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環境基本問題懇談会(第2回)議事概要
 


  1. 日時 : 平成15年11月25日(火) 13:00〜15:00
     
  2. 場所 : 環境省第1会議室
     
  3. 出席者 :
  4. 議事 :
    (1)開会
    (2)環境省挨拶
    (3)議事
  5. [1] 環境問題と持続可能な開発を考える視座について
  6. [2] その他

  7. (4)閉会
  8. 議事概要 :

    [1] 環境問題と持続可能な開発を考える視座について
     <資料1について、環境省から説明>

    <委員からの発言>
     

    • 問題点が非常に多岐にわたり漠としたところもあるが、現在の環境行政、あるいは環境問題そのものも国際的・国内的に転換期にあり、今後の環境と行政をどう方向づけていくべきかということを考えていかなければならない。 そこで、お集まりの先生方に議論をしていただいて方向性を見出していきたいというのが、この会議のいわば動機づけである。 自由に議論していただきたい。

    • 資料1−1には、人の生活を豊かにする価値の相互関係が図示されているが、科学技術の視点が欠落しているのではないか。 科学技術は環境保全と関わりが深いが、記載されているその他の価値のどこにも含まれていない。 科学技術をもう一つの円として入れてこうした図を作ってほしい。
       経済発展と環境との関連で一つ重要なことは、環境保全と経済の関わりの在り方は先進国と途上国では違うということ。 途上国では、設備投資の際に、資金を環境保全のための投資より生産能力を上げるための投資に当てたいと考える。 経済成長と環境保全は明らかにトレードオフの関係にある。
       一方、先進国はむしろ過剰設備の状態にあり、設備投資の意欲そのものがない。 しかし、そこで環境保全のための投資に対するインセンティブを国が与えれば、今まで落ち込んでいた設備投資の意欲は高まってくる。 太陽電池の設置や断熱材の採用など、個人の住宅投資に関しても同じことが言える。つまり、先進国では経済成長と環境保全は両立しうる。 そういった違いは区別して考える必要があるだろう。
       もう一つ重要なことは、産業単位で見ればウィナー・インダストリーとルーザー・インダストリーがいるということ。 例えば温暖化対策税のようなものを導入することで損をする産業もあれば、得をする産業もある。 同じ産業の中でもウィナー・カンパニーとルーザー・カンパニーに分かれる。最大のルーザー産業の代表は石炭産業だが、京都議定書のアネックスIの国でもオーストラリアのように石炭産業を持っている国は多い。 こうした国々は石炭が天然ガスに変わることで産業が衰退することを余儀なくされるのだから、議定書に対して消極的にならざるを得ない。
       しかし、例えば自動車産業では、環境保全は会社同士のいわば勝負の決め手となっており、環境制約を技術革新の梃子として使うというような観点も是非入れていただきたい。

    • 前の発言に同感。環境政策のベストミックスでいかに技術開発を誘発していくかという視点が大切。先月行われた日独シンポジウムでも、ドイツ側の関心はいかに技術改革を促すかということだった。 スウェーデンでも、環境大臣に対するアドバイザリー・カウンシルのメンバーは、「スウェーデンは環境保全だけやっているのではない。今最大の関心事は経済成長だ。」ということを発言していた。 驚いたが、考えてみれば当たり前のことだ。
       そういう点から考えると、日本の環境政策もすばらしい政策体系になってきていると思うが、不十分な点もある。 日本の環境政策はあまりにゴミ対策、つまり出口の部分に偏っており、入口、つまり市場に投入される製品がいかなるものでなければならないかという観点の規制が極めて弱い。 リユースやリサイクルがしやすい製品、そのためのエコデザインを義務化する法案を考えるなど、そうしたことは考えられないか。
       ヨーロッパでは9月にエネルギーを大量に消費する製品に関するエコデザイン指令が出るなど、そうした方向への動きが見られる。 その延長で次は製品販売から機能販売、結果販売という大きなビジネスモデルの変革が待ち構えており、相当な社会実験が進んでいる。 日本はこの分野で非常に遅れをとっており、そういう点でも科学技術との関わりを重視してほしい。

