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第2回水俣病問題に係る懇談会
会議録
 


  1. 日時 : 平成17年6月14日(火)13:00〜15:00

  2. 場所 : 環境省第1会議室

午後1時2分 開会

○柴垣企画課長 定刻になりましたので、ただいまから水俣病問題に係る懇談会の第2回を開催させていただきます。
  委員の皆様方には、御多忙の中にもかかわらずお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
 また、本日は傍聴席に潮谷熊本県知事も見えておられますので、御紹介させていただきます。
 本日は、遅れております柳田委員も御出席ということで、全員の御出席をお願いできる形になっております。
 議事に入ります前に、前回欠席されました委員お2人の御出席を頂いておりますので、最初に御紹介させていただきます。
 まず、京都精華大学人文学部教授で、現在、環境社会学会の会長を務めていらっしゃいます嘉田由紀子さんでございます。

○嘉田委員 嘉田でございます。よろしくお願いします。

○柴垣企画課長 続きまして、元日本経済新聞社の論説委員で、現在は東京工業大学原子炉工学研究所教授をなさっていらっしゃいます鳥井弘之さんでございます。

○鳥井委員 鳥井でございます。よろしくお願いいたします。

○柴垣企画課長 以上でございます。
 小池環境大臣につきましては、衆議院本会議出席のために30分程度遅れて参加する予定でございますので、あらかじめ御了承をお願いいたします。
 引き続きまして、資料の確認をさせていただきます。
 議事次第に資料一覧がございますけれども、本日、後ほど御発表いただきます吉井委員から、この一覧にはない「水俣病に関する懇談会」という資料を頂いております。それとともに、資料一覧にありますとおり、資料1「懇談会(第1回)において発言があった主な事項」、資料2「現地開催日程(案)」と3部の資料がございます。
 また、参考資料といたしまして、委員のお手元のみに配付しておりますものが何点かございます。
 1つは、前回の資料としてお配りいたしました「水俣病問題関係略年表等」でございますが、年表につきましては、前回、加藤委員などから御意見がありまして、それをいくつか修正しております。例えば、2ページの胎児性水俣病の最初の診査の部分、それから3ページの、昭和63年7月、9月、水俣病チッソ交渉団の部分などを修正しております。それから、7ページの円図につきましては、最新の新たな申請者の数、6月13日現在で約2,300人という部分が改まってございます。
 参考資料2は、事前に委員の方々に御確認いただきました第1回の議事録でございます。これにつきましては、本日の第2回懇談会終了後に環境省のホームページ方に公開させていただきますので、もしまだ何かございましたら、会議の間に申し出ていただければ、まだ直すことができるものでございます。
 また、資料1の「懇談会(第1回)において発言があった主な事項」でございますが、議事録には詳細に発言の中身を記してございますけれども、毎回、前回の議論を思い出していただくようなことも含めまして、事務局の方で簡単な概要を作って配付させていただこうと思っているものでございます。
 簡単に中身を紹介させていただきますと、まず、前半の部分では、日本全体の視点、それから行政、政治が同じ過ちを繰り返さないために行政自ら本気で検証する、マスコミの検証も必要である。また、患者の声を聞くことに加え、疲弊して壊れた地域社会にも視点を向けるべきである。また、縦割り行政の問題なども指摘がございました。
 2ページでは、劇症から微量までの広がりというもの、また、微量汚染に係る研究を今後、より進めるべきではないか。また、埋立湾の耐用年数の問題、それから高齢化や胎児性の地域社会の中での支援をどうすべきかといったような論点が提示されてございます。
 毎回こういう形で積み重ねていって全体の議論の方向の参考にしていただければということで、お配りさせていただいております。
 それでは、以後の議事進行は有馬座長にお願いしたいと思います。
 よろしくお願いいたします。

○有馬座長 それでは、議事進行に移らせていただきます。
 まず初めに、本日の懇談会については非公開とする必要がありませんので、原則どおり公開したいと思いますが、いかがでしょうか。
(「異議なし」の声あり)

○有馬座長 御異議ございませんね。
 それでは、本日の懇談会は公開で行い、議事録は、出席された各委員の確認、了解をいただいた後、環境省ホームページに掲載し、公開させていただきます。
 本日の議題でございますが、まず吉井委員からの報告を頂きます。次に、現地開催について御議論いただき、その他となっておりますが、議題に入ります前に、前回欠席されましたお2人の委員に、本懇談会に参加されるに当たっての抱負などありましたら御発言いただきたいと思います。
 お2人の御発言の内容について、他の委員の方々からもちろん御質問、御意見等もあると思いますけれども、それは後ほど吉井委員の御報告の後に、吉井委員への質疑と併せて自由に議論をしていただきたいと思いますので、その際に頂戴できればと思います。
 それでは、嘉田委員、鳥井委員の順にお願いしたいと思いますので、まず嘉田委員よりお願いします。

○嘉田委員 嘉田でございます。前回は欠席をして、申し訳ございませんでした。
 私は今、京都精華大学というところで環境社会学、環境と人のかかわりを社会学的に研究し、学生さんに伝えるという役割を担っております。それ以前は琵琶湖博物館というところで、主に琵琶湖を舞台に過去100年、近代化の過程で水と人のかかわりがどう変わってきたかということを社会学的に研究し、博物館設置のための企画立案をしてまいりました。また環境社会学会の会長も務めているものですから、こちらにお呼びいただいたことと思います。
 水俣との縁は琵琶湖つながりです。実は琵琶湖のことをずっとやっておりまして、どうしても水俣のことを学ばせていただきたいと思いまして、1990年代からちょくちょくお伺いしております。
 少し長くなって申しわけないのですが、環境社会学自身は新しい学問でございます。こちらに社会学の大先輩の丸山先生がおられるように、公害問題あるいは環境問題というのは、人と自然のかかわりの背景に人と人のかかわりがございます。その人間社会と環境のかかわりの仕組みを明らかにする必要があるだろうということで勉強させていただいております。例えば、環境社会学会の創始者の一人であります飯島伸子さんは、故人になられましたが、70年代初頭から水俣の被害者の暮らしに寄り添う形で、被害構造はどうなっているのか、生活、地域社会の変化、差別の問題なども含めて研究しておりました。
 その後もずいぶん多くの者が環境社会学の立場から水俣で勉強させていただいております。とはいえ、果たしてどこまで本当に水俣の患者さんの暮らしの改善なり、あるいは地域社会の再生、もっと言いますと、この問題そのものを政策的に改善するというようなところで学問がお役に立ってきたのか、甚だ心許ないところもございます。そんな視点から、今回は少しでも具体的な政策提言のところでお役に立てたらと思って、参ったわけでございます。
 この懇談会の役割は、第1回の小池大臣の発言にもありましたように、近代化の中で行政や企業がどんな失敗したのかという、失敗の本質を見極めるということだろうと思っております。そのような宿題を私たちは頂いているのですが、これを社会学的に見ていきますと、まず、組織の在り方がどうあるべきかが問題になると思います。先回も行政の失敗、あるいはマスコミの失敗ということも亀山委員が指摘なさっておられましたけれども、私どもの立場からいきますと、やはり「地域社会の運営における失敗」というところも大きな問題としてあったのだろうと思います。それからもう一つは、「内面世界の心の問題」、私どもの心の中に潜む差別を生み出す気持ちというんでしょうか、そういう精神構造のところもやはりかかわらざるを得ないのではないのかと思っております。
 ですから、失敗の在り方、これは大変難しいのですが、「個人の中に社会が反映され、社会の中に個人が反映されている」という、その両方を見据えながら、失敗というものを改めて社会学的に学びながら、将来に対してどうしていったらいいのかという予防原則的なところも含めて発言させていただけたらと思います。
 もう一つが、私自身は、失敗の在り方の中にかなり価値観の問題が含まれているだろうと思っております。
 長くなって申しわけないのですが、私たちは、戦後あるいは近代化をはじめた明治以降、必死に近代化を追いかけて、欧米を追いかけてやってきたんですが、そこで忘れてしまったものがあるのではないかということを改めて、近代的な知識と技術の在り方、そこに潜む感性の問題まで含めて考えられたらと思っております。
 一言で言いますと、今日も私は滋賀県の大津から新幹線で参ったんですが、この新幹線を走らせるという生活行動の中に含まれている近代的知識なり技術、これによって私どもは大変な恩恵を受けているわけですが、それが行き過ぎた時にどうなるのか。近代科学技術は対象を「制御する知」により組み立てられていますが、私たちは対象と「共感する知」を忘れてしまったのではないか、と思います。水俣病の場合には、チッソ水俣という、いわば近代化学工業の持っていた一つの企業生産の在り方、そこが地域社会とどうつながっていたのか、あるいはそこで意思決定する人々が、いわば人としての共感を地域の人々とどう結べたのか、あるいは結べなかったのかという問題があります。
 もう一つは、生き物との共感です。魚もそうですし水もそうですけれども、私たちは自然の仕組みに学ばざるを得ないのですが、その自然の仕組みというところに対する共感、これも近代化の中で失ってきたものの1つではないだろうかと思うわけです。
 私は、実は水俣に伺うたびに、患者の皆さんからいろいろな力を頂きます。具体的にお名前を申し上げさせていただけるなら、例えば、杉本栄子さんという患者さんがおられます。本当に差別はされてきたけれども、逆に、し返してはいけないということを自らで据えながら、しかも病気を克服して、今でもちゃんと船に乗って漁業をしていらっしゃる。そして、その海から自然の恵みというものを頂く。そこのあたりの、いわば自然観というのでしょうか、私は杉本栄子さんの気持ちの中に、いわば縄文人の志というんでしょうか、自然に生かされている志のようなものを接するたびにいただいて、こちらも心強く思ってくるわけでございます。
 それからもうひとかた、緒方正人さんという漁師の方がおられます。この方も、いわば近代化で失ってしまった魚との共感、生き物との共感の世界を見事に描き出しております。そのようなところで、私たちは逆に学ばせていただくことが大変多いのが水俣でございます。
 それから、ここ10年ほどの吉井市長さん初め、疲弊してしまった地域社会をどう取り戻していくのかという「もやい直し」の運動、これも、ある意味で日本の多くの地域社会が学ばなければいけない、内発的な力の取り戻しだろうと思います。
 その中で、例えば地元学というような動きにも注目しております。外からのお金、外からの技術ではなくて自分たちの足元を見て、足元の大地、水、生き物とかかわりながら地域を再生していこうという地元学というような動きも、水俣だからこそ生まれてきたものだろうと思います。
 このような動きは決して水俣に特殊ではなくて、日本全体の地域社会が求めていくべき方向だろうと思っておりますので、大いに勉強させていただいております。
 ちょっと長くなってしまいましたが、そんなことで、環境社会学あるいは地域社会学、それと、いわば近代に生きる私たちの精神を改めて見直してみる価値観の変換というようなところからも、水俣から学ぶべきものがたくさんあるだろうと思っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 御議論は後にさせていただきまして、引き続きまして、鳥井委員にお願いいたします。

