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第4回水俣病問題に係る懇談会
会議録


  1. 日時:平成17年9月6日(火)13:00〜15:00
  2. 場所:環境省第1会議室

午後1時04分 開会

○柴垣企画課長 それでは、お待たせいたしました。ただいまから水俣病問題に係る懇談会の第4回の会合を開催させていただきます。
 本日は御多忙中にもかかわらず、また台風のため足元が大変悪い中をお集まりいただきましてありがとうございます。
 それでは、議事に先だちまして、小池環境大臣からごあいさつを申し上げます。

○小池大臣 皆様、こんにちは。今、申し上げましたように台風の中お足元の悪いところお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
 7月末、2回に分けて、現地視察ということで皆様方にも積極的に御参加いただきました。本当にありがとうございます。また、水俣、現地の方では、加藤さんのところの「ほっとはうす」に通われている胎児性の患者の方々とその御家族の方々、水俣病関連団体の関係者の方々、それから、資料館の語り部の方などから、熱心にお話をお聞きいただいたと思います。また、懇談されてこのように現場の声をお汲み取りいただいたということで、貴重な機会になったのではないかと思っております。
 懇談会も、視察を含めますと、これで4回目ということでございますが、以前から私、申し上げておりますように、しっかりと検証を重ねていくということがこれからのことにも非常に大きな意味を持ってくるのではないかと存じます。
 今、私、御承知のような状況でございまして、この後、失礼をさせていただきますけれども、私は、水俣のこの懇談会はぜひともしっかりと腰の据わった、かつ、これまでの問題点を骨太に御検討いただくという意味で大変重要かと思っております。それだけに、本日はごあいさつだけでもと思いまして、この場に出席させていただいているところでございます。
 どうぞくれぐれもよろしく申し上げまして、ぜひとも大きな観点での判断と、心のひだの中にまで入り込むような、そういった御判断も御検討いただければと思っているところでございます。本日もどうぞよろしくお願いいたします。

○柴垣企画課長 それでは、引き続きまして、事務局から資料の確認をさせていただきます。
 お手元の「議事次第」に配布資料ということで、資料1から4、それから、参考資料1、2というふうにございます。資料3がクリップ止めした2枚紙でございますが、資料1、2、4はそれぞれ1枚の資料でございます。
 もし不足がございましたら、事務局にお申しつけいただければと思います。
 それから、参考資料1の第3回懇談会の議事録は、現地開催の7月21日の被害者団体のヒアリングなどの議事録でございます。これはあらかじめ委員の方々、それから、参加された団体にも確認をとってございますが、もし何かございましたら、本日、会議後にホームページに載せることになっておりますので、よろしくお願いいたします。
 それから、参考資料2としまして、第1回のときにファイルで配布させていただきました懇談会の参考資料集につけ加えるような形で、判決を2つ、1つは水俣病の認定申請棄却処分の取消訴訟の福岡高裁の判決文、それから、昨年の10月15日の最高裁判決の前提となっております大阪高裁の判決文を資料としてお配りさせていただいております。
 資料につきましては以上でございます。
 それからもう1つ、資料1といたしまして、6月14日の第2回の懇談会において発言があった主な事項をまとめさせていただいております。第2回の議事録につきましては、第3回、現地開催の折りにお配りいたし、確認させていただいております。また、参加されなかった委員の方々には直接お送りさせていただきまして、確認をいただいた上で、既にホームページに載せてございますけれども、そのときの議論を整理したものでございます。
 発表いただきました吉井委員からの問題提起やご意見なども入れておりまして、全体で、責任、謝罪、救済、その他ということで、それぞれのご意見をまとめて、議論を思い出していただくような形のものとしてまとめたものでございます。
 それでは、以後の議事進行は有馬座長にお願いいたします。

○有馬座長 皆さん、こんにちは。それでは、きょうの議事に移らせていただきますが、よっぽど台風に祟られているわけで、この前我々が九州にお邪魔したときには東京の方が台風でしたし、きょうは九州からわざわざこちらにお出でになる方々に対して九州の方が台風だと。やっぱり水俣病というのは難しい問題なんですね。それにしても、九州の方、よくお出でいただいてありがとうございます。
 まず初めに、本日の懇談会につきましては、非公開とする必要が私はないと思いますが、また、非公開でない方がよろしいと思いますが、原則どおり公開していただいてよろしいでしょうか。

(「異議なし」の声あり)

○有馬座長 ありがとうございます。
 それでは、本日の懇談会は公開で行い、議事録は出席された各委員のご確認、ご了承をいただいた後、環境省ホームページに掲載し公開させていただきたいと思います。
 さて、本日の議題でございますが、「議事次第」に示されておりますとおり、議題1の懇談会の現地開催等を踏まえた議論ということで、まず事務局から先々月行われました現地開催の報告をしていただいた後、現地に行かれました各委員からご感想などをお聞かせいただきたいと思います。
 次に、水俣病の被害と救済の問題について、第2回の吉井委員のご発表や、現地開催の際の関係団体からのヒアリングの際などにもさまざまご発言がございましたが、委員の方からどうもわかりにくいというご意見もいただいておりますので、事務局から少し整理をして、「水俣病の被害と救済の問題とその背景」ということで説明をしていただいた上で、質疑応答の場を設けたいと思います。
 最後に、議題2のその他のところで、今後の懇談会の論点とスケジュールについて、どうやっていったらいいかについてご議論いただきたいと思います。
 まず、事務局から現地開催の報告をよろしくお願いいたします。

○小池大臣 まことに恐縮でございますが、これにて中座させていただきますが、後で議事録を読ませていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 有馬先生、いつもありがとうございます。

(小池大臣退出)

○柴垣企画課長 それでは、資料2に基づきまして、現地開催、懇談会としては第3回でございますけれども、2回に分けて行わせていただきました概要を説明させていただきます。A4横長の資料でございます。
 まず、7月21日でございます。出席された委員は、そこにございますように、有馬座長以下6名の委員の方々でございます。まず、加藤委員のやっておられます「ほっとはうす」に参りました。そこで、加藤委員から活動内容などの概略ご説明を受けた上で、そこに通って作業をやっておられます胎児性の患者の方々とご懇談をし、また、そのご家族の方々にもお集まりいただきまして、直接、活動の状況とか家族の思い、そういった内容のご懇談をしております。
 そこにありますように、懇談の中身といたしましては、地域とのつながり(小学生との交流)などができたこと。それから、施設として、風呂に入れるようにするなど、「ほっとはうす」の改善と言いますか、拡充のようなお話、さらには、ご家族の方から「家族が高齢化して、今後の胎児性の方々への支援の必要性」というようなお話が出てまいりました。
 それから、場所を移しまして、水俣病の関係団体からのヒアリングということで、そこに掲げました4つの団体からヒアリングを行っております。最初の3つの団体は水俣の環境情報センター、最後の出水の会は鹿児島側の出水の方に出向いていただきまして、そこでヒアリングをするという形でございました。
 まず、水俣病患者平和会でございますが、そこに概略書いてございますように、チッソが存続することによって、チッソの存続は患者補償とともに工場が地域の核として必要であると。それによって認定患者が安定した生活が送れるように、患者補償がずっと継続されるようにということ。
 また、認定基準を変えて、そのことによる地域の混乱が懸念されるというようなご意見があり、また、行政が早ければ10月にも拡充をしようとしております保健手帳の、特に新たな人への申請受付再開と言うことがメインになっていますけれども、既存の方々の拡充をより早期に実施できないのかということ。
 さらには、胎児性の方々への支援、それから、そういった施設の整備というようなことについて、委員の方々と質疑などがございました。
 2番目は水俣病患者連合でございます。その中で、病像の議論をする場を設けて、最高裁の判決を基に判断条件、認定基準を再考すべきではないか。それから、同じ原因で発症した人々を救済の仕方によって不必要に区別するということは問題ではないか。認定患者、それから、政治解決を受け入れた方々、司法の判決決着の方、さらには新たな行政の施策を受ける方といったことでございます。患者の区分というものを特別立法によって一つにまとめると言いますか、水俣病の患者被害者を特別立法によって定義づけて一つにまとめるということも検討すべきではないかというようなご意見があり、患者団体が分裂してきた経緯などについての質疑がございました。
 3番目は水俣病被害者の会全国連絡会でございますが、ご意見として、同じ被害に対しては同じ補償ということが原則ではないか、その原則が経緯の中で原則足り得てないのではないか。それから、認定されない人についても、何らかの形で水俣病患者と認めるべきではないかと。さらに、来年の水俣病犠牲者慰霊式においては、総理大臣の謝罪を求めるというようなご意見がございました。その他、被害者の会が考える水俣病の定義と言いますか、水俣病とはこういうものだということについて、過去、裁判もやってこられた団体ですけれども、質疑がございました。
 それから、出水の地に移りまして、出水の会からのヒアリングがございましたが、出水の会からの強い意見としては、平成7年の政治解決の際に出水の会が団体加算金の対象団体から外されたことが今もって納得できない、非常に屈辱であるということが意見として表明されました。
 また、今回、これから10月以降に再開しようとしております医療費の全額負担といったことを中心とした内容の新たな行政救済には、それだけでは納得できない。
 平成7年の政治解決同様の一時金なり、さらには団体加算金なりということで、政治解決をもう一回やり直すべきではないかというような意見がございました。
 また、出水の会の過去の活動として、国立水俣病研究センターに団体としていち早く協力したという経緯が説明されまして、それについて質疑などがございました。
 7月21日、現地開催の第1回につきましては、そういった団体からのヒアリング、また、「ほっとはうす」への視察が行われております。
 裏面に移っていただきまして、現地開催第2回目の7月26日、この日は先ほど有馬座長からお話がありました東京での台風で日程がずれたり短くなったりした部分でございます。
 まず、「明水園」にまいりまして、施設と活動内容についてご説明、それから、委員からの質疑があった上で、施設内容を見させていただきました。説明の中で、今後の資金面と言いますか、障害者自立支援法のような制度の改革の中での問題点が出されて、そういった見通しについての質疑、今後の運営についての質疑がございました。
 それから、その後、船の上から患者の多発地帯なり、水俣の地形なりを見ていただこうということで、若干、台風の影響もあってうねりがあるということで、当初の予定より船での移動距離や見る範囲を狭めた形にはなりましたけれども、丸島漁港から恋路島、さらには茂道、さらに水俣湾に入りまして、さらにその内湾の袋湾に入りまして、湯堂などを見て、また、相思社の方から説明を受けながら見て回ることができました。
 その後に、水俣市の水俣病資料館におきまして、そこで語り部をされておられる金子スミ子さん、杉本栄子さんの話を伺って、お話の内容を中心に質疑をさせていただきました。
 金子スミ子さんは結婚し、夫が発病して亡くなって、お子さんもお一人亡くなられていると。また、胎児性のユウジさんが「ほっとはうす」に通われておりますけれども、年齢とともに運動機能が衰えておられて、そういったことのご心配と、胎児性患者を持つ家族が集まって情報交換をやり、励まし合ったりというようなことがお話の中で出ておりました。
 それから、杉本栄子さんは茂道の網元の娘さんで、ご両親、特にお母さんが早くに発病された後、その地域において差別を受けたということ、また、その差別を乗り越えてお子さんを育てられた苦労話などをお聞きしまして、差別とそれを乗り越えた過程ということに対しての質疑、それから、水俣市の産廃処分場についてのお話もございました。
 簡単でございますが、7月21日、それから、26日、2回にわたって行われました懇談会の現地開催、懇談会としては第3回の会合についての概要の報告は以上でございます。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 それでは、水俣病に行かれた委員の方や、現地の委員の方、それから、行かれなかった方のご意見でも構いませんので、何かありましたらご発言いただきたいと思います。
 金平さん、何かありませんか?