    • 二点、申し上げたい。
       一つは提案だが、先日公表された環境と経済活動に関する懇談会の報告書で、いくつかの政策課題が述べられている。 この懇談会では、その中からキーアイテムをいくつか引いてきて、たたき台として使うというのも一つの手ではないだろうか。 今日出てきた3つの観点に関わるキーワードもその中から引っ張り出せるであろうし、その過程の様々な議論も重要だと思う。 その辺りを整理してもらえると幸いである。
       二つ目は、今後は、これまで行われてきた結果系、つまり川下に対する施策だけでなく、原因系、つまり川上に着目した施策を行うことが、日本の競争力を高めていく上でも重要ではないかということである。 それが、いわゆる民生、運輸といった活動領域におけるエネルギーの削減、温暖化ガスの排出抑制にもつながるのではないか。 また、製品のエコデザインに対してはある種のアメとムチ、規制とインセンティブをどう組み合わせていくかという政策のデザインが重要になってくるのではないかと思う。 先ほどの懇談会の報告も踏まえ、その部分の議論を深めさせていただければと思う。

    •  人の生活を豊かにする価値の例はいくつもあろうかと思うが、教育は、人間らしい生活や物質的な豊かさといったものと表裏であり、環境と相互に関わるものとして是非重視してほしい。
       また、我々は入口の部分で何とかして環境に悪さをしないようにということで環境設計に取り組んでいるところであるが、この分野はあまり取組のインセンティブがない。 企業にとって利となることがわかるように、環境設計に一つのステータスを与えるといったことも考慮していただきたい。

    •  結果系から原因系、川下から川上へ、あるいはごみからエコデザインへという、基本的な方向性としては全くそのとおりだと認識している。 ただ、それを、具体的に利益を見せるような形、あるいは環境規制といったような形で進めるのが良いかどうかということに関しては、情報とパートナーシップ、あるいは自主的取組の必要性についての議論も踏まえ、それぞれの政策の骨子を十分検討して展開していただく必要があるのではないかと認識している。
       また、資料1の4ページ目の国際的な取り組みという部分で提示されている「枠組み作り」の一部かもしれないが、共通の指標とそれを把握するための継続的な情報把握の部分で国際的な協調を作る必要があると感じている。 まずそれを作らないと、いろいろな国々の中で共通の議論が進まないのではないか。 今日開かれた別の会議の議論を聞いても、経済指標が国際的に一般化して、共通の基盤でものを語れるのに対して、物質フロー勘定あるいは環境指標を共通のものにするには、まだまだ時間と努力が必要だという認識が共通であると痛感している。 そういった視点をここに盛り込むことも考えていただければありがたい。

    •  「環境問題と持続可能な開発を考える視座」ということで3つの点が整理されているが、私は未来社会への責任という視点が明確に出されてしかるべきではないかという思いを抱いている。 未来社会を展望したときに、子どもたちは大変重要な存在であり、教育と学習は非常に重要な意味合いを持つ。 できれば、義務教育の中で、環境を必須科目化するような動きを展望してもよいのではないか。 特に、実際に現地に行って学ぶという形から得るものは、子どもと教師、双方にとって大きいものがある。 教育と学習という視座の整理の仕方があってもよいのではないかと思う。
       また、環境技術開発型ビジネスに対しては、時限的なものを含めて何らかの形で支援を行う必要があるのではないかと思う。

    •  環境と経済活動に関する懇談会の議論を踏まえてステップアップしていかないと、また元に戻ってしまうという気がしている。 長期的、具体的なビジョンを打ち出す勇気を出さないと、国際社会においてリーダーシップを取ることはできない。
       具体的に4つの提案をしたい。一つ目は、今後20〜50年先の総合的な戦略、ビジョンを打ち出して、それに向けたロードマップを描くということ。 二つ目は、税制の本格的改革を行うということ。小手先の手直しではなく、大きな戦略の中でこれを実行し、企業にとってのメリットをどういう形で示していくかということは、この戦略の中で打ち出していく。外部不経済を内部に組み込むにはこれが最も有効。 三つ目は、ベンチャー企業がどんどんできるような新しいインセンティブを組み込んだ雇用対策を行うこと。 四つ目は、日本のせっかくの強みが情報通信技術なのだから、情報通信技術がどのように環境に貢献できるか真剣に考えるべきであるということ。 欧州では既にこの分野でプロジェクトが進んでおり、日本もリーダーシップを取るべきではないか。