○鳥井委員 鳥井でございます。ひとつよろしくお願いいたします。
 私、さっき御紹介ありましたように、長年新聞記者をやってまいりまして、ちょうど環境庁ができたときに記者クラブに詰めておりました。当時のことを思い出しますと、マスコミにとっても水俣病が最大の蝟集だったわけであります。1987年ぐらいから論説委員をやっていたわけですが、水俣病について2回ほど社説を書いた記憶がございます。
 現在は、科学技術と社会との関係についていろいろ考えているわけであります。技術者倫理だとか説明責任だとか、情報公開だとか、専門性というのは何なんだというようなことについていろいろ世の中でも言われ、私も考えているわけでありますが、水俣病を振り返ってみますと、科学技術と社会との関係のすべてが集約されていると言ってもいいような状況にあると思うんですね。これからますます科学技術への依存が高くなっていくと考えますと、やはり水俣病をちゃんと検証しておくことで、科学技術と社会の関係をどう考えるのか、すごく大事な話になってくるだろうと思います。
 今、総合科学技術会議で科学技術基本計画の新たな、第3次の検討が始まっているわけですが、残念なことに、例えば水俣病から学んだ科学技術との社会のかかわりみたいな視点というのは、全く触れられていないんですね。科学技術に携わる人たちが何とか自分のやりたいことがやれるように、社会との関係でよくやろうよというような視点では、科学技術と社会という議論があるんですが、そこが非常に不満だなと思っております。この検討を通して、科学技術計画などにも少し反映されるようなことができたら非常にいいだろうと思っています。
 もう一つ、あらゆる分野で困るわけでありますが、因果関係が必ずしも証明されていない、証明されないことについてどう考えるのか。これは社会と行政、専門家の間でしっかりと哲学を合意する必要があるのではないかという気がするわけであります。多分、科学的な判断の役割と政治的というんでしょうか、社会的な判断の役割というのは、多分、違うんだろうと思うわけでありまして、その辺の役割分担をどう考えるのかということも少し……、なかなか難しくて結論が出にくいと思いますが、出れば非常にいいかなと思って参加させていただいております。
  よろしくお願いいたします。

○有馬座長 重要なポイントを御指摘になりました。ありがとうございました。
 それでは、ただいまから議題1、吉井委員からの御報告に移らせていただきます。
 吉井委員、よろしくお願いいたします。