○金平委員 いろいろございます。

○有馬座長 どうぞ。

○金平委員 突然ですから。まず考えておりましたのは、この部会にもう1日、加藤さんたちにお願いしまして……。このスケジュール以外のことでもよろしゅうございますね。

○有馬座長 はい。

○金平委員 いろいろなご家庭に伺いまして、胎児性の方、そして、ご家族の方、こういうふうな方にお会いいたしました。私は水俣病の経過というものがまだ全体的にわかっているわけではないのですが、発病の時期、発病の経過、これは本当に幅のあるものだと思いました。どこでとらえるかによって患者さんの数が非常に違うということもありましたし、また、認定の基準がこうも広がっているのかという形で、ここら辺のところも混乱のもとになっているなと思っております。
 水俣病の認定を受けた方たちは、「病」とつきますから、当然これは医療の対象ということになっておりますが、患者さんたちが受けたものは決して病気そのものだけではない。したがって、治療というものだけでなく、被った影響というのは本当にいろいろな生活障害をたくさん持っていらっしゃるということを感じました。まず、医療救済は当然必要でございます。
 それから、皆さん高齢になりつつあるということをおっしゃっておりましたが、なおかつ受けた生活障害、これは仕事の問題、住まいの問題、福祉の問題、福祉の中には高齢者とか介護ということも入りますけれども、こういう問題の今後については一般の福祉の中で必ずしも救済されないものがあるかもしれない。ここら辺の整理もしながら、被害の実態をもう少し幅広くとらえていく必要があると思います。
 とりあえずそれだけ申し上げたいと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 鳥井委員。

○鳥井委員 行ってものすごくよかったと思います。知識で知っていたことが現実に患者の方と話ができて本当によかったなと思います。ものすごく難しいなと思ったのは、患者の方々が微妙に利害が対立していらっしゃる、これをどうやってもみほどいていくのかなと。制度だけとか、そんなことだけではできないかなという感じが強くいたしました。
 それから、もう1つは、「ほっとはうす」を見せていただいたんですけれども、あれをもうちょっと使いやすい施設にすること、日本の国にとってはものすごく簡単なことだけれども、やられていないというのが。これは何だろうというのを強く感じました。
 今のところ以上であります。

○有馬座長 ありがとうございます。
 丸山委員。

○丸山委員 2日間にわたって回りましたことで知り得たことは、私、地元におりますので、大体承知していたことなんですが、改めて一つ感じましたのは、ご承知のように、先ほど金平委員もおっしゃられましたけれども、単なる身体の病ではなくてさまざまな面に影響があるということ、とりわけいわゆる差別を受けてきているということがあるわけです。ところが、先ほどの話にありましたように、同じ被害患者といっても、被害患者がまたさまざまに分かれている。被害患者のカテゴリーがいろいろあって、その中でまた微妙な被害患者の中での差別と言いますか、そういった苦悩というのが、外からの差別とともに患者の社会の中での差別みたいなものがまた苦悩をもたらしているということがあります。したがってこれを何とか解消することが非常に重要だろうと考えます。結局は、救済・補償の体系のところに行きつくかなと思うんですけれども、さまざまな行政認定、司法認定等々ある。そうした混乱が結果的にそういった患者の中での差別という苦悩をもたらしているのではないかということを改めて痛感しました。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 加藤委員。

○加藤委員 私は改めて、水俣に住んでいる者として、今回皆さんの視察を受け入れるという立場ではあったんですけれども、今ひとつ自分をもう少し客観的なところに置いて、今回の視察を皆さんと一緒に視察するというところからかかわってみました。改めて被害を受けた患者さんたちの中にあるやりきれない思いをというのをどこに行っても感じました。
 それは何のかというところでいけば、この懇談会の一番最初に小池大臣がこのことをこの懇談会で明らかにしてほしい、この失敗の原因は何なのかという、50年たったこの事件の中で、少なくとも原因もわかったわけだし、その中で受けた被害、先ほど金平先生がおっしゃったように、医療だけではなくて生活全体が受けたこの被害に対して、日々起こっている生活については、何をどう支援するのかということが明らかであったにもかかわらず、それがされてこなかったということを今一度深刻に受けとめました。
 それと同時に、私が日ごろかかわっている「ほっとはうす」のお母さんたちが、「委員の皆さんにお母さんたち何を望みますか」と聞かれたときに、答えてくださったお母さんの言葉に改めて私はショックを受けました。その答えというのは、「先生方皆さん親であったらわかるはずでしょう」と、この一言に尽きるのかなと思います。50年たってもまだそうした言葉を、最も深刻な被害を受けた胎児性の患者のお母さんが発しなければならないというような現状があるということを、きょう視察をしてというところで改めて発言させていただきました。

○有馬座長 ありがとうございました。
 吉井委員。

○吉井委員 出席いただいた先生方には、台風で時間が足りなくなって本当に申しわけない、座長がおっしゃったようにすごく台風と関係があるなという思いがいたしております。被害者の会、政治解決のときに結成された既存の会からのご意見としては、平和会は環境省が示しました4月7日の対策を了として、早く実施をしてもらいたい。そのやり方について少し不満がございましたけれども、認定条件を変更することはむしろ地域の混乱をもたらすという認識を示しておられたほか、他の2団体は政治解決のとき論議されて、認められなかった点を再度主張されたと、そのように受けとめました。今の救済よりもさらに厳しい救済を求めておられるというふうな感じがいたしました。
 それから、新たに申請者が結成いたしました会が4団体あると思いますけれども、その団体も出水の会だけ意見を聞きましたので、あとの3団体は後で代表とお会いいたしましたが、自分たちだけのけられたという感情をもっておられます。この3団体とも政治救済時の医療手帳だけの救済、これは最低限と、こういうことをおっしゃっております。そういう主張からしますと、環境省が示しておられます解決案とかなりかけ離れていたという感じがいたしました。かけ離れているというのが浮き彫りになったような感じがいたしました。
 そこで、新しい申請者の会は訴訟をやろうという意向をかためてきつつございます。それをみますと、訴訟をとめるために救済策を見直すか、あるいは、対策はそのまま堅持して、解決を司法に委ねるか、そういうところまできているのではないかなという心配もいたしたところでございます。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 柳田委員はご出席がおできになりませんでしたが、ここで一言、ご感想を。特に今後どう進めていったらいいかということについては後でまたご議論賜りますが、柳田先生ひとつ。