    •  本日のテーマは「環境問題と持続可能な開発を考える視座」ということだが、現在とりくむべき“環境”を「環境問題」と捉えている限りはなかなかその本質に入っていけないと感じている。 これは人間の生存の場、生存資源の問題であり、このような視点で、もう少し考えた適切な言葉が出てくれば良いと思う。 これはまた、いかに多くの人々がこの考え方を共有して、将来に生存の場をつなげていくかという問題である。 今までの進歩の度合いをただ振り返るのではなく、地球の現状、水や温暖化の現状といったことに対して危機感を持たなければならないと思う。
       また、環境が抽象的な概念である間は、なかなか効果的な取組は進まないのではないか。 環境問題への取組の多様化をいかに分析したところで、日本としての理念、明確なビジョン、目的と目標値をしっかり定めて、 それを達成するための方策、その方策を可能にする政策を持たないと、我々の生きる地球資源が継続的につながっていくことは難しいだろう。 こうした観点で、「国際的なつながりの中での環境」という部分で少し問題意識を持っているのだが、日本は一つの通過点にとどまっていてはいけないのではないか。 京都メカニズムもその時点でのメカニズムであって、事情が変わってくればどんどん変わっていかないといけないということを、政治も国民も経済界も若い人々も、わからなければいけない。
       技術開発に関しては、日本の優秀な技術を一度棚おろしして、整理し、有望なものをナショナルプロジェクトとして明確化し、一元的に研究開発を進め、技術革新に持っていきたいと考えている。

    •  環境と経済の両立を可能にする手法としては、技術革新を促進していくということが非常に大きいと思う。ただ、良い技術が開発されても、コストの問題でなかなか普及しないという問題もあるので、実用化段階に来ている技術を広く普及させるような社会的な仕組みづくりが是非必要だと思う。
       特に革新的な技術が重要なのは、エネルギー分野だろう。エネルギー効率の向上や省エネ対策の技術が開発されつつあるが、それは使わざるを得ないにしても、できるだけ再生可能エネルギーや新エネルギーの需要が広がるような技術の開発、普及に力を入れていただきたい。例えば、石炭はできるだけ使わずに済めばいいのだが、中国などはこれを使わざるを得ない状況なので、石炭自体をクリーンに、環境負荷が少ない形で使えるような工夫も必要ではないか。
       それから、新エネルギーについては、水素エネルギー社会の構築が大きなテーマではないかと思う。温暖化対策については、第2約束期間以降の長期的な枠組みづくりについての議論がなされており、どうしたら米国や中国、インドに入ってもらえるかということが大きな課題であるが、米国は水素エネルギー社会の構築に強い関心を持っているという話も聞いている。日米、あるいは日米に限らず幅広く国際協力して、早く水素エネルギー社会ができるというめどを立てることが肝要ではないか。そうした解決方策があるということになれば、米国も温暖化対策の重要性はわかっているだろうから、話に乗ってくる可能性もある。
       中国、インドの場合には省エネ対策自体が非常に重要。CDM、あるいは環境ODAを通ずる協力について話し合い、温暖化対策が本格化しても経済発展と環境保全、温暖化対策との両立はできるという見通しを当局者が持てるように、日本としても努力していくということが重要ではないか。途上国における持続可能な開発というのは、なかなか容易ではない。やはり先進国が環境保全をベースにした持続可能な発展のモデル社会を作り上げて、それを途上国に具体的に示すことが必要なのではないか。そういった面で国際協力を積極的に展開していくべきだと思う。
       国内を見ると、かつての激しい公害は克服されつつあるが、まだ残された問題も多々あり、その中で一番大きく、新しい問題が再生産されているのは大都市における交通公害対策ではないかという気がする。慢性渋滞による大気汚染の拡大、騒音、交通事故、光化学スモッグと、まだまだ力を入れて改善することが非常に多い。
       ただ、今までの手法では、単体規制でよくなっても総台数が増加して、トータルとしてはちっともよくならないということの繰り返しである。新しいアプローチで、目に見えた形での改善につながるようなことを考えてはどうかと思う。理論的に言えば、例えば長距離貨物輸送を鉄道とか海運に振り向けるというモーダルシフトだろうが、かけ声ばかりでなかなか進んでいない。  また、道路を作ると交通量が増えてしまうといういたちごっこが続いている。これを解決するには、なかなか難しい話だが、道路の整備状況に見合った自動車交通量の調整というようなことまで踏み込んで考えないといけないのではないかという気もする。大都市交通公害対策にもっと思い切った手が打てないかという感じがする。