○吉井委員 今回は、私に大変多くの時間を割いていただきまして、本当にありがとうございます。
 水俣病の経過については資料がございますので、省略をいたします。かつて市長として水俣病問題とどうかかわってきたのか、行動と反省、それから問題点、素朴な疑問、実現してもらいたい要望などについて発言させていただきます。
 まず、JR福知山線の脱線事故、大変な大惨事でございます。直接の原因は、カーブでのスピードの出し過ぎだそうでございますが、その根底に会社の経営効率主義、営業優先の企業体質があった、こう有識者の皆さんが御指摘なさっております。
 三菱自動車とか東京電力とか、この類の不祥事が続発をいたしております。これを見ますと、ただいま鳥井委員が御指摘なさいましたように、経済効率優先、安全・人命の軽視、隠蔽体質、このことが大惨事を引き起こす、しかも企業自体もリスクが増大して社会的信用を失墜する、企業の存続も危うくなる、こういう水俣病の事件が残した教訓がほとんど守られていないということがすごく残念でありますし、悲しく思っているところでございます。
 水俣病の事件は、人命、人権、環境の問題、それからまた政治、経済、企業の在り方など、幅広く教訓を残しております。ここで改めて真剣に学習しなければならないのではないかと思います。
 ところで、福知山線の運転再開については、国土交通省は厳しい条件を付けており、JR西日本を監督し、体質の改善を指導しておられるようであります。ところが、水俣の事件の場合は、国は高度経済成長を国策として推進していた時代であります。原因企業のチッソを厳しく監督、体質の改善を指導されるどころか、企業の持つ経済優先主義をむしろ幇助し、支援してしまわれた。そのために被害は拡大・長期化、悲劇を深刻化した。これが今、50年を経て改めて問われているわけであります。
 それに、チッソを高度経済成長の重要な担い手としてかばい、操業を続けさせた、このことがむしろチッソに大きな負担を、リスクを背負わせて死に体に追い詰めてしまいました。まことに皮肉と言わざるを得ないと思います。
 責任の所在と謝罪について申し上げます。
 環境省は、水俣病の担当省庁として謝罪をなされました。当面する患者救済問題で大変御苦労されております。これは担当として当然なことだろうと思います。しかし、かつての国の過ちを一手に引き受けて御苦労されている姿を見ますと、何とも気の毒だなという感じもいたします。
 ただ、環境省自体も、1977年の環境庁保健部長通知「後天性水俣病の判断条件について」今、その是非が大変な問題になっております。これについて決着をなさる責任があろうかと思います。このことについては後で少し触れたいと思います。
 最も重大な責任は、漁獲禁止、排水の規制、汚染の範囲や被害の全貌、こういう実態の把握を怠り、すなわち危機管理が欠如してしまった、そして被害を拡大してしまった、救済を混乱させ、長期化した当時の通産省、厚生省の水俣病対策の誤りであります。資料としていただいております水俣病に関する社会科学的研究会の「水俣病の悲劇を繰り返さないために」という報告書にも、その責任が明確に指摘されております。
 薬害エイズの問題、それから金平先生が大変御苦労なさいましたハンセン病の問題、これはいずれも被害者と担当省庁が直結をいたしております。そして責任の所在が国民にはっきりと見え、謝罪、反省、教訓、対策、これが明瞭であります。ところが、水俣病事件は、担当の環境省と患者救済問題が前面に出て、直接これにかかわった経済産業省や厚生労働省や政治家、これは背後に隠れてしまっております。どう判決を受けとめられたのか、どう反省されているのか、何が問題だったか検証されたのか、どう体質を改善されるのか、水俣病患者、地域にどう償いをされようとするのか、コメントはございません。
 今、最も求められているのは、経済産業省、厚生労働省、それに政治家の明確な表明だと、このように思います。
 95年の政治解決のときに、村山内閣総理大臣は談話を発表され、謝罪をされております。その内容は行政責任には触れず、道義的、心情的な謝罪でございました。そのことに被害者は「行政責任に触れていない」と反発し、批判をいたしましたが、一応の評価をされたと思います。今、国の責任が確定いたしました。ここで総理の反省と謝罪がなされるべきであります。
 しかし、もう既にタイミングを失ってしまいました。そこで、来年、公式発見50年を迎えます。その記念すべき慰霊式に参列をいただいて、そして直接謝罪をしていただければ、このように思います。どうか小池大臣から勧めていただきたいものだと、そのようにお願いいたします。
 何の罪もないのに、もがき苦しみながら命を落とした人、それから、楽しいはずの人生を棒に振って、その上、周囲からの精神的な迫害を受けて苦しみ抜いてきた人たち、それから、生まれながらにして重い障害を背負わされている胎児性患者の皆さん、この皆さん方はいくら高額の補償をしても救われるものではありませんし、その補償金だけでは償えないものであります。そこで、加害者、そして国の謝罪、再発の防止の決意と取組の表明、このことが患者の無念あるいは怨念を和らげると思います。そういう配慮をすることが一つの水俣病の救済であろう、そのように思います。
 水俣市と市民の責任についてであります。
 水俣病が公式に発見されて間もなく、1959年に、時の市長、市議会議長、商工会議所会頭、チッソ労働組合などなど、市を挙げて「チッソの排水を止めるとチッソも水俣も破壊される。排水を止めないように」と県知事に強く要望をいたしております。このことが示すように、市の姿勢は、どちらかといえば国・県、チッソの側に立って、患者の側に立っていなかったと言えます。水俣市はチッソで栄え、大半の市民がチッソに依存して生活いたしております。チッソとの運命共同体であります。「チッソの城下町」こう言われておった。そのチッソの倒産は即、市の疲弊であります。そこで、チッソの倒産を極度に恐れました。
 また、被害が拡大いたしますと市のイメージダウンになり、観光産業などに大きな影響を受ける、そういう懸念がございました。そこで、国の「できるだけ小さくおさめよう」という姿勢と利害が一致したのであります。
 また、不測の事態に遭遇した場合の処理能力の弱い水俣市が、国・県の政策に依存したのは、無理からぬことであります。私が市長であったとしても、そういう姿勢であったろう、そのように思っております。
 しかし、市民の生命や財産に責任を持つ水俣市が、患者救済、そして被害の拡大防止に積極的行動を起こさなかったことは、被害と悲劇の拡大を許し、地域社会の崩壊を促進するという結果をもたらしております。法律的には責任は問われておりませんけれども、道義的責任はまことに重いものがある、そのように反省をいたしております。
 一般市民も、チッソの倒産で自分の生活の基盤を失うという恐怖がございました。また、地域が衰退してしまう、そういう恐れもありました。自分の生活、家族の生活が第1、これは当然のことであります。
 しかし、そのような予想もしない事情や原因があったにせよ、水俣病患者を差別し、中傷し、非難を浴びせ、そして患者に精神的苦痛を与えたこと、また、その精神的圧迫が、患者をして水俣病申請を躊躇させ、断念させるという多くの事例が起きたことを思うと、その罪はまことに重いものがあると思っております。
 市長としての謝罪についてであります。
 私は、水俣病の発生当時、市の山手で生活をいたしておりました。農林業を営んで、水俣病問題は関係が薄かったんです。しかし、1975年に市議会議員になり、当然、水俣病問題にかかわることになりました。やがて「市民の生命、財産を守る地方自治体の第一の責務を考えると、市の水俣病問題への取組は間違っているのでは」そういう疑問を抱くようになりました。
 そこで、1994年、市長に就任した2カ月後に開催された水俣病犠牲者慰霊式の式辞の中で、私は「十分な対策をとり得なかったことを、まことに申しわけなく思います」と市の水俣病対策が間違っていたことを患者に謝罪をいたしました。そして、被害者など市民の側に軸足を置いた水俣市の水俣病対策に変換をしてまいりました。
 ところが、「チッソを潰す気か」「市長が謝罪すれば国・県の水俣病対策を否定することになる。これから水俣市には国・県からの支援はなくなるぞ」こういう批判や圧力をたくさん頂戴いたしました。しかし、私は、謝罪は求められてするものではなく、間違いに気付いたとき良心に照らして自発的にするもの、そういう考えを持っております。
 1958年、水俣湾周辺に水俣病患者が多発をいたしますと、チッソは排水口を水俣湾から水俣川河口に変更いたしました。ところが、1年たった59年には、その河口に魚が死んで浮かびます。河口周辺に患者が発生し、これが認定をされます。汚染が表面化したのであります。驚いた通産省は水俣湾へその排水口を戻すよう指示をして、排水口がまた水俣湾に返っております。この事件は、水俣病はチッソの排水が原因ということを明確に証明した事件であります。
 通産省の担当官は、排水を流し続けるとさらに多くの生命が失われると予想しなかったのか、あるいは排水を停止すべきだと思わなかったのか、人の命を殺めることになると良心の疼きはなかったのか、素朴な疑問を抱き続けてまいりました。
 そんなことはないと思います。最高の教育、厳しい試験を経て国家公務員になられたエリート集団であります。おそらくこれは、組織が良心を殺したもの、そう思っております。
 組織の中では、なぜ一般の常識が通用しないのか、なぜ正論が通らないのか、なぜ組織自体は良心を持つことができないのか、これを改めて検証しないと、組織の在り方がそのままであれば同じ過ちが繰り返されていく、そのように思います。
 政治には「大の虫を生かすために小の虫を殺す」という言葉があります。これは、政策の選択については国益が優先するということだろうと思います。水俣病事件は「国の経済成長という大の虫を生かすため」という意識が大きく働いた事件であります。水俣病は、その大の虫に踏みにじられた小の虫だったと思います。
 ところで、国益とは、国民の安全と繁栄を守ることだと思います。国民の生命を殺してまで生かさなければならない大の虫は存在しない、少なくとも国民の生命の危険が予想されるときは大の虫の歩みを抑制する、このことが大切だと思います。不幸にして踏みにじられた虫があれば、早急に、心を込めて救済する、これが政治の大切な要諦であろう、このように思います。
 次に、謝罪の時期についてであります。
 謝罪は、タイミングが外れると「今さら」ということになってしまいます。未認定患者救済の政治解決のとき、あるいは関西訴訟の高裁判決のときなど、謝罪と方向転換の機会は何回も存在をしたと思います。政治解決の折に行政責任を認め、それなりの対応をしていただいておれば、現在の混乱はなかったと思われます。人命の尊重より法律の解釈とメンツが優先し、謝罪が遅きに失した、そのように思われます。謝罪と政策転換のタイミングのとり方、このことは今回、十分に反省をされ、教訓にすべきであろうかと思います。
 次に、反省と謝罪とその後の対策についてであります。
 いかに誠意を込めて反省を表明しても、それに基づく対策が伴わないと謝罪の真心は伝わりません。空虚なものに終わります。反省と謝罪とその後の対策は1セットだ、このように思います。水俣市民は、水俣病犠牲者慰霊式の中で私が謝罪を表明した以後、その反省に立って「生きているうちに救済を」という患者の悲痛な要求を実現させるために、政治解決に向けて市民挙げて行動を起こしました。
 また、患者救済には、金銭的補償だけではなく患者の精神的安定が絶対必要であります。そこで、患者を苦しめた偏見、差別、中傷など精神的な圧迫を取り除くために、「もやい直し運動」を展開いたしました。おかげで混乱した内面社会は、闘争や抗争のない平穏な社会を取り戻し、患者と一般住民の関係も、今、ほぼ正常に蘇っております。
 産業廃棄物が海を汚染し、生態系を壊し、そして魚介類、食物を有毒化して起きた水俣病であります。いわゆる環境破壊の公害であります。この反省から、ごみ、水、食べ物の関係を私たちは重視いたしました。そして、まずその入口のごみの問題から取り組んだ環境モデル都市づくりは、今、全国のNGO、NPOが主催されております環境首都コンテストで総合第1位と高い評価を受けております。そのように進んでまいりました。
 「なぜ短期間にもやい直しが進み、意識改革ができたのですか」という質問をよく受けます。それは市民の心の中に、かつて患者に加えた精神的圧力について、反省と謝罪の気持ちがあったからだと、このように私は思っております。私は、慰霊式の式辞の中で、「きつかったなぁ、すんませんでした。知らなかったもんで」とか「あんたたちも、きつかったなぁ」と水俣弁で言葉が交わされる社会づくりを提唱いたしました。市民がそれを実行してくれたからであります。「もやい直し」は、言うならば市民の罪を償う贖罪の行動である、そのように思っております。
 「もやい直し」が進んだもう一つの理由があります。
 それは、患者の悲惨な状態に同情し、理不尽な災害を起こした者を呪いながら、チッソの倒産で自分たちの生活の基盤を失うのではないかとの恐れがありチッソの側に与してきた、そのような、患者とチッソの狭間での心の葛藤、ジレンマを解消する、抜け出す道を「もやい直し」に求めたと言うことができます。
 このように、地元では謝罪と贖罪の行動が進んでおります。遅きに失した感はございますけれども、今回の大臣の謝罪が空虚なものに終わらないように、今後の対策によって温かい、実のあるものにしていただきたいと心から願っております。
 次に、科学者、なかんずく医学者、研究者の責任についてであります。
 水俣病対策の遅れは、その原因の究明が遅れたことが一つの大きな要素だと言われております。原因究明が遅れた理由の1つに、国や、化学工業などの産業界あるいはチッソにかかわりのある一部の科学者の恣意的な発言、研究発表などがあった。そして熊本大学の水俣病研究班に、協力どころか妨害さえあった、こう言われております。「水俣病に関する社会科学的研究会」の報告書にも指摘をされております。
 多くの生命が失われていく非常事態の中で、生命の尊重よりもセクト、学閥、身の保全を優先され、原因企業を擁護された学者があったとすれば、私どもが最高の有識者として尊敬してきた学者だけに、その倫理を問わなければならないことはまことに悲しいことであります。この際、医学界を初め科学者自身の反省の論議が必要ではないかと思います。
 公害地域の振興についてであります。
 水俣病の発生で、偏見・差別、中傷・非難などが渦巻く内面社会が出現をいたしました。地域全体が全国から危険視をされる被差別地域となってしまったのであります。経済的にも、チッソの疲弊で雇用が減退したのみならず温泉は閑古鳥が鳴く、「水俣産」と名が付いただけで農産物まで敬遠をされる。徹底した疲弊が訪れました。市民1人当たりの平均配分所得は、水俣病発生以前には熊本県の上位に位置しておりましたが、水俣病が発生した以後は、県下市町村平均の15%も下回る、県下で最低のまちへ転落をしてしまいました。