○柳田委員 水俣の患者さん、あるいは、医療関係者と長年いろいろな機会にお会いして話を聞く機会があったんですが、それは取材者としての、あるいは、作家としての目で接してきたわけですけれども、これからの行政改革やいろいろな制度改革をする当事者的な目で見たらどう見えるかというところは、やはり違ってくるかもしれないなと。7月下旬は、私自身、日程がタイトで伺えなかったので、また日を改めて個人的に現地をお訪ねしたいと思っています。加藤さんなんかにいろいろお世話になるかと思うんですけれども。
 それはそれといたしまして、皆さんのお話を聞きますと、たとえ2回であっても現地を訪ね、生の声を聞くことの意味というのは大変大きいなという印象を受けました。私自身もきっと今までと違う目で何か気づくところがあるのかもしれないし、それを生かせるような発言をしたらいいなと。私自身の個人的な関心事は、救済問題は当然あるにしても、行政、特にお役人、あるいは学者が、初期、兆しが出た段階でどう想像力を働かせて早めに対応していくかというのが、一人ひとりの思想と感性、そして、組織的な裏づけで、どうそれがこれから行政の中で取り入れられるのか、あるいは、学会の中で取り入れられるのかということが、広い意味での問題の繰り返しを防ぐ意味で大事だと思うので、そのあたりと現地の人々の心情とがどういうふうな接点で問題提起ができるのかというところを、現地をお訪ねしたときに少し考えてみたいと思っているんです。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。重要なポイントをご指摘いただきました。
 亀山委員。

○亀山委員 私は自身の健康上の不安がありまして参加しなかったんですが、非常に残念に思っております。きょうここへ来てからヒアリングの中身をちらちらっと拝見して非常にショックだったのは、現地の患者さん方、あるいは、被害者の方々にいろいろ団体があって、その団体の中で軋轢が生じているというのは私は非常にショックを受けました。まだ、これを全部しっかり拝見しておりませんので、断定的なことを申し上げるのは憚りますし、今、これから言うことも後から取りけすことになるのかもしれませんが、これはどうやら行政の不手際にあるような感じだなという感じがいたします。
 ただ、これまでのことをいろいろ言うことも大切なんですけれども、一番大切なのはこれからこういう軋轢のようなものが起こらないようにしていかなければいけない。いろいろポイントがあって、例えば最終的には最高裁の判決が出てということが、それぞれ抜本的あるいは包括的な解決の一つの非常にいいきっかけだったはずなのに、逆にそれがもめ事のきっかけになりかけているようであります。それも私はまた非常にショックなんです。これはよっぽど行政の方でしっかり考えて、これまでの引きずってきたいろいろなもの、これはいろいろあると思うんですね。今までの数字とか考え方とかバランスとか、行政的に考えなければならない要因がたくさんあることは想像にかたくないんですが、そういうものを一度全部見直して、抜本的な対策を考えなければいかんのだろうなという感を深くしたところでございます。

○有馬座長 ありがとうございました。
 先ほど鳥井さんが「行ってよかった」と言っておられて、私も行って現場を見たことによって認識を深くいたしましたね。私が今でも一番気になっていることというか、ずうっと気になっていることは、特に胎児性の患者さんたちのことです。「ほっとはうす」で勉強したんですが、あのときにお父さんお母さんの世代の人々がみんな年取ってしまったときにどうするんだろうということが非常に気になりましたね。これは胎児性だけではなくて、一般に患者の方もそうだし、患者を見ているお父さんお母さん、そういう人たちがどんどん年取ったときにどうしていったらいいんだろうか、これが一番気になりました。
 それから、先ほど亀山委員もいみじくもおっしゃっておられたけれども、市民の間にさまざまな意見の違いというか、感情と言った方がいいかな、感情の違いがあること、これをどうやって払拭していくのだろうかと。私はやっぱり教育の役割があると思うんですね。小学校、中学校、高等学校、あの辺できちっと軋轢を消すような教育というのを考えなければいけない。もう既に吉井さんなどはご努力なさっておられると思うけれども、教育ということは今後さらに必要ではなかろうかと。
 そしてまた、今、柳田さんの言われたことだけれども、アスベストのことが気になっていて、ああいう問題が年中起こるのはおかしいんで、これは縦割り行政の問題とかさまざまあるんですが、その辺はきちっとメスを入れていかなければいけないのではないかと思った次第です。アスベストについては、私は、10年、もっと前かな、15年ぐらい前に東大でアスベスト騒ぎがあって、そのときには十分な対策を講じて解決したんですね、ある意味では。
 もっともあのときは病人は出なかったからいいんだけれども。建物なんかのアスベスト、今、騒いで調査なんて言っているけれども、東大ではその時ほとんど済ませました。だから、15年ぐらい前にそれを済ませたはずだと思うのが、何で今まで済ませなかったと不思議に思っているんですね。そういうところを、今後、この水俣病から始めて、アスベストのことは別に環境省もやっておられるから、そこまでさわる必要はないけれども、アスベストも横目で見ながら、今後こういう問題を起こさないにはどうしたらいいかということはきちっとやっていかなければいけないのではないかと思いました。
 それにしても、お年寄りのお父さんお母さん、特にお母さんが今後もさらにご苦労になられることは気の毒で、何とかならないかということを痛切に感じています。鳥井さんも言っておられたけれども、例えば「ほっとはうす」なんかはもうちょっと国や県がサポートして、もう少し環境をよくすることができないのかと思ったんですね。ああいう人たちが車いすで来られても、車いすが上げられないような感じだったですね。私は不思議でしようがないんですよね。あれだけバリアフリーという世の中になっているのに、患者さんが集まっているところがそれができてないということを不思議に思った。こういうことで現場に行って大変勉強になりました。特に、いかに問題が深刻であるかということもよくわかった次第です。
 現地に行って、胎児性の患者さんや関係団体の方のお話をお伺いすることで、いろいろなことを吸収できたと思いますけれども、それは今後の議論に十分生かしていただきたいと思います。そこで、次の話題に入りまして、「水俣病の被害と救済の問題とその背景」について、なかなかわかりにくいところがありますから、事務局から少し整理をして説明をしていただきたいと思います。