    •  様々な人間活動もそれらが統合されたものも、いずれも環境の制約は超えられないものであり、下手に活動すると現在ある制約をより強いものにしかねないということを我々は認識しないといけないと思う。こうした制約をしっかり科学的に見定めることなくしては、持続可能な開発も単なるスローガンになってしまう。
       生物の個体群とある空間での制約ということでは、環境容量あるいはキャリング・キャパシティーという概念があり、ある程度、それを人間に広げて適用することもできるのではないかと思う。科学的な制約を見定める時にはそうした検討の方法も可能ではないか。ある場での生活はその場の生物生産性に依存するので、その限界はまず超えることができない。さらに、動物なら老廃物、人間なら老廃物、廃棄物といった活動によってできるものは、自然の循環や浄化に委ねられなければならず、いくら科学技術を駆使してテクノロジーで対処したとしても、そのスピードには限界があるということだと思う。
       その二つの限界を抑えることが人間が生存していくために必要なのだが、限界近くであまり無理をすると、生態系が不可逆的に他の相に転移し、望ましくない状態で安定化してしまうということもある。生態系は安定性を持っており、多少人間が変化させてもある一つの平衡点に戻ってくるという見方もあるが、こうした平衡点には、人間活動にとって都合のいい生態系もあれば、そうでないものもある。健全な生態系とは必要な資源やサービスが供給される状態であるが、その範囲の中で容量を超えない在り方がどのようなものかということは、科学的に検討するしかないことだと思う。人間活動と環境との関係は対等な関係ではなくて、環境の方に制約がある関係だということをしっかり踏まえないといけない。
       環境の制約の評価には様々な方法があるが、その一つとして、地球の面積に依存して制約を検討するということを、環境経済学の分野でアメリカの研究者が計算している。それによると、1980年代には既に制約を超えていて、今は大体20%ぐらいの赤字になっている。なぜ赤字になっても経済が成り立っているかといえば、化石燃料という過去の生産性に依存して生活・生産ができているということなのだが、その結果として、今二酸化炭素濃度がウナギ登りに増加している。これは恐らく調和している範囲ではないのではないかと思う。こうしたことについて、もっとしっかりデータを出して、社会として認識しないといけないと思う。
       人が進化の過程で過ごしてきた時間はほとんどが狩猟採集時代なので、そういう時期の環境悪化に対する判断はできるのだが、もっと遠大なスケールで起きている環境変化を個人のレベルで感覚的に把握するということはとても難しい。社会として、ある程度科学的に把握したものを、一人一人が実感できるような機会、場を作る必要があると思う。

    •  イェール大学のポール・ケネディが『21世紀の難問に答えて』という著作の中で、北欧三国、オランダ、デンマークという北西ヨーロッパの5カ国で環境マインドが高い理由を分析している。その理由は二つある。一つは十分豊かであるということ。もう一つは教育水準が十分高いということ。これらの国の一人当たりのGDPは2万5千ドルから3万ドル、大学進学率は30%台後半である。
       しかし、日本の一人当たりGDPはこれらの国より一万ドル多い4万ドル前後。大学進学率も50%を超えている。それにも関わらず環境に対する意識が低いのはなぜか。日本は本当は豊かではない、ということなのではないか。環境のことを考えるゆとりを持てることが、一つの豊かさの証であると考えるべきなのではないだろうか。
       また、教育水準も大学進学率こそ高いが、知的レベルはどんどん落ちていると思う。いわゆる国民の意識調査によると、20代、30代という若い世代ほど物や金が一番大切だという物質主義的考え方をとる人が多く、バブルの後遺症ではないかと考えられる。
       そうした意味で、教育というとすぐ環境教育ということになるが、実は知的レベルを高めるということが必要なのではないか。それも、単に大学の受験勉強の中で教育水準を上げるのではなく、本当に知的レベルを上げるような教育の水準を高めるということが最も重要なことだと思う。

    •  今の経済産業、我々のライフスタイルは既にアンサスティナブルである。世界の森林は年間120億tのCO2を吸収するというが、現在人類が排出しているCO2は年間240億tに上る。また、化石燃料を過剰消費するために一秒間に700tずつ酸素が減っており、5万年で大気中のO2がなくなるとも言われている。問題はいかにこれをサスティナブルにするかということだが、アンサスティナブルからサスティナブルに移行するまでの間に起こると予想される様々な問題、例えば海水面の上昇や黄砂の飛来などに対する適応戦略を真剣に考えていかないといけないのではないか。