 そこで、再生を図りたいと、熊本県の御指導で、水俣市と芦北3町で79年に「水俣、芦北地域振興計画」を作りました。現在、第3次の計画が実施されております。これは閣議了解の計画でありましたけれども、何の恩典もありませんでした。疲弊した人たちの財政負担で実施をしてまいりました。特別な事情で疲弊した地域は、離島振興法とか産炭地振興法とか、それから過疎地振興法など、特別立法で補助金のかさ上げをするなど優遇措置がございます。そこで、公害による特別な疲弊だから特別立法で救済していただきたい、この要望をし続けてきたのでありますけれども、これはとうとう実現しませんでした。なぜ産炭地並みの支援ができないのか、疑問が残っております。
 今、患者団体から「特別立法で救済を」という要望が出されております。これも恐らくうやむやに終わるのではないかと心配いたしております。できなければできない理由をしっかりと説明されるべきだ、このように思います。
 地方蔑視についてであります。
 水俣病が公式発見された翌々年の58年に、本州製紙江戸川工場の排水が東京湾を汚染したと、東京湾の漁民が大挙して江戸川工場に乱入いたしました。そのとき、時の通産省は、この工場に操業停止を命じております。ところが、翌59年に不知火海沿岸の漁民が水俣工場に排水の規制を求めて交渉しましたが、これは決裂いたしました。そして工場に漁民が乱入いたします。これは負傷者が出るという大変な騒動になりました。2回もそれが起きております。しかし、操業停止も排水の規制もございません。人が狂い死にしている非常事態であるにもかかわらずであります。
 チッソの操業停止は、製紙工場と比較にならないほど国の高度経済成長に大きな影響があるからだと思います。また、東京湾で公害問題が大きくなれば収拾がつかなくなると心配をされていたとお聞きいたします。水俣湾は地方である、地方だから問題にされなかった。水俣病は地方蔑視の公害であると私は思っております。
 当時の浮池正基元市長が「東京湾で水俣病が発生していたら、国はこのような対策では済ませなかっただろう」このような発言をいたしております。どうか噛みしめてもらいたい言葉だと思います。
 未認定患者の政治救済についてであります。
 95年に未認定患者の政治決着が図られました。患者、患者団体とともに水俣市、市議会、商工会議所など市を挙げてこれを支援し、国に解決を求めました。それが決着いたしたのであります。
 しかし、この解決には多くの批判がございました。一時金は患者要求の3分の1、4分の1程度、行政責任には触れず、水俣病とは認められない、そういう患者の不満を圧縮した解決だったからであります。「苦渋の選択」という言葉で表現されております。そのとおりである、批判は当然だと思っております。
 しかし、私は、水俣病問題は矛盾と混乱の渦巻きの歴史であると思っております。理路整然とした解決は確かに難しく、しかも政治解決は和解であったから、やむを得ないと思っております。それでも「生きているうちに救済を」という患者の切実な願いには応えることができた。不完全であっても、生前に救済された。その後、多くの患者が生命を落とされております。不完全であっても、生前に救済されて本当によかった、そういう思いもあります。
 また、患者と地域住民の「もやい直し」が一層進化をいたしました。「一時金が少なかったのは本当に残念だった。しかし、ほっとしました。隣近所とも昔のように親しくしていただけるようになりました」笑顔で患者の皆さんがお話になる。これを聞いたとき、患者の精神的安定が図られたと嬉しい思いがいたしたのであります。
 今、2,000人を超える新しい申請者があるとお聞きをいたします。政治解決によって「もやい直し」が大きく進化し、申請を躊躇させていた精神的外圧がなくなったから申請に踏み切られたものと思われます。これも政治解決の一つの効用であろう、そのように思います。
 政治解決は、行政責任と、水俣病と認めるかどうかを棚上げしておりましたが、行政責任は今回の判決で決着いたしました。残っているのは、水俣病と認めるかどうかということであります。
 既に救済されている患者の気持ちについて、お話をいたします。
 7月に現地視察をされるということで、その折、直接関係者からお話をお聞きいただけることと思いますので、患者団体等のことについては省略いたします。
 公健法で救済された、また政治解決で救済された一部の患者や、語り部の皆さん方の御意見を聞く機会がございます。その中からは、国・県の責任が認められたことを歓迎いたし、そして心からの謝罪とすっきりした救済の手直しなどが期待されているのがうかがえます。 その一方で、政治解決以後に実現した一般市民とのもやいが壊れはしないか、ようやく手にした精神的安定が崩れるのではないか、こういう心配もされております。
 患者救済には、金銭的補償とともに患者の精神的安定が必要であるというのは、さきに述べたとおりであります。いかに多くの金銭的補償がなされても、田舎の社会でありますので、羨望と卑下が渦巻きます。「似せ患者」「金の亡者」などと疎外されかねないのです。そうしますと、補償を受けても幸せな生活は送れません。周囲あるいは隣近所が理解し、同情し、励ます、そして助け合う、そのことがあって初めて生きる喜びが生まれます。特に地方の共同社会では、良好な人間関係の醸成が必須の条件であります。
 「もやい直し」は、少ない金銭的救済を補完する役割を果たしたと思っております。その「もやい」が壊れるのではないかと危惧されているわけでありまして。
 このことは、地域住民も大きな被害者であり、水俣病は、地域社会を巻き込んだ社会病だと言えます。水俣病事件の対策は、この患者や地域住民が共有できるものでなければ成功しないということを物語っております。これからの対策は、地域社会対策、精神面の救済を重視されるべきだ、このように思います。
 PPPについてであります。
 水俣病公害は、原因者のチッソの補償負担能力を超えた大きな公害になってしまいました。そこでPPPが機能しなくなった。国はPPPを堅持して解決しようと、チッソに「県債」という公金を注入して支援をいたしてまいりました。この県債によるチッソ支援は、チッソの倒産を防ぎ地域の崩壊に歯止めをかける役目を果たしてくれました。しかし、その一方で、患者救済の前に加害者を救済するという矛盾とジレンマを抱え込んだのであります。救済するはずのチッソは、逆に経営の破綻は進んでまいりまして、借りた県債の元利の償還は不能になる。国は、その県債を償還させるために新たな県債を発行しなければならないようになりました。際限なく県債は膨らむ。国も県も泥沼に引きずり込まれ大変な事態になってしまいました。そこで、水俣病を小さく収拾しようという国の内部の方針は、より強まったと推測されます。
 患者、患者団体は「チッソを助けるために患者を切り捨てる」と猛烈に反発し、抗議をいたしました。行政不信が高まり、闘争の相手は、チッソから国・県に変わってしまう。そして裁判を初め、いろいろな混乱が続いてまいります。もがけばもがくほど底深く引きずり込まれる蟻地獄であります。
 PPPで治療するはずの傷口はますます大きく開いて、今でもその傷口が疼いているというのが現実だと思います。PPPを堅持し、チッソを前面に立てて解決しようというシナリオは破れてしまいました。それどころか、国も県もPPPの原因者の仲間入りをしてしまったのであります。
 これを機会に、水俣病のようにPPPの範囲で収まらない、いわゆる大きな公害の処理の在り方、それから国がとってきた政策の功罪などなど、PPPをめぐる問題を徹底的に検証されるべきだ、そのように思います。
 患者救済についてであります。
 水俣病患者救済は公健法によって、一定の症状が認められた患者に、チッソの補償協定でA、B、Cの3ランクの補償が実施されておりますが、この公健法による救済の下に「水俣病だと認定はできないが、水俣病ではないと否定もできない」という厚い層を作ってしまったのが混乱の原因だと思います。
 現実には、司法認定による救済、それから未認定救済の政治解決、これには医療手帳と保健手帳の2通りがあり、あわせて3段階の救済措置があり、一応大まかには各症状に応じた救済が並んでいると見られます。しかし、これは行政救済、司法救済、政治救済と異質のものの羅列であり、多くの矛盾を含んでおりますし、今、盛んに論議を呼んでおります。これをやはりすっきりした形に整合できないか、そのように思います。その前提になるのは、水俣病という新たな定義づくりではないか、このような思いがいたします。
 しかし、これは公健法やチッソとの補償協定などの絡みで非常に困難だとお聞きいたしております。しかし、知恵を絞ってすっきり整理をしないと、このままでは収まりがつかないのではないでしょうか。
 認定基準は、医学的に水俣病かそうでないかを識別するもので、その判断条件については、いろいろな立場の医学者の異なった知見が述べられて、今、混乱いたしております。いずれの学者の説をお聞きいたしましても「なるほど」と無節操に納得いたします。これは私ども医学の知識がない者の悲しさであります。同じ症状でも、水俣病か他の病気なのか判別し難い例があるとお聞きいたします。認定された患者の中にも、若干は水俣病でない人も含まれているでしょうし、棄却された人の中に本当の水俣病の患者が数多く存在する、そのように想像できます。
 かつて、市民の一部から「似せ患者発言」があり、社会から強く指弾されました。それは事実に基づかない中傷だからであります。しかし、その根底に、他の病気で補償を受けている人への妬み、あるいは嫌悪感が潜んでいると私は思います。認定審査会は、できるだけ他の病気が混入しないような努力をされていると思います。しかし、本当の水俣病の人たちが切り捨てられるとすれば、より道義的に見過ごすことのできない問題ではなかろうかと思います。
 政治救済はそういう点で、医学的な判断だけではなく、公害病として幅広く救済しようという理念が根底にあったと思います。その理念はこれからも継承していく必要があるのではないかと思います。
 いずれにしても、医学、法律などの専門家による論議の場づくりを提唱したいと思います。率直に意見を交換し、知恵を絞って着地点を見出す、これが専門家の責務であろうかと思います。それに、今、認定審査会の委員が不在であります。早く選任される努力が必要であろうと思います。
 地域社会の再生・融和策についてであります。
 水俣の患者と住民は、世界に類例がないという公害の中で塗炭の苦しみをしてまいりました。その中て長い間、耐え忍び、戦い続けて、マイナスの遺産をプラスの資産に価値転換するという努力を積み重ねてきた貴重な経験を持っております。さらに、市民の力で「もやい直し」運動を展開して、内面社会を立て直し、環境都市を目指して努力してきたという自信と誇りがございます。また、このような悲劇が二度と、どこでも繰り返されないように世界に向けて教訓を発信しよう、そういう責務も感じております。国はこのことをしっかりと評価し、市民運動を支援していただきたい、そのように思います。
 地域の再生・融和は、省庁を超えて国全体が取り組むことが重要でありますし、特に責任を問われております経済産業省、厚生労働省の積極的な姿勢が望まれています。
 私、市長に就任する前に中国の深?市を視察いたしました。中国の現在の経済発展の牽引車となっている経済特区であります。そこを視察して感じたことは、日本が環境立国を目指していくとすれば、国策として水俣市を環境特区に指定すべきだ、いわゆる心の豊かさと物質的な豊かさ、それと環境保全を見事に整合した都市、そして大きな公害に衰微した都市を環境都市に価値転換した世界のモデルになる都市、こういうものを作らなければならない、そういう思いで帰ってまいりまして、このことをずっと提言してまいりました。今、公式発見から50年を迎えます。改めて国家プロジェクトとして、このような大きな構想を検討されるべきではないか、そのように思います。
 さて、公式発見ら50年を迎えます。50年の記念行事等が具体的に立案されようといたしております。が、この記念行事で幕引きをするのではないか、そういう危惧の声があります。そういう印象を与えないように、一過性のイベントではなく50年の総括をし、次の飛躍につなぐものでなければならない、そのように思います。
 これまで献身的に努力をしてきた患者、支援者、市民の出番を作る必要があると思います。この人たちに光を当ててやるべきだと思います。それから、市民全体が参加できる体制づくりというのが非常に大切であります。
 ところで、市民全体の参加ができない、あるいは意欲を削がれる事件が、今、起きております。水俣市の水源の山に、九州最大の産業廃棄物処理場を建設しようという計画が進んでいるやにお聞きをいたしております。水俣病患者や市民の心配が日増しに大きくなり、反対運動が盛り上がってまいりました。
 産業廃棄物で生命を失い、50年間も塗炭の苦しみを味わってきた。それに水銀ヘドロの産業廃棄物処理場である水俣湾埋立地公園、これもやがて耐用年数を迎えます。堤防の鋼矢板は腐食しつつあると言われているが、これは大丈夫か。地震で護岸が壊れ、シートが破れ水銀ヘドロが流出するのではないかと常に心配が絶えない。その上にまた水源の山に産業廃棄物処理場か、こういうふうに患者を初め多くの市民が大変な精神的不安、動揺を起こしております。
 この騒動で内面社会が混乱し、市民の融和が再び壊れることがあれば、50年記念事業は順調に実施できないのではないか、そのような危惧が出始めております。
 既に、海に大きな危険な産業廃棄物処理場を抱えている水俣市に、さらに山に産業廃棄物を堆積するということは、産業のリスクの公平な負担からも問題があります。法律に合致すれば、国・県は許可をされるのではないか、こういう心配が起きております。
 今回の最高裁判決を受けての国の「地域の再生・融和」という対策は、地域にとっては非常にありがたく受けとめております。いろいろ困難な問題も絡んでいるだろうと思いますが、 「これ以上産業廃棄物で水俣を混乱させない、市民を苦しめない」と毅然とした態度を示されると私は確信いたしております。
 以上、意見、感想を述べましたが、御検討いただきたいと思います。
 水俣病公式発見50年の来年は、チッソ操業100年にも当たります。この記念すべき時に、記念行事だけではなくして、やはり被害者の救済、残されている懸案の解決をしっかりとやるべきだと思います。
  今、水俣市は環境、健康、福祉、産業、教育など非常に大きな課題を多く抱えております。特に、水俣病の発生は弱者をたくさん生産いたしました。福祉の救済、福祉の対策がすごく必要であります。このことについては加藤委員が御提言、御意見を述べられると思いますので、私は取り上げませんでしたが、これからも、いわゆる市民の立場、水俣の立場から提言を繰り返していきたいと思っております。
  今回の懇談会で、各界の有識者の皆さんから水俣病のよりよい解決、あるいは水俣、不知火海沿岸地域の明るい将来づくりへのお知恵や提言を頂けるということは非常にありがたく、嬉しく思っております。どうか立派な提言を頂きますように心からお願いを申し上げ、感謝をいたしながら発言を終わらせていただきます。
  ありがとうございました。

