の基本的な姿勢がやはり関与しますから、難しい問題ですから、これをどう姿勢をただしていくかというシステム、これができなければいけない。この論議がこれから必要だと、そのように思います。

○有馬座長 大変重要なポイントをありがとうございました。
 私は大変幼稚な質問ですが、関先生、私がもし間違えて聞いていたらいけませんけれども、先ほど2回目の検診をしようとしたときに反対があったというようなことをおっいしゃいましたか。

○関助教授 一斉検診ということで、県が行ったのは2回あります。それが終わってから、地元から一斉検診、集団検診でやってくださいという要望が出ました。1回目は受け入れられました。2回目以降は受け入れられませんでした。

○有馬座長 それはなぜ受け入れられなかったんですか。

○関助教授 時期が遅過ぎるとか、もうこれで十分やったとか、そういう理由だったようです。

○有馬座長 それから、もう一つは、患者であるということを隠そうとするという傾向がまだあったと。これは水俣の方はいろいろな事情があったと思うんですが、新潟の方でもそういう事情がなぜあったのでしょうか。あるいは現在でも覆面をしようというようなことをおっしゃったけれども、なぜそういうことがあるのでしょうか。

○関助教授 水俣病は、新潟の場合でも、水俣病の病気のイメージは、不知火海沿岸の熊本の水俣病のイメージが非常に強かったというのがございます。

○有馬座長 熊本の場合には、まだ初期においては伝染病かもしれないとか、いろいろなことがありましたね。しかし、新潟の場合はかなりはっきり原因がわかっていたでしょう。

○関助教授 原因がわかっていても、例えば新潟水俣病の初期にみられたように、子供が嫁に行けないとか、婿をもらえないとか、職業を持っている場合は首になるなど、差別的な発言というものが随分巷を回っておりました。ですから、状況としては、水俣市内ほど強くなかったかもしれませんが、差別的な言説が新潟においても流れたということになりますし、その後は、水俣病ではないのに水俣病の申請をしているという、いわゆるニセ患者差別みたいなものがございまして、要するに「金が欲しいから申請しているんだろう」みたいなことをずっと言われてきた人たちがいたという事実もあります。
 現在ですと、そういうような差別的な発言をしたはずの人が総合対策で救済されているということで、地域内部で混沌としているような思いもあります。そういう人たちから、活動している人たちが、「この間またテレビに出ていたねえ」みたいな話をされて、非常に不愉快な思いをするという状況です。

○有馬座長 それに対しては、こういう対策を講じたらよかろうという一つが、情報をたくさん伝えることでしょうか。

○関助教授 情報をとにかく垂れ流せばいいというのではなくて、そこに情報が必要な人がいる。そこに伝達するのはどういうふうなルートがいいのかという、情報伝達ルートというものを考えましょうということと、地域の中の人々にわかりやすいような形で、新潟水俣病の活動している人たちがヒーローになれるような、そういうような場、ハレの舞台となるような活動の場みたいなものを少し演出していただけると、非常にうれしい。

○有馬座長 最初に言われた、例えば国なり、何なりがサポートするというようなことをやればいいわけですか。最初にちょっとおっしゃっていましたね。

○関助教授 新潟で、例えば「阿賀に生きる」という映画が完成しまして、主役の方が亡くなったのを契機に、追悼集会というものを毎年5月に行っているんですが、その10回目に、例えば、その町の町長さんが初めてそこに足を向けて、ご祝儀を渡してくれた。そういうことが地域に対するアピールづくりになるというような話です。

○加藤委員 今の議論で、情報を伝達するということも大事だと思うんですけれども、ただ、地域の中で被害者は被害者同士、それからまさに申請をすると子供の結婚に控えるとか、そういうところで躊躇されている。それが差別につながっていくというときに、丸山先生の調査報告の中にもあったと思うんですけれども、同じ食生活をしていて、同じ症状を持っていて、患者として認められる人と認められない人が地域の中に一緒にいるということ、そこのところがものすごく大きいと思うんです。だから、なぜ自分が患者でないのかということが、一人一人の被害者にわかりやすく伝わらない。少なくともそこを説得できるような、認定制度というのが確立されていないというのが、それが今も引きずっているというふうに私は思います。

○柳田委員 今日は学ぶところが大変多うございました。お二人の報告、非常に有効だったと思います。その中で、項目的にだけ申し上げますけれども、教訓として読み取るべきことが少なくとも2つある。1つは、政治解決ということをする場合に、そこで終わるのではなくて、これはとりあえずの緊張関係なり、切羽詰まった状況の中でのとりあえずの問題であって、今後残された問題は何かということを明確に、今後に引き継がれていくようなことを明確にして、それを行政の中できちんと継承していくようなことをやらないと、政治解決というのは大変後に禍根を残すものになるということが一つです。
 それから、偏見の問題、差別の問題ですけれども、これは水俣病に限らず、人間の根源的な、非常に嫌らしい面が絡むわけでありまして、例えば原爆被爆者に対して、あんたたちは原爆を受けてよかったねと、医療費ただなんでしょうみたいなことを言われるということがあるとか、あるいは井伏鱒二の「黒い雨」という小説にも書かれたような、結婚を差し支えるとか、いろいろな問題が絶えず絡むわけですが、そういうことを乗り越えていくには、いろいろな対策をとる中で、偏見除去、差別除去をするために何かなすことがあるのではないか。これは行政として今まで考えたこともないことなんでしょうけれども、今回そういうことも一つ議論のテーマにしてみたらいかがかということを思いました。
 以上、2点です。