○柴垣企画課長 それでは、資料3というクリップ止めの資料があるかと思いますが、縦長の資料3と、A4横長の概念図みたいなものと並行して見ていただきながら説明をさせていただければと思います。第2回の吉井委員のご発表の中でも区分がいろいろあって、被害と救済が非常にわかりづらいと。それから、7月21日の現地での団体のご発言、ご意見の中でも不必要な区分が問題を複雑にしているといったようなご意見もございました。有馬座長とご相談させていただきまして、今後の議論の一つの前提として、そのあたりの整理ということで、きょうご説明をさせていただくことにいたしました。
 まず、水俣病の被害とありますが、この前提と言いますか、ここに書かれていない、先ほど来お話にあります患者に対する差別とか偏見、それに伴う地域の分断という問題が水俣病に関する被害ということであるわけですけれども、そのあたりにつきましては、今、丸山先生などがフィールドワークをされておりますので、そういったご発表の中でまた議論していただくとして、ここではとりあえず健康の被害に限った形で書かせていただいております。
 ただ、その健康被害につきましても、※にありますように、多彩な症状、また広がりがあると。その下にありますように、急性劇症型、いわゆる過去の映像などで出てきます典型的な水俣病患者ということでイメージされる急性劇症型。それから、普通型と書いてありますが、これはハンターラッセル症候群という4つの症状がそろっている方。それから、不全型は、そういった4つの典型的な症状がそろっていない非典型例。さらには、一見軽そうに見える軽症例という方にまで広がっていると。
 裏面に2つの概念図がございますが、そこに出典がございますように、『水俣病20年の研究と今日の課題』という本の中で、2つの研究論文につけられている概念図でございます。1つ目が、研究自体は水俣病の疫学の研究という二塚さんのものですが、図は原田正純さんが熊本大学医学部の新聞に載せられたものでございます。これはあくまでも参考ということで、別に行政がこれを正しいものとして載せているわけではなくて、こういう2つの概念図が参考としてあるということでございます。そこにもありますように、急性劇症型から山型に典型例、不全型、さらには非特異性疾患の中に隠れているというような方々もおられると。横に「メチル水銀量」とあって、曝露の強さとの関連ということで逆山型の図が出ております。
 下の図は、病理の方からそういった多彩な症候の広がりということで、前と同じ本の中の武内忠男さんと衛藤光明さんの「病理各論」という論文に載せられているものであります。横の逆山型の図は健康から症状の重さということで、死亡までということで、真ん中に普通型ということでハンターラッセル症候群。ハンターラッセルにつきましては、上の図の典型例の右側に「知覚障害・視野狭窄・失調・聴力障害、言語障害など」とありますが、そういった症状がそろっている普通型(典型例)。それから、その症状がそろわない不全型。また、合併症などでマスクされている方。さらには、健康の中に紛れて症状が把握されないような方というような広がりがあると。こういう2つの概念図がございます。
 表面に戻っていただきまして、そういう中で医学的な診断の困難さが言われておりまして、そこは救済の方も、いわゆる医学に基づきます認定制度の中での診断の困難さ、もしくは、その診断にあたっての神経症状の組み合わせが基本になるという、救済のところに書いてあることと絡むんですけれども、その困難性の理由と言いますか、背景として、認定制度と言いますか、救済が始まるまでの間に、30年代から40年代の初めに至る行政の不作為、また、社会全体で水俣病問題に蓋をするような、問題を終息化させた期間が十年近くあったということを背景にして曝露から非常に長期間経過させてしまっている。
 今現在で言えば、44年以降は水銀の曝露の可能性は極めて低いと。チッソ自体が43年までには水銀を完全に止めておりまして、40年代の住民の頭髪水銀濃度の推移などを見ると44年においては他の地域とあまり変わらない状況になっているということで、水銀自体は30年代に流され続け、40年代の救済ということが課題になった時期には曝露ということはなくなっていたと。
 もう1つは、水銀自体は半減期と言いますか、一定の時間がたつと体から抜けてしまうと。その抜け方は、脳細胞ではかなりゆっくりだという議論もありますけれども、いずれにしても何年間かたてば抜けてしまって、水銀が脳細胞の中でかつて起した細胞の破壊というものは解剖で残りますけれども、水銀自体はなくなってしまう。ですから、一定の適切な時期に髪の毛などで水銀の曝露を確認することはできたわけですけれども、そこの背景にありますように、行政の被害の把握解明の遅れ、また懈怠ということで、曝露が継続しているような30年代の時期に広範な水銀曝露調査をやっていなかったと。
 また、35年から43年には水俣病の終息化ということで、熊本大学の研究が細々と続いていたのみで、社会全体が水俣病は終わったものとさせていたというようこともあって、今から見れば理想的には水銀の曝露を髪の毛などで広範に調べ、それと症状との因果関係の解明を曝露が継続している時期にやっていれば、曝露の客観的な確認が可能になって、それと症状との関係の解明も可能になったわけですけれども、そういうことがなされていないということが診断の困難性の大きな原因になっているのではないかということでございます。
 また、先ほど出ていましたハンターラッセル症候群という症状の一つひとつが、それぞれ非特異的であって、それが組み合わさってくれば特徴的な病像になってくるわけですけれども、先ほどの不全型や、マスク型と言いますか、軽症例、そういった中で曝露自体が把握できないということで、診断が40年代の半ばぐらいから難しくなっているということが被害の背景でございます。
 それが救済の多区分化と言いますか、救済の方にも背景として影響してくるわけです。救済の方は多区分化というのは、A4横の(別紙図)にありますように、法制度救済、政治救済、司法救済、また、これから取り組もうとしている行政救済という区分に分かれざるを得ないということでございます。
 概念図の一番上にあります法制度救済は基本となるべきで、この基準を見直して全体化すべきであるという議論があるわけですけれども、この部分は、「公健法による『水俣病患者』の認定」というところにありますように、公害健康被害補償法という法律自体が医学的な判断の認定を要請しておりまして、法律上は水俣病にかかっている者を認定すると。かかっているかどうかの判断については、医学者からなる認定審査会の意見を聞かなければならないということになっております。
 その認定につきましては、2つ目のポツにありますように、診断の困難性を背景に、診断の蓋然性を高めるために、普通型や典型例が主体だった40年代初めから40年代の中ごろには不全型というものが非常に多くなってきた中で、40年代の当初から症状の組み合わせということが基本であって、一症候のみでは水俣病の診断をすることは困難であると。これは私どもが言っているというよりも、そこに括弧であります、きょうまた参考資料集の追補ということで、全文を配らせていただきました「水俣病の棄却処分取消訴訟控訴審」(福岡高裁)での判決の中で、長い主張・立証の中で裁判官の判断として認めていただいている部分でございますけれども、そういった診断の蓋然性を高めると。
 それでは、どこまでを法律の要請に基づく医学としての認定の判断としているかということについては、3つのポツの最初の部分でございますけれども、水俣病の診断の蓋然性が50%を超えたところで判断すると。これは水俣病の可能性がそうでない可能性よりも高いという部分ということで、誤診の可能性もかなり高くはなるんですけれども、法に基づく認定として、そのラインで判断をすると。
 そのためには神経症状の組み合わせが必要であるということで、公健法自体は49年の施行ですけれども、その前の公害の健康被害の救済の特別措置法、いわゆる旧救済法という時代から、この医学的判断ということは継続しておりまして、医学的判断は、ポツの3つ目ですけれども、46年の次官通知、それから、52年の判断条件を通じて一貫しているということでございます。この部分は、その下の括弧に書いてございますが、吉井委員の第2回の発表の中でも、また、広く一般的にも誤解があるようなので、念のために説明を追加させていただきたいと思います。
 46年の次官通知で一たん認定の基準を広めて、そこにありますチッソの支援が、53年に県債を発行してその資金をチッソに融資するチッソ県債方式による支援が始まるわけですけれども、その前からチッソの経営危機ということが言われておりまして、その背景としては、48年の第1次訴訟の後、補償協定が48年7月に締結されまして、以後、行政が認定した者は補償協定に乗ることができるということで、民間同士の補償協定が行政の法律に基づく認定と連結したわけでございます。
 そういった補償との直結ということを背景に、46年で一度緩やかに広げた基準を、52年の判断条件において症状の組み合わせということを明確にして厳しく狭めたのではないかということが言われているわけですけれども、この9年の取消訴訟の控訴審判決の中では、そこは46年段階から基本は症状の組み合わせで、先ほど図の中に出てきました原田正純さんなどが取り組んでおられた10年後の水俣病の研究班の研究でもそれが基本であったということも判決の中で述べながら、46年から52年において、症状の組み合わせを基本に一症候のみでは水俣病として診断することは困難であるというところは一貫しているということが明記されております。
 ただ、そういった医学的な判断のレベルの維持と言いますか、判断条件的には一貫していても、裁判の中でも補償の連結による運用への影響と、その審査会の委員の方々へのプレッシャーと言いますか、心理的に影響して時には慎重になるということの影響は指摘されているところであります。ですから、平成9年の取消訴訟の判決におきましても、総論的には認定基準は一貫していて、それは法の趣旨もしくは医学的な知見から不合理であるとは言えない、妥当であるということは言っておりますけれども、個々の判断、この判決で争われました棄却処分につきましては、運用上の誤りということで取り消されるということになっているところであります。
 A4の横の表の一番上を見ていただきますと、そういった医学的な判断で取り組んでいるわけですけれども、結果として3,000人の認定に対して棄却が1万4,000人。これは棄却に不満を持たれて何回も再申請を繰り返しているという方がかなりおられまして、実数は1万人ということでありますが、認定に対する棄却が1万人。その棄却された方々が再申請を繰り返すことの重さ、さらには2,000を超える訴訟ということで裁判を起こされるということで、認定棄却問題、また、棄却者の訴訟が55年の国賠訴訟から、昭和55年から平成にかけて争われてきたところでございます。
 その下の政治救済というところを見ていただきますと、認定棄却問題、それから、棄却者による裁判の多発ということをめぐって、どうするのかということで、紛争と混乱の収拾と和解のために、法制度救済の基準を変えるということも議論になったんですけれども、過去一貫して医学的な判断ということで取り組まれてきた基準自体は変えられないと言いますか、そこは議論として一回広げて、またそれを厳しくしたんだから、また戻すようにするという議論は、初期の裁判の判決ではあったわけですけれども、平成7年当時においては認定基準の一貫性が裁判でも認められるようになってきていたということもあって、法制度救済とは別のところで、その外側に解決と言いますか、和解のための枠組みをつくろうということで、そこにあります原告と同様の一定症候、これは認定の基準では水俣病と診断するのは困難と、蓋然性50%というレベルを超えないということでありますけれども、そういった一症候のみの方々が裁判で争われていたわけですので、一症候のみの方々に対する政治の力による広い救済ということで行われたものでございまして、対象者が最後は1万1,000人にまで上ったと。これは、下の括弧に書いてありますように、棄却者実数の1万人を超えたということで、当時においては、過去の認定棄却問題はこの中で吸収と言いますか、この中で対応できたという判断があって、最終的全面的解決と言われたわけでございます。
 その中で2つの方々が残ったわけでして、1つは、既に確定判決を受けていた熊本水俣病第2次訴訟(昭和60年)の方々、当時4人が政治解決の対象外になっていると。さらには、意識的に政治解決を選ばなかった、昨年10月に最高裁判決を受けられたチッソ水俣病関西訴訟の原告の方々。この方々が政治解決には乗らずに残って、昨年10月の判決ということで判決決着ということで、司法救済ということでございます。
 その後、判決後に、きょうの時点で2,900人を超えるということで、多数の申請者が出てきております。今のところ、一番上の法制度救済、公健法の認定申請は道が開かれているものですから、そこに集中していると。政治救済のところは線を少し太くして囲っておりますけれども、これは平成7年の時点での和解的なものとして、平成8年の1月から7月まで窓口を開きましたが、そこで閉じてしまっています。患者団体の要望として政治救済をもう一回やり直すべきではないかということがあるわけですけれども、政治解決自体は平成7年から8年の時点で閉じられてしまっているというものでございます。
 それから、司法の方は、薄い四角で囲っておりますように、開かれているというか、これはいつでも裁判が起こせるということで、先ほど吉井委員からも話がありましたが、政治解決の精神としてはできれば裁判での紛争がまた起こることがないようということでございますので、そういうことがないようにどうすべきかということになるわけですけれども、一番下の行政救済のところで、2,900人を超える人たちがいて、そこに水俣病被害の広がりと言いますか、過去、チッソが流し続けた時期の長さ、それから、そのときの被害の把握解明をやっていないことなど重なって、2,900人を超える人たちがどういう人なのかということがなかなかとらえにくいと。そういう中でとりあえずの行政の救済ということで、一番下にあります医療等が必要な人に必要な医療等をということを拡充した形の保健手帳という、政治解決の際の行政措置の一つを抜本的拡充した形で再開するということを10月から行う方向で検討していますけれども、 そういった最高裁判決を踏まえた行政による新たな水俣病対策として、まずそれがひとつの手始めになるということです。
 さらに、右側に細い枠が縦に延びておりますが、水俣病対策全体をこれから構築していく中で、加藤委員などからも話があり、また現地にも行っていただきましたけれども、胎児性の患者をどうするのかと。そこは最高裁判決を踏まえ、また、行政の50年の責任を踏まえて取り組んでいくべき象徴的な課題の一つではないかと。さらに、それとの関係もあります高齢化に伴ういろいろな形での支援をしなければいけない。さらには、地域のいまだに2,900人を超える申請者が出るような状況も踏まえて、健康状態の把握をし、健康管理ということを、これまでも取り組んでおりますけれども、それを今一歩、今までの限界を見直した上で、拡充的な取り組みが必要ではないかと。
 この3つを行政の取り組みの今後の柱にして、全体に対する対応を強化していくべきではないかということで、新たな行政救済ということで、医療給付的なものとともに、新たな水俣病対策全体像の再構築と言いますか、スタートということを考えているということでございます。そういう中で、救済の枠組み自体は法制度救済、政治救済、司法救済、それに加えてまた新たな枠をつくるのかという批判があるわけですけれども、行政としてとりあえず医療等の必要な人には必要な医療等の対応を行うとともに、水俣病対策をどのように構築していくべきかということを考え始めているところでございまして、この懇談会の中で歴史の検証、現状の問題点をご議論いただきながら、今後の対応の方向づけをしていきたいと思っておりまして、その一つの現状の救済の多区分化ということで整理をして、説明の時間をいただいたところでございます。
 私からの説明は以上でございます。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 まだまだわかりにくいと思いますが、ご質問あるいはご意見があったらご発言をお願いいたします。
 柳田先生。