○有馬座長 吉井委員、大変ありがとうございました。
 問題を非常に明確に御指摘くださり、感謝しております。やはり御自分で本当に体験されてきた方だからこそ、ここまできちっとまとめられ、おっしゃられたんだと思います。本当にありがとうございました。
 それでは、ただいまの吉井委員からの御報告に対する御質問、また、先ほどの嘉田委員、鳥井委員の御発言に対する御意見でも結構でございます。自由に御討議いただきたいと思います。

○屋山委員 謝罪の話がありました。私、非常に分かりやすいと思うんですけれども、これは日本だけではないかと思うんですね。事故が起こったときに、社長がぞろっと並んで「すみませんでした」と、最近1週間にいっぺんぐらいやっていますね。あれで日本人はどのぐらい気が済むのか。ヨーロッパなどではあんなの見たことないんですけれども、あれなしでどうやって問題を処理しているのか、そこがちょっと分からないというか、総理大臣が出てきて謝罪というのは、確かに謝罪の最高の形だろうと思うんですけれども、ただ頭を下げるだけでは余り意味がないのではないか。
 もう一つは、日本の官僚組織、会社組織もそうなんですけれども、官僚組織は特に、責任をとるという形になっていないんですよね。例えばエイズの問題でも、結局、承認を取り消せたのに取り消さなかった松村さんという非常に優秀な厚生官僚、私は非常に尊敬していたんだけれども、何かその人だけが引っかかったという感じなんですよね。裁判になって、その人は結局有罪になってしまうんですけれども、官僚組織あるいは行政組織の責任のとり方というもの、例えば遡って辞めさせろとかいっても二、三年でどんどんいって、BSEの問題などは、畜産局長のときに失敗していたのにいつの間にか農林次官になって、そこで失敗が明らかになったら退職金もらって辞めてしまった。実際、何もないわけですよね。こういうのは何とか遡及して責任をとらせる。そうでないから、個人の責任は絶対追及されないんだと思うからこそ無責任体制ができるのではないか。
 ですから私は、官僚組織の中できちっとした責任、「いい加減なことをしていると後でひどい目に遭うよ」ということを確立するというか、1つそういうことをきちっと決めておけば将来にわたって非常に、何といいますか、行政機構の在り方というか、責任のとり方とか、失敗したとき等の指針になるのではないかと思います。

○有馬座長 どうもありがとうございました。謝罪というものが意味を持つかどうか、大変重要なポイントだと思います。
 私、国際的に非常に意味があった謝罪の例を1つ知っていますが、ユダヤに対するドイツ大統領の、アウシュビッツだったかどこかで、本当の謝罪をしたんですね。これはドイツとイスラエルの関係を非常によくしたということをイスラエルの人たちから聞きました。ですから、西欧においても謝罪というものは全く意味がないわけではなくて、やはり誠意を込めたきちっとした謝罪であれば、かなり効果があると思います。
 しかし、一般には、おっしゃられたように、西洋やアメリカではそうペコペコ謝罪しませんね。形式的な謝罪はしない。ですが真意を込めた謝罪というものは、やはり国と国の関係をよくすると私は思います。
 どうもありがとうございました。

○吉井委員 被害者は、もう常に何十年も一定ですけれども、それに対応する省庁の役人さんは、3年ごとに変わっていきます。なかなかその間の関係が難しい。先ほど申しましたように、水俣病の責任は厚生省、通産省にあるわけです。しかし、水俣病の関係はいびつであって、環境省があるものですから、その先に隠れてしまって、今回の判決についても全然コメントがございません。やはりその時、過ちを犯した省庁がしっかりと謝罪をすべきだと思います。
 謝罪というのはすごく大切だとおっしゃったとおり、その謝罪をすべきだと私たちは感じているわけですね。

○柳田委員 行政組織あるいは官僚の謝罪の仕方というのは大テーマだと思いますので、これはいっぺんそのことだけで議論する機会を作ってくださればありがたいと思いますし、水俣問題は、それが最も典型的に分析できるのではないかと思うんですね。しかも具体的な文献・資料もいろいろありますし、そういうものを根拠にして議論することが必要だと思います。
 いろいろな不祥事があった場合に、あるいは損害賠償請求などがあった場合に、役所というのは、それをただ「はい、はい」と聞くわけにいかない。法的に根拠を作らないとお金は使えない、税金だからということでとことん裁判で争って、最終的には示談であれ判決であれ、そういう形で役人の責任は最終的に決着するわけですが、それはあくまでも国というものが謝罪する、あるいは自治体というものが弁償するとか、そういう形であって、「そのとき誰が、どういう判断をしたからとんでもない間違いが起きたんだ」という形で問われることはないわけですよね。そのあたりの問題はきちんとしなければいかんと思うんです。
 それは今、急に深く掘り下げていくと大変ですし、今日は非常に網羅的に重要な問題を吉井委員が提起してくださったので、ほかの点について発言させていただきたいと思うんですが、昭和30年代、経済の高度成長期に突入するときになぜチッソは保護されたのかについては既にいろいろな文献・資料で議論されていますけれども、チッソの主要な生産物、工業製品の中間材料だった塩化ビニール系の生産物というのは、あれがストップしたら当時の石油化学工業は全面的に生産中止に追い込まれるわけですね。ということは、日本の経済成長がストップするし、新しい展開をし始めた日本の産業界が大変大きなブレーキをかけられるわけです。そういうことがあって、当時の通産省では何としてもチッソを守ろうという意思決定があったろうし、一方でまた、それを実現するためにいろいろと政治的な工作もしたということがあるわけで、企業からの働きかけもあったわけです。
 産炭地の保護などを考えると、あれは1960年前後、エネルギーの石炭から石油への急速な転換の中で起こった産炭地の疲弊、そしてそこの労働者や住民の貧困とか離散という問題があって補償しなければいかんということで、産炭地補償の法律ができたわけですけれども、この場合には、明らかに被害を受ける地域なり産業と、利益を受ける産業が分かれていたわけですね。新しい石油産業の基地なり地域と、その恩恵を受ける人と、石炭によって被害を受ける地域と人というのは、もう明確に分かれていたわけですが、仮にチッソを操業停止とか、あるいは強引に技術開発させて公害排出をやめさせるということで、チッソがコスト負担できなくて結果的に操業に影響を与えることになった場合には、利益を受ける所と被害を受ける所が同じ場所になってしまうわけですね。そういうことを考えると、産炭地の問題と異質のように感じるんですが、でも、基本的には国の経済が大きく成長したり、あるいは1億人が食べていく上でこういう産業政策が必要だというときに、そこで犠牲が出るならば、そこの対策をどうするかという点では本質的に同じだろうと思うんですね。
 そうなりますと、補償問題なども、これは1チッソの問題ではなくて、日本の石油化学産業全体が連帯して責任を負うべきだし、あるいは日本の1億人が共同して責任を負うべき問題でもあるだろう。それは、とりもなおさず国が責任を代行するということになるんだろうと思いますけれども、そのあたりのメカニズムと責任のとり方、そして補償の在り方というのをもう一遍議論してみる必要があるのではないか。そうしないと、ただ経済成長の犠牲になった、そういうテーマの中だけでとらえて議論が終わってしまう。もう少し具体的にその辺りのことを議論しないと、産業政策、産業活動と、こういう被害が出てくる問題との関係を明確に捉える機会を失してしまうし、今後の経済政策、産業政策への示唆のあるものが出てこないのではないかと思うんですね。
 そこのところを述べたいと思いました。

○有馬座長 ありがとうございました。
 検討に値することだと思いますが、御提言は後でまた、実際に実行するかどうか考えさせていただきましょう。

○丸山委員 ただいまの柳田委員の御指摘に関連して、ちょうど通産省関係の資料をいろいろ探していたんですけれども、裁判が進行中ということもありまして、なかなか出てこない。これは前回、私も提案しましたけれども、もう行政責任の問題も一応決着がついたという段階で、いま一つ通産省関係の資料を発掘していただいたらと思っているんです。
 非常に微妙な、ちょうど電気化学から石油化学への転換の時期で、電気化学ではチッソは最高の技術を持っていた。それを石油化学に転換するために、とにかくチッソの電気化学の、特に先ほど塩ビと言われましたけれども、オクタノールという可塑剤ですね、これはもうチッソがほぼ独占的に生産していたわけで、とにかくチッソに作ってもらわないと外国から輸入しなければいけない。そうすると、日本の石油化学政策に大きな影響が出てくるということは、おそらく通産省の人たちは分かっていたと思うんですね。ですから、チッソのそういった生産にストップをかけられなかったのではなかろうかと思うんですけれども、ただ、これが内部的にどう検討されたのか。
 工場排水はストップさせられなかったという事実はあるんですけれども、そこら辺り、組織内部でどういう検討がなされたのかという辺りが解明できると、先ほど来の組織と人との問題などに具体的にかかわって議論できるのではないかと思います。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 今、丸山委員がおっしゃったんですけれども、私も科学者ですので、科学的現象というのは証明できるものだと思うんですね。ただ、その証明に至るまでにはなかなか、いろいろな問題を整理しながら、「本当にこれが正しいんだ」というところまでなかなかいかないことは事実です。特に、こういう水俣病のようなものは、実験をやるというようなことはなかなかできない面もあるでしょうし。
 そこで、一体どこでこの事実が明確になってくるのか、原因、結果が非常に明確になってくるかというのは大変問題だと思うんです。
 この点について鳥井委員が先ほどちょっとおっしゃったので、それについても含めて、何か御意見ありますか。
 要するに、本当に正しいか、正しくないかが明確な場合と不明確な場合、いろいろあると思うんですが、そのあたりはどう考えられますか。