○有馬座長 大変いいご提案ありがとうございました。

○加藤委員 新潟に関してもう一点問題提起としてさせていただきます。というのは、一斉検診と同時に、新潟は妊娠規制がございました。そこが先ほどの胎児性の認定が1名ということとも非常にかかわってくると思うんですけれども、ただ、これが本当によかったのかどうなのかということが、これがひとつ水俣病の教訓として生かされていかなければいけないというふうに思うんです。水俣の場合には、ある意味で幸いにして原因がわからないという、表向きのところから、そうしたことはなされなく、日ごろつき合わせていただいているお母さんたちは、近所にいろいろな状況が起こりながら、悩みながら、子供を産んだ結果、やはり生まれてきてよかったという。どんな状態であれ、生まれてくることを喜べたということは大きいと思うんです。この辺が最近障害を持って生まれることがどうなのかということも含めて、水俣病から私たちも学ばなければいけないことだというふうに思います。
 水俣の患者さんたちは、自分たちはだれも人をあやめなかったということをおっしゃいますけれども、これも私はとても大事な指摘だというふうに思います。さらに一斉検診、行政が検診をするというときに、一人一人悩み苦しむというゆとりを与えられない場合が多いというふうに思います。ですから、行政の手によって一斉に検診をされるときに、何を気をつけなければいけないのかということも、慎重にすべきだというふうに思います。
 それから、私たちは、今、丸山先生がいろいろ報告されたことと同じように、水俣の中での被害者の人たちの、世代によって、やはりそれぞれ今抱えている深刻な問題があります。特に1950年以降に生まれた方たちの中で、認定された患者さんが、それまで個人的にかかわらせていただいた人たちも含めて、今、どういう社会的な支援を求めているのかということについての、これまでの積み重ねによるところと、それから聞き取り調査も含めて、中間的なんですけれども、レポートをようやくまとめたところです。この中からも、社会的な、支援が今、急務であるということをつくづく感じております。あわせて、いずれの機会かで発表の機会をいただきたいなというふうに思っております。
 以上です。

○嘉田委員 この懇談会から少し外れるかもしれないんですが、戦後50年の行政のさまざまな問題を考えたとき、今、アスベスト問題が出ておりますけれども、これも考えたら、発生原因の種が埋め込まれた時代性というのは、昭和30年代から始まった高度経済成長期だったわけです。今回アスベストで、環境省もいろいろ手を打っていると思うのですが、このときのマスコミの役割というのは大変大きいだろうと思います。尼崎のクボタがなぜあんなに早くに情報公開に踏み切ったかという背景をいろいろ伺っておりますと、毎日新聞の記者さんがずっと追いかけていて、その中で、クボタは水俣病から学んだということです。チッソの二の舞を踏んではいけないというようなことを、マスコミの人と一緒に考えながら情報公開したというようなことも仄聞しております。その辺も含めて、この懇談会の役割から少し外れるかもしれないんですが、戦後50年問題というのも一つ重要ではないか。それから、マスコミの役割ということも押さえていただきたいと思います。

○有馬座長 まだ私も質問したいところもありますけれども、時間が大分予定を越えましたので、ここで一応締めさせていただきたいと思います。私が丸山先生に質問したかったことは、例えば子供に影響があるというふうなことで隠そうとする。公表したくないんだ、そういうことの理由がわかるところもあるし、実はわからないこともあるんです。要するに、伝染病ではないこととか、それから遺伝しないこと、それがはっきりわかっている段階において、なおかつそうしなければならないことが、なぜなのだろうか。この次のときにまた理由をお聞かせいただきたいと思います。
 きょうは、10分ほど遅れておりますので、ここで事務局に、これからどうするか等について、我々に対して何かあれば言っていただきたいと思うんですが、その前に、まず関先生、丸山先生、どうもありがとうございました。非常にまとまったご報告、本当にありがとうございました。
 それでは、事務局お願いいたします。

○ 柴垣企画課長 1点だけ補足させていただきます。先ほど、特別医療事業の話が出まし
て、特別医療事業は、昭和61年から平成3年まで、認定申請を棄却された方で一定の症状のある方に対して、希望される場合には医療費等を支給したものです。新潟の場合、棄却され、再申請される方が当時もうほとんどいなくなっていたということで、この事業の対象としなかったということがありますけれども、平成4年からの総合対策医療事業、これはもう棄却ということにかかわりなく、認定制度とは別個の医療救済施策ということで、その段階は新潟も一緒に事業の対象にしております。現在の新たな拡充した保健手帳についても、総合対策医療事業の延長として、新潟も一緒に対象にしております。今日参考資料の2としてお配りしました円図の数字、公健法の認定患者数も、政治解決の対象者数も、新たな保健手帳の申請者数も、すべて新潟の方を含めた数字でございます。個別に新潟の対象者数について必要があればお出しいたします。補足は以上です。
 それから、次回につきましては、1月17日の13時から15時まで、この場所ということで予定しております。最初に話がありましたように、新潟の共闘会議の高野さん、それから阿賀の会の旗野さんからのヒアリングということを予定させていただきます。それ以外の議題については、今、お話がありました加藤委員からのご発表のことも含めて、またご相談をさせていただければというふうに思います。
 以上でございます。

○有馬座長 私は、委員の方にお願いが一つあります。この会も第6回が終わったところであります。先ほど柳田先生が非常に重要なことをおっしゃっておられて、今後どういうことを検討すべきかというふうなことをまとめていく際にいろいろテーマをおっしゃっておられましたので、各委員の方々もこのせっかくの懇談会をこれからどうしていくかということもありますけれども、そろそろこの懇談会は一体どういうふうにまとめていくか。どういう問題点を提起したいか。ひとつお考えの上、メモをちょうだいいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。
 以上、お願いいたしまして、今日はこれで終わらせていただきます。

午後3時10分 閉会