○柳田委員 今の説明を聞いてもさっぱりわからないんです。行政がだんだん迷路に入っていくみたいに事細くなって、ますます複雑怪奇になっていくということだけはわかりましたけれども、何でこうなったのかというのはさっぱりわからないんですね。行政の立場としては、制度はこうなりましたという説明をせざるを得ないんだろうと思うんですけれども、先ほどの概念図、(別添参考図)の三角形のものですが、何でこんなふうに微に入り細にわたり病像というものを規定して取り組まなければいけなかったのかという原点を考えないと、この問題はわからないと思うんですね。
 例えば、放射能なり放射線の被害を、原爆被害者にとってみると、放射線による障害で発症する病気というものは現存する病気のほとんどを含むわけですね、がんにしてもその他の諸疾患にしても。つまり、放射線によって新しい疾患が生まれたわけではないわけですね。この有機水銀による水俣病という症状は非常に特異な症状を示すわけですけれども、いろいろと人体にあらわれる症状は複雑だというのはわかっていても、なぜ最初に非常に限定的に症状の概念をつくったのかというところを考えますと、行政が財源をできるだけ少なくて済もう、本当に幅広くグレーゾーンまで入れて水俣病と認定したら財源的な保証がとれないだろうと。どこまで広がってしまうかわからないというようなことがまず1つあるということ。それから、行政的に線引きをする場合に、悪意で申請する人をどう防ぐかと、そういうのが紛れ込んでしまうと困るとか、そういうことを考えてグレーゾーンで水俣病であるかもしれないけれども、そういう人には泣いてもらって、悪者を排除するために仕方ないんだというような論理があるわけですね。
 例えば、分野は違いますけれども、キャッシュカードの犯罪などで、私も今度取り組んでみてわかったんですが、偽のキャッシュカード盗難届けを出してお金を盗みとろうとする者を排除するために、そういうのはコンピュータシステムだと識別できないから、そういうことは全部本人の責任にして、銀行は責任を負わないということでずうっとだましてきたわけですね。それはおかしいというので、去年の12月に私が突っついたら蜂の巣を突っついたようになって、やっとこの8月に法律ができて、銀行は責任持って全部補償すると。本人が悪いかどうかは銀行がちゃんとデータを持っているんだから調べて、銀行が告発すればいい話であって、被害者が裁判を起こすような問題ではないということで、やっと認められたわけですね。そういうふうに、金融庁の考え方は、グレーゾーンの人を救済するなどということよりも、悪いやつが入ってくるのを排除するために制度をつくらなかったわけです。
 これもちょっと似た構造がありましてね。原爆被爆者ですと、半径2キロ以内に住んでいた人、あるいは、2週間以内に被爆地に入った人、2キロ以内の範囲に入った人という地域概念で、症状が何であれ被爆者手帳を給付して、病気になればそれなりの手当をするということをやったわけですね。そのかわり膨大な被爆者手帳保有者が出たわけで、その医療費も大変なわけですけれども、水俣病の場合はそうではなくて、ものすごく限定的に狭くして、だんだん患者が増えたり、告発請求か増えたりすると、ここまで見なきゃいかんのかというので、そろりそろりと増えていったと。学者の方もそれなりに行政と対応しながら、線引きをきちんとしなければいかんというので、神経学的な知識を総動員して、先端の医学者がいろいろなことをやってこられたということで、複雑怪奇になってきたんだろうと思うんですね。
 だから、もう少し幅広く、最初から疑わしきは救済するというような方向で大きく網をかければ、もっともっと違う展開があった。そういう成り立ちの説明をしない限りは、この複雑怪奇な制度は絶対理解できないですね。こうなりました、ああなりました、要求があるからこうなりましたと、判決がこう出たからこうやりましたというので、だんだん複雑怪奇な状況を屋上屋を重ねてきたような傾向がある。もっと根源的なところを突かないと、次なる問題の解決策は出てこない。先ほどアスベストの問題が出ましたけれども、エイズの問題もそうでしたし、ほかのいろいろな薬害も類似の問題がありましたが、最初の行政の対応の仕方が大問題になるわけです。
 それから、「不作為」という言葉がしばしば出てきますけれども、「不作為」という言葉の概念がまたはっきりしない。これはどういう意味かというと、行政があまり重視しないで何もしなかったというような意味で「不作為」というのを使っているのかもしれませんが、私はそうではないと。いろいろな資料を調べると、積極的に関与しないことを決定したという行政の選択があるわけです。それは、「不作為」という、ただ傍観していたというのではなくて、積極的に何もしなかったという行為であるわけですね。それまで含めて「不作為」ということで逃げてしまうことは、根本的な解決策を導くには極めて問題が多いことだと思うんですね。
 今の説明を聞いていて、そんなことを感じました。

○有馬座長 ありがとうございました。重要なポイントをご指摘いただきました。
 ほかに、今の説明について。丸山委員。

○丸山委員 今のご説明を聞いていて、私自身もわかりにくいようなところがあるんですけれども、まずちょっとこれはどうかと思いますのは、裏面のピラミッド型の図ですね。これはいずれも出典は『水俣病20年の研究と今日の課題』です。今から30年前の知見でまとめられたものを用いて説明されたということはいかがなものだろうかと思うんです。私は医学者ではありませんから、ちょっと無責任なことになるかもしれませんが、ここに「典型例」とか「普通型」というカテゴリーがありますけれども、これが水俣病の標準であると。この標準というのはイギリスで起こった化学工場で直接曝露した工場労働者についてハンターラッセルらがまとめた症状群ですね。それをこの典型例だとして、当時の医学でもそこから不全型かどうであるかみたいなとらえ方をしていたという不幸があると思うんですね。
 これは原田正純さんが言っておられるんですけれども、水俣病の前に水俣病はなかったと,水俣病というのは直接曝露ではなくて、魚介類を通して曝露されたメチル水銀中毒であると。しかも、工場労働者のような年齢層だけではなくて、老若男女いろいろな人たちがいろいろな程度で結果的に曝露されたんだと。そういうものとしての水俣病の病像というのが形成されるべきだったのが、ハンターラッセルがモデルになって、そこからどう抜け出すかみたいなことで、その後いろいろ言われてきている面もあるんですけれども、医学的にということになりますと、現時点でのメチル水銀中毒医学の知見というのがどうなのかということを整理していただく必要があるのではなかろうかと思うんですね。それと現在の認定基準がどうなのかと。
 と言いますのは、一方では、環境省としては、先日来話題になっています微量汚染で、妊婦に対する魚の摂食規制というものを、微量汚染水銀ですね。一方ではそういったような視点を持ておられながら、それが水俣病の医学にはつながっていないという、外から見ているとちょっと変な感じがするんですね。少なくとも次の機会には、現時点でのメチル水銀中毒の医学がどこまで明らかになっているのかということと、認定基準が整合性があるのかないのかというあたりを説明していただけたらと。そこが、患者団体からもいろいろ出てきている判断条件の問題につながっていくのではなかろうと思いましたので、そこは環境省としても整理をして、一方で、微量汚染の方も扱っておられますから、そこらあたりを結びつけて提示していただけたらと思います。