○鳥井委員 大体において不明確なことの方が多いだろうと思うんですね。
 なぜかというと、1つの原因から1つの結果が起こるということが、ほとんどない。いろいろな原因があって、複雑な─ともかく社会というのは非常に大きな複雑系ですから、なかなか「これが原因だ」と言えないし、水俣病の場合は大分時間がたってから原因がはっきりしたわけですが、すぐに原因というのはなかなか出てこないだろうと思うんですね。だけれども、対策はしなくてはいかんというのは明確なわけです。では、例えば予防原則にやみくもに当てはめていいかというと、必ずしもそうはいかないことがある。その辺、どこで折り合っていくのか。
 ですから、科学的な知見と、社会としてどう取り組むのかという話を今まで一緒に考えられていたと思うんですね。そこの役割分担を考えないと、さっとした対応はとれないと思うんです。
 温暖化の話にしても、では確実にあれが科学的にはっきりしているかといったら、アメリカが言うように、はっきりしていないわけですよね。だけれども、何もやらないわけにいかないからといって世界でやり始めたわけですね。それはもちろん科学的な究明も一生懸命やるんだけれども、同時に対策をとろうよという話で、そこの考え方を確立する必要があるなという気がします。
 それともう一つ、責任のとり方の議論があって、私ちょっと思うんですが、本当の原因を究明しようというときに犯人探しをしてしまいますと、みんな黙秘権を使ってしまうわけですよね。やはり免責のかわりに本当のことを言ってもらって、原因を早く究明するというようなシステム。今までは、警察が入りますとほとんど犯人探しにいってしまって、原因究明にいかないんですね。これが本当のことを解明する障壁になっているのは確かだと思うんです。そこのところを少し考えないと、どうもいかんかなと。
 この水俣病の話だって、誰かがちゃんと話してくれればもっとずっと早く分かったかもしれないというところはいっぱいあるわけですよね。それが、やはり刑事責任を問われるとか、もしくは企業の中でだめになってしまうとか、そういうところが障壁になっているというのがあると思います。
 もう一点申し上げますと、水俣はリスクを負担したわけではなくて被害を受けたわけですが、これから何かをやるのにリスクを負担するといったことを考えたときに、例えば、どこかの国に投資をして金儲けをしましょうといったら、リスクを負担する人と受益をする人は一緒なんですね。ところが、こういう社会的なものというのは、リスクを負担する人─水俣の方々が負担したわけですね。そして、利益は日本国民全体が受けたというところがあるわけですね。この問題を、ではリスクを負担してくれた人にどう報いるのかというか、補償するのかというか、受益してもらうのか、ここのところは、実は今のところ決まった考えが日本にはないんですね。
 それはいろいろな所で起こっていまして、沖縄の基地の話もそうでしょうし、原子力発電所の立地などでもそういうことが起こっている。お話を伺っていて、やはり社会的なルールとしてここを少し考えないとだめかなという感じがしました。

○屋山委員 今の、犯人探しをすると真相がわからなくなるという問題は非常に重要で、これは事故調査論の基本的な問題なんですけれども、例えば航空事故にしろ鉄道事故にしろ、アメリカではNTSに運用安全委員会というところが調査をする場合に、重大な犯罪の臭いがないときにはFBIは出てこないんですね。そして完全に技術的な調査をして、そこにおける証言は裁判の証拠資料に使わないということが慣例的に成立しているんです。
 ところが、日本はそうではなくて、事故調査委員会設置法を作ったときに警察庁と当時の運輸省の間で随分すり合わせたけれども、結局警察優先で、どんなことであれ、そこで明らかになったことは捜査及び裁判の資料になるということで、現実に裁判で使われております。そのことが事故調査をする場合には、完全に犯人探しではなくて原因の諸要因探しなんだということを明確にする、そういう思想的な根拠も、具体的な行政的あるいは社会的な根拠も日本では成立していない、そこが大きな問題だということです。
 今回のこの水俣病の懇談会でも、その辺りのところ、責任問題は論じるけれども、それは犯人探しではなくて、システムのどこに問題があり、その中で、担当の人がなぜそこでそういう判断をしたのかを明らかにすることが今後のためになる、そういう視点で分析することを提言したいと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。

○亀山委員 今、柳田委員が言われたことが大変重要なこと─重要なというか、今まで非常に困っていることなんですね。いろいろな事故なり何なり問題が起こると、先ほどありましたように、どうしても責任追及という言葉になる。責任追及で、次が謝罪、こういうことになる。ただ、おっしゃるように、あの謝罪を見ていると、本当にあれは謝罪になっているのかなと思うような謝罪が横行しているわけです。本当の謝罪というのは、やはり原因をしっかりと突き止めて「こういうことだから、こういう結果が生じてしまったんだ。これは大変申しわけなかった。これからはこういうふうにして再発はさせない」という決意の表明であるべきなんですけれども、そういう謝罪が滅多にないというところが、まずおかしい。
 ただ、一番困るのは、責任の追及というのが日本ではどうも限られておりまして、例えば個人的責任で言いますと、公務員については原則として個人的責任は追及されない。みんな国家賠償へ行くような建前になっているわけです。そうなりますと、どうしても刑事責任に期待がかかるわけですが、刑事責任というのは、もともと刑罰法規を実現するということでありまして、刑罰法規というのは、これも非常に基礎的なことで恐縮でございますが、法律で定められた構成要件に縛られるわけです。その構成要件に当たった部分だけ、当たった行為だけを追及するというのが刑事責任でありまして、それ以外を追及するというのは、実は刑事手続上は余計者といいますか、本当はやってはいけないことなんですね。
 だから、そういう構成要件に当たるだけの事実というのは、実は、こういう非常に大きな社会事象、例えば水俣病なら水俣病でいろいろな問題が起こる、そういう大きな社会事象の中のほんの一部分を切り取って、だれかが過失を犯してこういう結果が生じた、それも自然人の問題だけ、そういうふうな非常にわずかな部分を切り取ってやるのが刑事責任の追及ですから、これに多くの人が多くの期待をかけると、また失望する。こういう問題が今までずっと繰り返されているわけであります。
 それに加えて、今、柳田委員が御指摘になったように、刑事責任を追及すると、どうしても個人がそれに対して防衛するという問題が起こります。それでは困る。原因の究明と再発防止の方が全体の福祉のために重要なんだということが一番言われるのが、例えば航空機事故のような大規模事故災害。それで、これも今、柳田委員が指摘されましたが、これをどうするか。例えばアメリカなどでは、原則として原因究明の方に重点を置いて、原因究明のために話したことは、後で刑事裁判には使われない。簡単に言ってしまえば、ほぼ免責に近いことになるわけであります。
 ところが、日本では、そこのところが必ずしもはっきりしていない。はっきりしていないんですが、実は事故調査委員会は「アメリカと同じようにやるんだ」と言っているわけですが、捜査機関は「それでは困る」と言って、今、非常におかしな具合になって、未解決のままというのが現状であります。
 それは、これはまたくだらんことを言って恐縮ですが、今、それをどういうふうに調整しているかといいますと、警察が事故調査委員会に鑑定を嘱託するんですね。原因究明の鑑定を。そうすると、事故調査委員会は自分の仕事として原因を究明し、かつ鑑定受託者として原因を究明する。そして報告書を書く。その報告書が一応鑑定書になる。そういうふうな仕組みで両立させている、何かこれもおかしな話であります。
 では、どうしたらいいか。大きな事故になればなるほど原因究明と─責任の追及ということを特に遺族の方と関係者の方、一般の方もそれを求められる。それを再発防止のために切り捨てると言っていいか、原因究明のために刑事責任の追及は諦めるという方針を立てていいかどうかというのが、実は非常に大きな問題でありまして、そういう問題が、やはりこの水俣病の問題にもずっとかかわってきている。
 前回、私は原因をしっかり究明する、組織としての原因をしっかり究明することが一番大切だと申し上げましたけれども、責任が追及されるという形になれば、誰もが隠したくなる。個人の責任を追及するのではなくて原因を究明するんだという方針を立てた方がいいのかどうか。もし立てた方がいいとしたら、どういう形でそれが立てられるのかということは、この水俣病問題をいわば直接の素材として、実は一般的な問題として非常に大きな問題なのではなかろうか。そのことが多少なりともこの懇談会で議論でき、道筋が少しでも明らかになるようなことがあったら、これは非常に大きな功績になるのではないかと思っております。

○有馬座長 ありがとうございます。
 大変重要なポイントを御発言になられたと思います。やはり今回の懇談会では、単に水俣病だけについて過去を遡って議論するのではなくて、これは前にも申し上げましたけれども、将来に向かって、大袈裟に言えば人類を救うためのものだと思ってやるべきだと考えておりますので、この点、ありがとうございました。一般的な問題ということも将来、考える、その一つの例題として水俣病を考えていくという立場でいくことがどうかと思います。