    •  環境を認識するためには、幅広い考え方が必要である。また、環境を認識するためには情緒的な育みが大切である。このため情操を培う年代にもっと情操が培われるような環境作りが必要ではないかと思う。熊本県では、川辺川ダム問題に関して、環境論を主張されている方々が希少生物の生息地の保護を訴えている。そのことの裏付けを科学的に教えていただいたということで、先ほどの生態系の話には感謝している。

    •  環境教育を徹底すれば、人間らしい生活や物質的な豊かさに頼らない生活になっていくのではないか。学力のレベルといったことではなく、そうした教育を徹底してほしい。
       それにしても、食品残渣やRDF発電で問題が続けざまに起こっているが、環境省のレスポンスがさっぱりない気がする。環境省が中心になって地方自治体を安心させるなり、企業に「こういう技術をもっと開発しなさい」というようなことを言うなり、早く対応していただきたい。
       企業の方では相当努力をして、マテリアル・リサイクルの段階からケミカル・リサイクルの段階に進んできているが、実際にそうした問題が起こるとまだまだ環境技術は未熟な面もあると思う。環境省もそのあたりはよくわかっているだろうから、是非対応を考えていただきたい。

    •  このところ関連があって、環境基本計画や温暖化大綱を見直しているが、結構よくできている。最大の問題は、それらについてきちんとした見直しをしていないこと。見直しのときに「あまりできてなかった」ということが書いてあるが、何故できなかったのか、どこができたのかということをきちんとフォローしていない。環境省が他省庁の所管に踏み込んで、「これはこういう理由でできなかった」ということを言えないという行政庁の権限の問題もあるのかもしれないが、これでは何年やっても同じ。目標を立てたら何年までにどういうプロセスでやるのか、ロードマップを示すことが技術開発でも税制でも必要だろう。現行のものはプライオリティがどこにあるのかわかりにくく、各省庁から出てきた項目をとにかく並べているような印象。だから目標年になったら、やはりできませんでした、ということになるのかもしれない。
       この懇談会にしても、意見を並べるだけ並べて何年か経ってから「こんなにいい意見をもらったが、結局何もできませんでした」ではもったいない。そろそろ、こうしたパターンを立てるときにはステップ・バイ・ステップでプライオリティーをつけて、どう実現していくか、どうチェックしていくかという将来の戦略あるいは視座を築き上げるということも考えたらどうか。こういう議論をする時は、どのようにロードマップを描いてどうチェックするのかという視点も入れ込んでいってもらいたい。

    •  最近の情勢について一言申し上げたい。アメリカは、2001年1月のブッシュ政権誕生以降、ユニラテラリズムが顕著になっている。カーネギー平和問題研究所のロバート・ケーガンが示したように、「意思を持って軍事力の増強を成し遂げてきた強いアメリカと、そうした意思を持たず反戦平和主義者の楽園と成り果てた弱いヨーロッパ」「アメリカの原理は普遍的なものであり、これを世界に広げることがアメリカ政府の役目」という考え方が、アメリカのネオコンと呼ばれる人々の基調にある。そうした考え方を取る限りにおいて、アメリカは今後も世界各国の温暖化対策の努力に水をさすような行動を取る可能性はある。ブッシュ政権後、アメリカがどのような道を取るかということはわからないが、ブッシュが更に4年間続けるとすれば欧米の間で亀裂が生じる可能性もあり、それが地球環境問題へも大変深刻な影響を及ぼすということを、環境省でも十分念頭に置いてほしい。

    • [2] その他
       <資料2について、環境省から説明>

      <委員からの発言>
       

    •  具体的な問題提起をしたい。議論をしていろいろな情報を並べていくのではなくて、日本が世界に誇れるような長期的な国家戦略を作り、例えば来年の4月以降、それが実行に移せるような、そんな議論をしてはどうか。最低でも2020年ぐらいを視野に入れて、どういう分野で何をどう実行していくかというアウトプットにフォーカスして議論する方が良いと思う。ドイツやイギリスは2050年を視野に入れた非常にアグレッシブな二酸化炭素削減の目標を立てており、本当に実現可能かどうかはともかく、それが各種政策や産業の方向性に統一感を持たせていると思う。

    •  2012年までは京都議定書でかなり具体的な目標があり、それを議論する際には一応2020年から2030年ぐらいを視野に入れてやっている。温暖化は、今我々が直面している最大の問題であり、そうしたことも頭に入れた上で、御提案は受け止めたい。

    (了)