○有馬座長 事務局、今のご質問に対してお答えありますか。

○柴垣企画課長 過去の経緯と言いますか、こういう救済制度ができて、また、多区分化した
背景ということでご説明させていただきましたので、そういう意味で、今、丸山委員がおっしゃったような典型的な症例から症状の揃わない不全型に広げるという経緯があったのは事実でございます。これは最初に見舞金契約ということで、そのときに審査会が事実上スタートして、それが再開と言いますか、本格化するのが昭和44年末の旧救済法の法律に基づく審査会での認定ということになってきた時期にかけてのことと考えています。
 その中でも、30年代という曝露が進行している時期における曝露と症状、もしくは水俣病像というもののきちっとした調査自体が、結果として、今から見れば行われるべきであったにもかかわらず行われていなかったと。そういう中で、典型的な症状の揃った方や、重症な方といいますか、そういった典型例の患者さんからを診断が始められ、そこからスタートして症状の揃わない方や、一見軽症と見える方などの不全型というところに広げられていったと。
 これは、そこに引用している判決の中でもそういった取り組みの限界。一方で、新潟においては少し違って、むしろ新潟においては広くとらえるところからスタートして、そういう経験が合体して、46年の次官通知なり、52年の判断条件というところにつながっていくということは裁判の判決の中でも明記されております。それがひとつこの表にもあらわれている。この表自体が、原田正純さんの図も74年発表のものですし、おっしゃるように30年前の研究論文ということもありますが、公健法なり、そういった病像の判断の基準をつくる際の前提となってきたものとして、ご紹介をさせていただいたということでございます。
 それから、微量汚染の問題は、第1回にも丸山先生、柳田先生からご指摘がありまして、他の地域も含めまた国際的にも研究が行われまた議論されるべき問題としてあるとは思いますが、水俣病が、43年の政府の見解の中でもチッソの流したメチル水銀が魚介類を経由して中枢神経の健康被害を起すということでありまして、チッソの排出によってプラスされたメチル水銀の曝露による問題ですので、チッソのメチル水銀の垂れ流しの時期からの時間の経過とともに、どこまでがチッソによる水銀の曝露なのかということが非常に見えにくくなっていることは事実だと思いますので、現在の他の海域でも見られるような微量汚染の状況をどのように捉えていくかは議論があると思いますが、水俣病とつなげてとらえていくことはなかなか難しいのではないかというふうには思っております。
 以上です。

○有馬座長 鳥井委員、何かご意見ありませんか。
 ちょっと待って下さい。その前に今の質問への答えですね。そして、加藤さんと鳥井さん。

○青木特殊疾病対策室長 微量汚染の世界的な研究の現状について追加をさせていただきます。
 長期微量汚染については世界的に非常に大きな話題にはなっておりまして、現在、この分野について2つの大きなコホート研究が動いております。1つはセーシェル諸島における研究、もう1つはデンマークのフェロー諸島という場所における研究。この結果、フェロー諸島の方では長期微量汚染による発達障害等、明確ではないんですけれども、何らかの障害があるのではないかと。今の研究の現状ではそういう結果が出ていると。一方、セーシェル諸島における研究では影響はないという結論が出ております。
 ただ、この2つの研究ともまだコホート研究で、発達障害になりますと、成人に至るまでの非常に長期の経過が必要でございますので、その研究は途上にあるということでございます。これについて新聞等でいろいろな基準等が出ておりますけれども、確かな結論が出た後の結果ということではなくて、むしろその危険性が一つの研究では指摘されていて、一つでは指摘されていない状況の中で、予防的にそういう基準をとりあえず設定しているという状況でございます。これについては、環境省というよりも厚労省なり食品安全委員会の方で対応しておりますけれども、環境省もかかわりながらやっているという現状でございます。
 以上でございます。

○有馬座長 どうもありがとう。
 では、加藤さん。

○加藤委員 はい。私は、水俣病の被害と救済の問題、このことは非常に大きなテーマであって、この懇談会の中でやっていくこと自体にかなり無理があるような気がいたします。と言うのは、私自身、今、このお話を聞いていて正直わからないところがいっぱいあります。これこそ専門家の方たちに入っていただいて議論をしていただく。医学の見解についても先生方によって意見の分かれるところがあると思います。このことをしっかりと、専門家会議をこの懇談会が設置して記録としてきちっと残していくという意味でも、このことを私たちこの10人の委員の中でやろうとしても余りにも無理がありますので、改めてこの懇談会が提案できる一つの大事なテーマとして提案できないかなと思っております。

○有馬座長 どうもいいご提案ありがとうございます。
 私もその気持ちがありましたことを申し上げましょう。
 鳥井さん。

○鳥井委員 先ほどメチル水銀中毒の最新の知識が大事だよというお話があったんですが、それで幾つかの研究が進んでいるというお話をしました。水俣病以来のメチル水銀中毒に関する知識はどういうふうに増えてきて、どういうふうに変化してきたのかということは、一応知りたいという感じが強くしますね。アマゾンなんかでも随分メチル水銀の中毒患者が出ているんですよね。金採取で。メチル水銀じゃなく水銀、金属そのものなのかもしれませんけれども。そういうことも含めて研究もされているんだろうと思うんですが、世界的に見てどんな知識が増えてきたのかということは知りたいなと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、一渡り皆様のご意見を伺いましょう。
 亀山先生。

○亀山委員 今の段階であまり断定的なことは言いたくないんですが、今までのとりあえずのところでの感想ということで申し上げますと、現在の救済のいろいろなあり方、といっても先ほどご発言があったように奇々怪々で全くわからない。しかし、そのわからない理由は、一つには何といってもこの問題をチッソという一企業に対応させるという大前提と言いますか、そういうものでやってきたということがあるということは否めないのではないかと思います。そのことは何を意味するかというと、国がこの問題で責任を負わないよということをこれまた大前提として、そのためにこういういろいろなことが起こっている。
 先ほど43年までの不作為あるいは懈怠ということがありましたが、確かにやるべきことがちっともなされていない、根にはそういうあれがあるのではなかろうか。そのことを前提としますと、法による補償という道が選ばれたのも、そして、その補償について審査をある程度厳しくしたということもある程度の合理性がある。これは当然合理性があります、一応国に責任がないという前提の下で被害者を救おうというんですから。国民の税金をむやみやたらに使っていいかという問題が当然出てきますから、ある程度厳しくするのはこれまた当然だと思います。
 ところが、それと政治救済というのが絡まって、さらに今度は最高裁の判決が出て、国が責任があるということが認められる事態になった。そうすると、今までの大前提がここで崩れたと言わざるを得ないんですね。この崩れたことを今度は前提として、それではどういう解決をしたらいいかということを根本的考え直すべきだろうと思うんです。そうしないと、今までの司法救済と、そのほかにこれを繕うための救済ということを考えざるを得なくなって、ますます奇々怪々になる。
 私は、従来の認定の審査基準、公健法等を改正しろとか、そういうことはあまり意味がないのではなかろうかと。今までの時点で考え得るある一つの合理的な施策であって。その施策が成功したかどうかという評価は別として、一応の合理性の認められる施策だったろうと思うんですが、現在はその前提が大分違ってきているわけですから、その大前提をもとにしてこれからどうあるべきかということを考え直すべきではなかろうかというのがとりあえずの感想です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 では、金平先生。

○金平委員 私は行政の判断というものと科学的な知見というものがはっきりさせないといけないと思います。当然、有機水銀の害がどんなふうなものであったか、この水俣病が発症した当時にはわからない部分が非常に多かったと思います。しかし、43年には統一見解という形で出していらっしゃるわけです。それに基づいてその後の行政の判断があったと考えざるを得ないわけですが、この43年から既に何年たっているか。
 先ほどからお話が出ています、すべて行政が司法の判断によって動くのではなくて、行政の判断は行政として科学的な知見に基づいてその後もやらなくてはいけないので、そういう努力がどこにされたのか。何か形になって、それをあらわすことが現時点においてできるのかできないのか。それが先ほどお話が出ていることとつながってくると思います。もう一回申しますけれども、43年の水俣病に関する政府統一見解を現代に置いたときに、今、どういう統一見解を出せるか。そして、その根拠は何かということが1つ。
 それから、もう1点だけ。そういう資料があるかどうかわかりませんけれども、私はわずかなものしかまだ読んでいませんが、医学者とかほかの科学者がこの問題に取り組んで、それぞれ知見を発表していらっしゃいます。そういうふうなものが、先ほどの原田先生のあれによるとこうだというふうなものがあって、その取り上げられ方に、当然、密度は違いますけれども、どういうふうな知見がこれまで出てきたのかということを一回きちっと出していただいて、その中でこれを取り上げたんだというところを少し整理して教えていただきたいと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 いろいろな面で少し整理をしなければいけないようですね。
 そこで、現場に最も近くおられた吉井委員。