○金平委員 まだ2回目ですけれども、水俣病の難しさといったものを感じています。水俣病というのは、原因が何だったのか、原因物質は何か、これを特定するまでに相当な時間がかかったと思います。それでは、その原因があって、ある程度明らかになってきて、そして、その結果─というのは被害ということになると思うんですけれども、では、被害とは何かというのが、私にはその次の問題です。
  ところが、この被害というのが、先ほども話が出ていましたけれども、この前の最高裁の判決後、非常に被害者が増える、認定を受けようとする人が非常に増える。さっきのお話では2,000人─この間は1,800人と伺ったと思うんですけれども、1カ月の間にまた200人増えたんでしょうか、今日は2,000人というお話になりました。そうすると、限りなくではないにしろ、この増える被害者と手をお挙げになる方たち、こういう事実をどう考えていくのか。「被害」の捉え方が、何か社会的にまだ共通になっていないと思いました。私などは、実を言えば、これがよく分からないと前に進めないという感じがいたします。
 ただ、それでも、原因が何であり被害というものが何でありという、その定義がなくても、現に水銀の結果によって亡くなった方もあるし、障害が出て苦しんでいらっしゃる方もある、この事実だけはあるわけです。この事実に対して私は、熊本県とか市とか、今日、元市長さんのお話をいろいろ伺いましたけれども、その時その時いろいろな対策をとってこられたことに大変敬意を表します。これが私は、やはりまず対策を立てながら「もやい」というところに行き着いて、そして地域そのものをいろいろと守っていらしたことがよく分かりました。
 ただ、やはり被害というものは、人だけではなくて地域にも至っているというお話など聞くと、一体我々はここで何を検証すればいいのかなと、私の中に混乱があります。原因、結果、そして被害者、こう考えるときに、企業もあるでしょうし、さっきから出ている科学者、法律家、それから行政、政治家、各自の責任があると思うんですけれども、私は、組織として一つの到達したところがあるとすれば、責任の問題以前にまずそれをみんなで共有する、情報公開といったものが大事ではないかと思うんですね。どうしても原因が特定されるのに被害が特定されないとしても、事実はいろいろあるわけですし、これを情報公開という形で社会が共有する、まずそこからこの問題を掘り下げていったらどうかと思っています。
 私たちは、今後の再発防止といったことを考えなくてはいけないわけですから、責任、ましては個人の責任というものを追及していたらとても我々の世代の間には間に合わないかもしれませんから、やはり片方でそれをしながら再発防止を考えようと思うと、現在ある情報をすっかり出していただく、そういうふうに私は考えていきたいと思っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 情報公開の重要性の御指摘でありました。これはぜひ考えていかなければならないと思います。

○加藤委員 吉井元市長の今日の報告については、今まで水俣病にかかわる人たちの中でなかなか言えなかったことを、随分報告していただいたと思っています。
 特に、謝罪の問題について言えば、謝罪は中身が伴わないと謝罪にはならないと思います。今回も、この問題はとっても大きな問題だと思うんですね。あと、科学者、医学者、研究者の責任について言えば、ここの責任がきちんと問われていったときに、少なくともその責任を問うときに一番大事なのは、被害を受けた人たちが、責任を問わない責任のとり方は望まないだろうと思います。この辺もう一回、被害者の立場に立った責任のとり方、謝罪の在りようを考えていかなくてはいけないと思っています。
 あと、福祉の問題というよりも、むしろ環境省だけでは現在進行形の水俣病の問題、これからを考えたときに解決できないんだというところで言えば、少なくとも私は、特に今回、厚生労働省の問題を1つ、特に私がかかわっています胎児性の問題を考えていくときに、一つの提言したいと思っています。
  ということは、少なくとも過去50年の中で、水俣市で尋常でない健康被害が起こり、そのことによって他市に比べて甚だしい障害を持つ人たちが発生していたはずだと思うんですね。 その50年の節目、節目、特に50年間、水俣病を丸ごと生きてこられた若い患者、胎児性、小児性の患者さんたちの節目、節目での必要な社会福祉的な援助、サポートが必ずそのときに浮かび上がっていたはずなんですけれども、こういうものに対して50年、全く手付かずであったと思うんですね。これは、やはり国民の健康について責任を持つ厚生労働省の問題というのはすごく大きいと思います。
 この問題は環境省だけの問題ではなくて、厚生労働省を含めて連携することによってしか解決できない問題として、とりわけこれから水俣の中で生きていこうとする若い患者の方たちの問題をどうするかというときに、大きい問題だと思っています。とりわけこの時期に、高齢化する家族が一手に負担を引き受けている重症の患者さんの問題を考えるときに、新たな社会福祉的な、これまで水俣病においては全く取り組まれてこなかった施策をきちっと出すべきだと思うんですね。これを出していくためには、ぜひ環境省を通して厚生労働省にさまざまな形でパイプを作っていただきたいと思っています。
 実際に私自身が「ほっとはうす」を通して、今後、水俣病を経験したこの地域が─困難な状況を抱えている人たちが安心して暮らせる地域を作ることが、多分、これからの水俣病の大きな課題だと思うんですね。このことを地域的に施策としてきちっと行っていくためには、市町村独自でもできませんし、環境省だけでもできないと思います。ここにしっかりと厚生労働省の水俣病の責任ということで、新たな展開を考えていただきたいと思っています。

○有馬座長 ありがとうございます。
 2つのポイントがあったと思います。1つは、謝罪というのは責任及び内容を伴わなければならないということ。
 もう一つは、私もこの点が疑問なので後で大臣に伺いたいと思っているんですが、実を言うと、何回かお聞きしてまだ私、釈然としないのは、なぜ環境省だけがこの問題を、今、こうやって取り上げるのか。本来、経済産業省並びに当時の通産省並びに厚生労働省といったところの問題もあったと思いますので、その辺、後でお聞きしたいと思います。そういう意味では、環境省と同時に厚生労働省の問題もあるという御指摘は、正しいのではないかと思います。

○嘉田委員 2点申し上げたいと思います。
 1点は謝罪に関すること、あるいは仕組みということですが、私の好きな思想家に唐木順三さんという方がおられるのですけれども、彼が「近代はすべてを三人称化する」と言っていました。これは私自身納得する言葉でございます。つまり、今まで多くの謝罪というのは三人称的に語られてきた。これは行政の仕組みあるいは公的な仕組みを考えると無理もないことでございまして、私も20年間滋賀県職員をやってきたのですが、その時にいつも言われておりました。「自分の言葉でしゃべるな。机が仕事をする」。「机が仕事をする」というのは、まさに役割が仕事をするわけですね。そして、自分の言葉をしゃべってはいけない。これが近代官僚制を作り上げてきて、ある意味で法的かつ行政的な平等性というものを担保してきて、近代化に役立ったわけですが、行き過ぎるとどうなるかということが、今、皆さんの議論になっている責任の問題になるのだと思います。
 吉井元市長が目の前におられるので大変言いにくいのですが、私は、吉井委員の謝罪が地域社会に受け入れられたとしたら─受け入れられたと思っているんですが、それは吉井さん自身がご自分の言葉を持っておられたからだろうと思います。つまり、三人称ではなくて一人称で語ったということだろうと思うのですね。でも、これはある意味で、官僚には部分的には禁じ手ですね。その辺の大変難しいところに、多分、今の日本のシステムがあるのだろうと思います。
 その辺りのところから、やはり行政あるいは政治家というものが持っている一人称と三人称を、いわば人間として、あるいは組織の人間としてどうつなぐのか、つまり個人と組織をいかにつなぐのかというような問題、これは永遠の問題だろうと思うんですが、ある部分、今まで三人称が強く出過ぎていたのが日本の官僚組織だろうと思います。その辺を1つ申し上げたいと思います。
 もう一つ、せっかく吉井委員がこれだけたくさんのことを出してくださったので、ぜひとも地域振興というところで1つ意見を言わせていただきたいです。公害地域の振興あるいは環境モデル都市ということで、これから水俣がどうやっていくのかというときに、さまざまな経済特区のような御提案もありますけれども、私は、水俣に最初に伺ったときに、琵琶湖よりも、あるいは琵琶湖ほど痛めつけられていないと感じました。自然はまだまだ元気です。「水俣」という地名そのものが、実は水が豊かな所であったことを表しているわけですね。
 今、「水俣」というと公害というイメージで、ある意味で差別用語にもされてきたわけですけれども、本来、水俣という地名の持っている、あるいは山から一滴の水を受けて森を潤し、田を潤し、里を潤し、それが海に行き、本当に20キロぐらいの流域が樹木状につながっている大変見事な自然空間ですね。その自然モデル空間、そこにはある意味で縄文時代的な暮らしが、自然の力をそのまま頂いている漁師さんの暮らしがあり、そこに100年前に近代工業が入ってきたというようなところで、自然の中に、自然の仕組みの中に近代工業が入ってきた、その100年の歴史というのは、ある意味で日本の地域社会の縮図のようなものであります。苦しみも極端であるなら、そこからの脱皮というのでしょうか、行くべき方向も、日本だけではなくて世界が今、求めている方向であろうと思うわけです。
 私、最近ちょくちょく中国に伺うのですが、中国のこれからの行方を考えますと、みえないところがたくさんあります。自然の恵みを切り捨てて、お金に頼るというような方向に極端に行ってしまう恐れがないともかぎりません。私はアフリカ研究もやっているのですが、アフリカのような自然が多いと思われている所で、表向きは農業社会であっても、工業化の産物である化学肥料や高収量品種の種や農薬などが急速に入りはじめ、自然をズタズタにする所が増えております。つまり、世界中がそうなりつつあるわけですね。ですから、水俣の100年の、いわば自然の恵みを頂きながら近代工業を取り入れ、そこから次、どういった方向に地球がむかうべきかというのは、まさに自然モデル都市のようなところで、ぜひとも地域振興の方向を考えられるような仕組みが欲しいと思っております。
 それがゆくゆく、地元の方が一番望んでいることだろうと思うわけです。孫子の代まであの大地に住み続ける、海の恵みを受けとめて、もちろん工場勤めも会社勤めも必要ですけれども、海の恵み、里の恵み、森の恵みも受けとめながら、工場とともにうまくやっていく、そういう自然モデル都市にぜひとも将来、持っていっていただけたらと、今日、吉井委員のお話を伺って感じております。
 まだそれは、現地視察のときなどにももう少し具体的なお話が出てくると思うのですが、そういう方向も必要だろうと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 やはり水俣の例を、人間にとって大変重要な例として世界に発信していくべきだと私は強く思っております。今、中国のことを御心配されましたが、私も大変心配していて、つい2週間ほど前にも中国の科学院の院長に対して、国際的に、いわば公害研究所、すなわち環境研究所を作れという提案をしてきたところですが、日本の工業化に伴うさまざまな問題を中国やその他の国が繰り返さないようにすべきだ、こういうつもりで提案してまいりました。大いに興味は持っていたようであります。
 さて、小池大臣が御出席になりましたので、ここで一言御意見を賜りたいと思います。