○吉井委員 救済問題の混乱の根底は、46年の認定条件を52年に高められたと、このことが根底にあると思います。このことによって被害者が切捨てを意図していると疑念を持つ。それが現在までずうっと続いてきているわけです。先ほどもご説明いただきましたように、環境省としては決して厳しくしようと意図したものではないと。柳田先生のご指摘もございましたが、そういうものを含めて水俣病の診断の蓋然性を50%以上に高めるために、1つの症状では駄目で2つの症状の組み合わせを基本としたと、医学的には一貫していると、こういうご説明をいただきました。
 確かにそうだと思いますけれども、患者の側からしますと、厳格なものを緩やかにしたのではなくして、緩やかなものを厳格にしたものですから、これまで1症状で認定をされていた人たちが切り捨てられる、該当しない。そして、1つの症状でも他に原因があると思われる場合でも、魚をたくさん食べていたと。いわゆる疫学的に十分なものがあれば認めることもできるんだと。その緩やかなものが大変厳しくなったわけですから、これを疑念を抱くなというのはすごく難しい問題だと思います。
 国会答弁を見ますと、国の答弁は52年の判断基準は公健法に基づき、公平・統一性の観点から水俣病患者の認定を行うため、水俣病に関する医学の各分野の専門家による検討結果として示されたものと、こう説明をされております。それを昭和62年に水俣病の判断条件に関する医学的専門会議にお諮りをして確認をいただいた。いわゆる判断条件は妥当であるという確認をいただいた。
 そして、平成3年に中央公害対策審議会にお諮りをして、判断条件に変更が必要となるような新たな知見は見当たらないという答申をいただいた。この2回にわたって検証した結果、妥当であるというふうにご説明をされております。最高裁判決以後も、平成17年2月に衆議院の予算委員会で滝澤部長さんがご答弁なさっておりますが、これも同じく60年と平成3年、2回にわたる専門家によって検討されたが、2回とも判断条件は妥当であると確認をいただいた。ご答弁はずうっと一貫しております。
 中央公害対策審議会の「今後の水俣病対策のあり方」という答申を見てみますと、52年の判断条件は先ほど申しましたように、医学的知見をもとにして取りまとめたものであり、臨床上の診断基準の性格を持っているものであるということ。それから、四肢感覚障害のみで水俣病であるという蓋然性は低く、その症候は水俣病であると判断することは医学的に無理があると、こう述べております。そして、現在までの研究では、これらの判断基準の変更は必要となる新たな知見は示されていない。
 その後、行政のとるべき対策について、四肢末端の障害を有する者は、汚染原因者による損害賠償を基礎にした救済を行うものではなく、地域住民の健康上の問題の解消、軽減を図るものとすることが適当であると、こう述べられた上で、四肢末端感覚障害を有するものへは医療事業を行うべきであると結論づけたと、こういうふうに答申がなされております。そこで、平成7年の政治解決の総合対策事業もこれに基づいてなされているんだというふうに私は思います。そして、今、現在示されております新保健事業の根拠もここにあるんだろうと思います。
 しかも、この新しい対策の中で一時金は駄目だというふうに答弁をされておりますが、このことについても中央公害対策審議会では、四肢末端の障害を有する者に対して、行政として汚染原因者の損害賠償責任を踏まえた対策を行うことは適当でないと、こういうふうに述べられております。これを踏まえた今の対策であろうかと私は思っております。行政が政策を行う場合には、法律による要請とか、そういうしっかりした根拠が必要であると思いますので、このことを根拠にして対策が組み立てられているということで納得いたしております。
 しかし、平成3年の中央公害対策審議会からもう既に14年たっておりますね。その後、関西訴訟などにおいて水俣病に関する多くの医学的知見が出されておりますし、一部は裁判所がこれを採用されております。裁判所の損害賠償訴訟の判断と行政の判断は違うと。これは亀山先生がご専門ですから、後でお伺いしたいと思いますけれども、違ってもいいと。司法と判断条件が違ってもいいということらしゅうございます。しかし、そういう大きな医学的知見が出た場合は検討してみる必要があると私は思っております。
 中央公害審議会の平成3年の答申の中でも、「現在までの研究では」と断って判断条件の変更が必要な新たな知見は見当たらないと書いてありますし、決して今後における変更に必要な知見が出る可能性はないということを言っているわけではございません。やはり14年前の答申に頼っているというのは何とも説得力が弱いような気がしてならないわけであります。亀山委員が先ほど「前提が崩れた」とおっしゃいましたけれども、ここで高裁の判決が出たという大きな転機を迎えておりますので、改めて審議会あるいは専門家会議、こういうところで検討いただいて、今後の施策のしっかりした根底をかためていただく。そのことによって混乱はおさまってくると、新しい根拠をつくることによっておさまってくると思います。
 この問題については議論百出でありますから、右往左往していては混乱を深めるばかりでありますし、ある一定のしっかりした根拠を定めていくことが必要だろうと。第2回の私の意見の中で、「専門家のそういうのが必要だ」と申し上げましたのは、こういうことを意味しているということでございます。

○有馬座長 ありがとうございました。
 確かにきちっとした根拠でやらなければならないし、また、裁判の結果が変わっていることもあるから、その辺も一度掘り下げてみましょうね。
 私はひとつよくわからないんだけれども、あと残っているのは2,900人超の人々で、その人々は最高裁判決の後の申請者であるということが書いてある。この人々は今後さらに申請を続けていくわけですね。それの判定はこの図だとどこになっていくんですか。すなわち、最高裁判決の後の申請者は2,900人超といいますが、これは手続き上どこで認定をしていくんですか。

○柴垣企画課長 認定申請者ということで、お示しした概念図の上の部分の公健法による法制度のところに今申請をされているということでありますから、申請者である限りにおいては公健法の認定か棄却かという判断をする部分でございますけれども、現時点で認定の審査会が昨年からとまっておりますので、まず審査会を再開させて、それを動かすという部分と、それからもう1つ、行政の救済制度につきましては、先ほど吉井委員が言われましたように、平成3年の答申に基づいて4年から総合対策ということで始まっている部分があります。
 それが平成7年の政治解決で一たん閉じておりますけれども、それをもう一回開き直して、認定とは別の救済制度として申請者が選択できる制度として、10月以降門戸を開きますので、申請者が公健法の認定か棄却かの判断を求めるか、それとも新しい行政の救済制度を選択されるかという選択の問題になってくるだろうと思っております。

○有馬座長 その審査会の再開は行政の方で決まっているわけですか。

○柴垣企画課長 いえ、今、働きかけて、再開できなければ、制度上不作為ということにもなってまいりますので、何とか再開できるようにしていきたいというふうには思っております。

○有馬座長 幾らかわかってきたことがあるような気はいたしますけれども、もう少し掘り下げてみないといけませんね。きょうはっきりしたことはいろいろな見解がある、医学的にもいろいろな見解があるということです。それからまた、国としても、先ほど非常に明確に亀山先生が整理されましたけれども、立場が変わってきて、最終的法律では国の責任ということが言われるようになった。こういうふうに状況が変わってきているということをもう一度整理して、しからば今、何をなすべきかということを今後ご議論賜りたいと思います。
 確かに偽物がいるとかというようないろいろな問題があるけれども、私は性善説に立ちたいんですね。ともかく患者がいれば、それは助けるべきだという性善説の立場に立ったときにどうなるだろうか、今から手が打てるんだろうか、行政として手が打てるんだろうか、いろいろな問題があると思いますが、きょうは時間がまいりましたから、次の話題に移らせていただきますけれども、この辺についてもう少し議論を深めさせていただきたいと思います。
 今後のこの懇談会のスケジュールや内容について少し議論をさせていただきたいと思います。きょうその点について随分いろいろなご議論が出てまいりましたが、その前に、第2回の懇談会の最後に私から事務局に「今までに各委員から出されたご意見を踏まえて今後議論すべき論点を大括りに整理してください」ということをお願いいたしました。そして、懇談会としての今後の議論の方向やスケジュールをまとめるようにお願いしておきましたが、この間、幾たびか事務局とも相談してまいりました。その結果を案として事務局に取りまとめてもらいましたので、きょうのことはまた別といたしまして、第2回から第3回においてどういうふうなことが意見としてまとまってきたかについて整理をしていただきたいと思います。
 事務局、お願いいたします。