○小池大臣 小池でございます。
 今日は鳥井先生、嘉田先生に御出席を頂きまして、これで今日は全員が揃ってお話し合いをしていただいているところでございます。クールビズを始めた手前、大変暑い中ですが、ホットな議論をしていただきまして、誠にありがとうございます。
 また、吉井前市長におかれましては現場の御報告、御意見を賜って大変嬉しく思うところでございます。
 先ほど来、大変御議論そのものに興味深いものがございます。
 謝罪については、私も最高裁判決の後に談話を出させていただきました。一人称で語りましたので「ああ、よかった」と思いましたが、今になって、あそこが足りない、ここが足りないということもありましょうけれども、やはり一人称で語ることは重要です。また、加藤委員からは、実質が伴っていない謝罪は謝罪にならないというお話でした。今後、対策をきっちりと進めて行きたいと考えております。
 日本的風景として、関係者がみんな揃って時には土下座までして謝るシーンが繰り返されるんですが、ではその後どうなったかというと、ある一時期は徹底的にやるんですけれども、その後、喉元過ぎればというのが随分繰り返されてきたのではないかと思います。特に、皆さん謝罪をするときに何と言っているかというと、「世間をお騒がせしてすみません」と言っているんですね。そのこと自体にはあまり謝っていなくて、世間を騒がしたことに対して謝るケースがままあるのではないかと思います。
 最近、外国人の社長なども増えてきて、英語でそのまま「世間をお騒がせしてすみません」と言っていました。もともと日本語文があったのを無理矢理英語に直して、決まり文句になっているんだと思います。ただ、決まり文句だけで済まないことは多々あるわけで、先ほど来の亀山元判事の話なども大変興味深く聞かせていただきました。
 今日は2回目ですが、次々と具体的なお話が出てきております。また、具体的なお話が出ますと、委員の皆様方からさらに突っ込んだお話が展開され、今後の委員会での議論の深まりに大変期待しているところでございます。
 当初から申し上げておりますように、これは日本の形そのもので、「水俣」という入口ではありますけれども、結局は日本のある種のシステムについての話に行き着かざるを得ない。また、行き着くことの意義をもともと感じての懇談会の設置ですので、これからも皆様方の率直な御意見を聞かせていただき、そしてまた、行政にしっかり反映させていきたいと考えておりますことを改めて申し上げまして、御礼の言葉とさせていただきます。
 ありがとうございます。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 10分ほど予定を上回っておりますので事務局にお願いでありますが、次回、現地開催の日程の詰めを5分でやってください。

○柴垣企画課長 それでは議題2、現地開催について事務局から御説明させていただきます。
 前回の議論の中でも加藤委員から2泊3日程度は必要だということで、現地開催の早期の実施ということが言われまして、委員の皆様方へ日程照会させていただきました。皆様方、大変御多忙ということで、なかなか調整が難しかったわけですけれども、一人でも多くの方の参加ということを優先させていただきまして、今日は資料2としてお配りしておりますけれども、日帰りを2回という開催案を出させていただいております。
 非常にタイトな日程で恐縮でございますけれども、第1回目が7月21日でございます。
 まずは国立水俣病研究センターに参りますけれども、第1回目は、その後、被害者の方からのヒアリングを中心に組んでおります。水俣の関係の3団体、それから鹿児島側の出水に参りまして、出水の会という鹿児島の出水の関係の団体からのヒアリングを予定しております。
 第2回目は、7月26日でございます。
 これは関係の施設や場所を見ていただくことを中心に、明水園、それから相思社の歴史考証館、それから埋立地エコパーク、水俣メモリアル、それから資料館で語り部の方の講話をお聞きいただくといった案としてございます。
 次のページに、こちらで視察を考えました場所の概要もつけてございますので、ぜひ御参照いただければと思います。
 それから、前回の御意見で、新潟や関西、今回の最高裁判決の原告のおられる関西方面の視察ということもございましたけれども、やはり懇談会の日程から見て、なかなかまとまった視察は難しいということで、参考として、「その他の関連施設」ということで新潟の施設を含めて示しておりますけれども、もし個別に視察の御希望がありましたら、事務局の方で現地との連絡等、便宜を図っていきたいと考えております。
 以上、視察の関係は、資料2を事務局の案とさせていただきます。よろしくお願いいたします。

○有馬座長 ありがとうございました。
  最後に何かありますか。

○柳田委員 要望があるんですが。
 委員の方々それぞれ御専門の立場から、水俣病あるいはそれを考える上で重要な著作物があると思うんです。それで、私としては、この際いろいろ勉強したいものですから、委員の方々が皆さんに読んでいただきたいと思われる文献を、他の委員に配っていただけたらありがたいと思うんですね。
 私としては、先ほど嘉田委員が役人は三人称だということをおっしゃいましたけれども、近代化の中にそれがあるわけですが、それを乗り越える道というのは決して永遠の課題ではなくて、一つの方法として「2.5人称の視点」ということをかねて提案して、医療界とか裁判とかいろいろなところで採用され、人事院もこの問題に大変注目してくださっているんですけれども、その文献を配りたいと思っております。
 もう一つは、委員の先生方が御自分の著作以外に、「水俣病について議論をする上で、この文献はみんな読むべきではないか」と思われるものをそれぞれ3点ぐらい推薦していただければ、この夏休み、いい勉強になるのではないか。それを事務局でひとつ取りまとめて、もちろん読むか、読まないかは皆さん御自由でございますが、ただ、そういうものを事務局でまとめて、リストを作っていただければと思うわけでございます。
 大変勝手なことですが、大変重要な問題なので、この場で2時間議論するだけでは足りない部分を相当補えるのではないかと思います。

○丸山委員 私も1つ。
 現地視察について、主要なところは一応挙がっていると思うんですけれども、1つ気になりますのは、水俣病関係団体へのヒアリング。このヒアリングの趣旨といいますか、「何か言いたいことがあったら言ってください」みたいなことでやるのか、そこらあたりがどうなのかですね。現地で今、一番言いたいことを持っている人たちというのは、新たに認定申請してきているそれぞれの団体だと思うんですよね。もちろん、この既存の団体とつながっている新認定患者の組織もありますから、そこからは、あるいはそういうものも出てくるかもしれませんけれども、全くそれとは関係ない申請者の団体もありますから、そこら辺りが何かこう、「東京から来て、今、聞いてもらいたいのに素通りされた」みたいな、かえって何か現地でまずいような反応が出てくるおそれもあるんですけれども。

○柴垣企画課長 今回、選ばせていただきました団体は、4月にこの懇談会の件について現地に説明に行った折に、ぜひとも懇談会で話をしたいと言われておった団体でございます。また、歴史があるといいますか、前回、年表でもお示ししました経緯で、過去からいろいろな活動をされてこられた団体ということで、選ばせていただきました。
 今、丸山委員から御指摘もありましたが、判決後に新たに3団体できておるということにつきましては、また今後の状況も踏まえて、ヒアリングをするかどうするかも含めて相談していきたいと考えております。

○有馬座長 ほかに緊急な御発言はございますか。

○嘉田委員 現地視察について、もちろん皆さん御多忙で日帰りになってしまったんだと思いますが、私、メールでも何度か申し上げましたが、例えばこの21日と26日の前と後、希望者なり泊まれる方だけでも宿泊ということで、やはり東京から来て駆け足で見て回ったという、その心証自身が既に地域に対して失礼だと思うんですね。その辺も含めて、可能な人だけでも前、後ろ宿泊して、じっくりと、食事でも一緒にさせてもらいながらその生活の現場を訪問させていただくといったことを希望するんですが。

○小池大臣 ただいまの件は、ぜひお時間が許す限り現地の方で時間を割いていただきますよう、むしろこちらからお願いしたいところでございます。それぞれの委員の皆さんの御都合などを伺って対応したいと思います。

○加藤委員 実は、この水俣訪問の日程については、事務局の方からも相談されました。しかしながら、委員の皆さんがお忙しいということで既にでき上がってしまっている日程について、なかなか意見を挟み難かった部分もありまして、実は、今日この場で私が提案させてほしかったのは、まず、お隣の金平委員からは申し出がありまして、既に今月の末に1泊2日で水俣に来ていただくことになっております。それについては、私たちのでき得る限りの御案内をさせていただこうと思っています。ほかの委員の方たちも、そういう御希望があればぜひ案内を引き受けたいと思っています。
 ですから、今、嘉田委員が言ってくださったことについては、事務局の方でも調整していただいて、もう少し、全部が固まる前に御相談いただけたらなとも思っています。
 それと、関西と新潟についても「行きたい人は行ってください」というよりも、お忙しい委員の方たち全員が行くのはなかなか難しいことだと思うんですね。ですから、行ける委員の方たちだけでいいと思いますので、やはり事務局として提案していただきたいと思います。
 あと、今、実際に申請されている皆さんについて言えば、逆に、委員会を水俣で開きますということで広く市民に呼びかけて、御意見を伺うような、そういう場を設けることも一案かなと思っております。

○柳田委員 私の場合、7月下旬は出張で2回とも参加できませんので、自分で勝手に取材だと思って行こうと思っているんですが、こういう漠然とした日程表ではなくて、どういうところを訪ねるか、その住所と機関名と電話番号をきちんと書いた文書を委員に配っていただきたいんですね。それで、行けなかった人がいつでもそこに連絡をとって、自分なりに話を聞いてくるなり取材するなりできるようにしてほしいと思います。

○有馬座長 いいポイントをありがとうございました。事務局、その点をお考えください。

○柴垣企画課長 今の柳田委員のお申し出につきましては、そういうものをお出ししたいと思います。
 それから、委員の御都合も調べた上で、前後に泊まってというのも日程上、非常に難しいかと思っておりますけれども、その点も含めて、また、現地開催はこれを限りにするかどうかも含めて、今後、考えたいと思っております。

○有馬座長 事務局に私からのお願いでありますが、前回より今回でかなり具体的な問題、具体的な提案があったと思うんですね。既に整理して議事録等々に書いてくださっていますけれども、その問題を幾つかの類型で大分けに分けて、そして次の会議はこの問題を、またその次はこの問題をというふうに分けて、具体的に討論を進めさせていただいたらどうかと思いますので、ちょっとお考えください。
 それから吉井委員、今日は貴重な御報告、本当にありがとうございました。感激しました。
 では、今日はこれで終わりましょう。
 ありがとうございました。

 
 

午後3時06分 閉会