○柴垣企画課長 それでは、資料4を有馬先生とご相談して事前にまとめさせていただいたところであります。過去2回の議論の中で過去の責任の問題ということで、きょうの被害者救済の背景としても、30年代において水銀曝露の的確な把握のための調査などをやっていなかったことも含め、最初にちょっと説明を省きましたけれども、2回目の「発言があった主な事項」というところで、責任と謝罪という問題の中で、過去の責任問題の中心として、34年の12月末の社会全体による水俣問題の終息化・蓋を閉めたということ。
 これは戦後の高度成長を支えると言いますか、維持するということで化学工業界、産業政策、さらには、その恩恵をこうむった日本社会全体、それの責任の代行として行政、国が責任をとるということも含めた責任問題の中心がそういう時点であって、35年以降の最高裁で言われた規制権限の不作為ということも、水俣問題の終息化の上に行政があぐらをかくと言いますか、行政の不作為ということでなされてきたということがあろうかというふうに考えますので、まず、過去の責任問題の中心として34年12月もしくは35年以降に少し焦点を当ててご議論をいただき、またこちらからも裁判の証言録などの資料などもこれから見つけて提示できればと考えています。
 さらに、過去の責任問題の結果と言いますか、その帰結として現状、今の救済制度の問題も含めて、現在の水俣病問題があるというふうに考えておりまして、その問題について、先ほどの2,900人、今後3,000人を超えるかもしれませんけれども、そういった申請者が出てくる問題の構造と言いますか、地域社会の問題なり、今後の展望みたいなことも含めて、地域社会の問題構造ということで、丸山委員が今、地元でフィールド研究と言いますか、新たな申請者へのアンケートや聞き取りなども含めて研究調査やられているということで、そういったご報告も受け、また、加藤委員が地元で胎児性の支援活動などに取り組まれているということも受けまして、地域社会の現状、それから、その被害・救済の問題構造ということも含めて2回ぐらいご議論をいただきたいと考えております。
 それらを踏まえて、来年が公式確認の50年ということで、この懇談会の目的であります行政の50年の責任と謝罪と言いますか、責任をどう今後に結びつけていくかということも含めた内容のある謝罪と言いますか、そういったものを最後に議論していただければと。それは前回の議論でも行政組織としての謝罪のあり方みたいなことも含めて、そういったテーマの議論も含めて、また今後の水俣地域と言いますか、関係地域の将来と言いますか、そういった地域に何をすべきかということも含めた、また、救済の問題も含めて、今後のあり方みたいなことで議論のまとめと言いますか、提言などをいただければというふうに考えて、過去、現在、それから、今後というようなことで、それぞれ2回ぐらいずつということでまとめさせていただいております。
 以上でございます。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 ただいまお話にありました案につきまして、1つは、きょうの議論を踏まえた修正が必要だと思いますし、ほかに何かご意見ございましたら、ご発言賜りたいと思います。
 柳田先生。

○柳田委員 公害の原点と言われている水俣病から何を学びとって、何を提言していくかというのは、行政機関に設けられた今回の懇談会のテーマではないかと思うんです。その意味では、「今後のスケジュール」に書かれた責任と謝罪、そして、地域社会の改めての振興対策をどうすべきか、そういう問題は重要でありますけれども、それとともにより一般性のある、座長も先ほどおっしゃった深い本質的な問題ですね。アスベストの問題にも共通するような、行政に携わる役人の問題意識なり、それを制度的に保証する組織のあり方、さらには学問をする人への継承といったようなことまで、この懇談会が発言すべきではないかと思うんです。それは大きなテーマとしてもう一つここに並べなければいけないのではないかと思うわけです。

○有馬座長 ありがとうございました。
 もともと大臣から諮問を受けたときにそういう気持ちがあったと思うんですね、大臣の方にもおありだった。この辺はもう少し掘り下げて、次の会議でも反映させていただきたいと思います。
 鳥井さん。

○鳥井委員 今のご意見に大賛成でありますが、もう1つ、市民の問題というのも。市民はどういうふうに行動していくべきなのかというようなことも、今後の教訓として検討ができていいと思います。ですから、市民、行政、科学者という三者の役割を……。

○有馬座長 本当は科学者が一番客観的であっていいはずですよね。証拠書類をもって判断するわけですから。しかし、今回のようなこういう病気の場合は非常に難しいんでしょうね。サンプリングが急に増えるわけではないし。その辺についてまた。場合によっては研究者の意見も直接聞きながら判断をさせていただいたらどうかと思います。
 ほかにご意見ありませんか。どうぞ。

○金平委員 今、座長がおっしゃいましたけれども、科学者のお考え、ひょっとしたらその方たちにも大きな反省もあるかもしれませんが、そういうことも含めて我々は伺いたいと思います。
 それから、柳田委員の「行政に携わる人の」という、ここは非常に大きいところだと私は思っております。恐らく一人ひとりの担当者には相当な迷いも反省もおありになるだろうと思いますけれども、行政という立場になったときにそれが市民にわかる形で表明されない。そういうままに世の中のいろいろな事業が進められる。解決する場合はいいですけれども、解決しないままに放置されるということは非常に問題だと思います。吉井委員かな、「右往左往しているときには混迷が深まるばかり」とおっしゃった言葉を私は大きく受けとめました。

○有馬座長 ほかにご意見ありますか。丸山さん。

○丸山委員 先ほどからこの懇談会の課題にもなっておりますけれども、水俣病事件を総括して、発生させないためにはどうすべきであったのかという予防ですね。また、実際に現象が起こって、少なくともそこで阻止すると言いますか、拡大を防止するためにはどうすべきであったのか。そして、そこで出た被害者に対してはどのような救済体制を整えるべきだったのかというあたりは今後、この水俣病事件の教訓から発信する必要があろうかなとは思います。

○有馬座長 いいポイントをありがとうございました。
 私は、この水俣病を一つのいい例題として、今後、起こさないようにするにはどうしたらいいかということを考えるべきだと思うんですね。
 話が飛んで申しわけないけれども、今度のニューオーリンズの事件を見てても明らかに行政の失敗、ほかの国の行政に文句を言ってもおかしいけれども、研究者の目から見ると明らかに行政の失敗だったと思うんですね。あそこの堤防は弱いなと素人だって思っていたくらいですからね。そういうことを未然に防ぐにはどうしたらいいかということをここできちっと考えるべきだと思うし、越権行為になると悪いけれども、アスベストの問題とか、先ほど柳田先ほどはエイズの問題も言っておられた。
 そういう問題は今後、特に高度技術社会になるとさらにそういう問題は起こってくるだろうと思うので、そういうときに行政の人たちはどうしたらいいかということも少し掘り下げてみたいと思うんですね。行政の方たちだけにお願いをすればなかなか難しい、判断のつかないこともあろうかと思いますので、我々としてもお手伝いをして、こういうときにはこうできないだろうかというようなことを我々から献策できればいいなと思っているところです。
 だから、後ろ向きだけではなくて、前に向いて、将来のためにどうしたらいいかと。そしてまた、ともかく患者さんが髄分いるんだから、よりよく救済するには何がやれるかというようなことを、将来ご議論賜れれば幸いだと思います。
 吉井先生、いかがですか。

○吉井委員 全く同感です。水俣病の教訓というのは広範にわたっておりますから、行政あるいは学者、先生がおっしゃったようにいろいろなあり方、政治のあり方、それから、人権問題、福祉の問題、あるいは、道徳・倫理の問題、そういうような広範な問題にわたっておりますので、できるだけ数多くの教訓をこの委員会で引き出していただきたいなという希望を持っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 加藤さん。

○加藤委員 ひとつ私がとても気になることがあります。というのは、50年の節目で提案されたこの懇談会は昨年の10月の関西訴訟の判決も大きく受けてということだと思うんですけれども、大変重要なテーマがきょうの議論の中でも出てきているんですね。先ほども同じことを言っているんですけれども、時間的に非常に区切られていると。少なくとも私たちここにかかわった以上、中途半端な報告はできないと思うんですね。
 それから、少なくとも50年の節目でつくれたこの懇談会の結果が、被害を受けた患者さんたちにとっては、「あの懇談会があってよかったな」と、10年後、20年後に思っていただけるようなものにしていくためには、期限を区切ってありますけれども、このことについて環境省の方も考えていただきたいなと思っています。ですから、私たちにとってここはあくまでも中間報告ということにしかできなくて、次に何を提案すべきかとういことを考えながら、この後の会議をやっていくべきだと思っています。

○有馬座長 ありがとうございました。
 亀山先生、きょうの結論……。

○亀山委員 結論というほどのことはないんですが(笑)、この水俣病の問題をどういうふうに解決したらいいかという具体案、環境庁の方はそちらの方にどうしても視線がいくだろうと思うんですが、それはまさしく立法と行政の責任で解決しなければいけないこと。もちろん、我々はそれに対して意見を言うことはできますけれども、それに責任を持つわけにはいかない。しかも、この機関は大臣の私的な懇談会でありまして、何の権限もない懇談会でありますから、責任を持ってそこまで踏み込むわけにはいかない。
 ですから、我々が寄与できる一番のことは、先ほどから委員長などもおっしゃっているように、今後どうあるべきか、我々も含め、それから、行政庁も含めて、学者も含め、こういうことを二度と起こさないためにどうあるべきかということについて、何らかの提言ができるということが一番望ましいことだと思うんです。ただ、それをやるためには、また逆に戻ってなぜこんなことが起きたかという原因の方をぎりぎりと詰めなければいけない。だから、やっぱりそこのところへ戻ってくる。そこのところをある程度詰めて、限界はありますけれども、ある程度詰めてやらなければいけないのではない。それをもとにして一般的な提言をするというふうになるのかなと、今のところは思っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 今の亀山委員のご発言をきょうのひとつのまとめとさせていただきまして、きょうの議論を閉じたいと思いますが、最後に事務局から何か連絡がありますか。

○柴垣企画課長 次回の懇談会の日程についてでございますが、予定をお聞きいたしまして、調整させていただきまして、次回第5回を10月3日(月)の15時から17時ということで開催させていただきたいと思います。場所につきましては、この場所ではなくて、後日、連絡をさせていただきたいと思います。

○有馬座長 では、本当にお忙しいところをありがとうございました。台風も今のところ東京は静かなようでありまして、九州からお出での方々、ご無事にお帰りになられることを祈念いたしております。
 以上をもちまして、水俣病に関する懇談会の第4回を終了させていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

午後3時02分 閉会