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環境省大臣記者会見・談話等>大臣記者会見要旨

大臣記者会見・談話等

江田大臣記者会見録(平成23年8月30日(火))


1.発言要旨

 先ほど午前10時から閣議と閣僚懇談会を行いました。その中で菅内閣の総辞職を決定いたしました。菅内閣総理大臣の談話も決定をいたしました。いろいろとお世話になりました。私は本年1月14日に法務大臣、さらに、本年6月27日に環境大臣を引き受けまして、今日まで短い期間でしたが全力投球をしてきたつもりでございます。菅内閣、さらにその前の鳩山内閣と、政権交代して2年やってまいりました。政権交代というのが、民主主義を進めていく上で不可欠な政治の在り方だと思っておりますが、日本は細川内閣の短期間を除いてこれがなく、政権担当勢力のオルタナティブがない時代が続いてまいりましたが、そのオルタナティブができて、国民がそちらを選択して、政権交代を実現するという意味で新しい時代に日本の民主主義が入った2年間だったと思っております。政権担当能力というのは頭の中だけでできるわけではないので、体を使って汗を流してそういう勢力ができていくものであると思っていて、この2年はその意味ではハードランディングの着陸からしばらくの間、混乱が続く振動が非常に多い、そういう時期であったと思いますが、昨日の民主党両院議員総会で野田佳彦さんが新しい代表に選ばれて、今日の総辞職を受けて、今日、野田内閣総理大臣の指名が行われるということになって、これから政権交代の次のフェーズ、安定した政権交代政治のスタートということになると思っております。ぜひ、私もそうした民主主義の成熟のためにこれからもがんばっていきたいと思っております。法務行政、環境行政、いずれも皆さんに大変お世話になりました。国民の皆さんにも本当にお世話になりました。東日本大震災、そして原発事故というのがあって、法務行政でも環境行政でも大変大きな課題を抱えることになりましたが、全力で頑張ってまいりましたし、これからも頑張っていきたい。とりわけ環境行政につきましてはこういう原発事故を受けて、放射性物質の環境中への飛散という新たな環境問題というのを抱えることになり、また、原子力行政の規制のあり方これも新しい方向が示されたところで、これから環境行政の役割というのは極めて大きなものになっていくと思っております。ぜひ今後とも、法務・環境両行政について、国民の皆さんの御理解と御支援をお願いいたします。

2.質疑応答

(問)昨日の民主党代表選で野田さんが選出されまして、今日首班指名という運びですけども、先ほど少しお触れになりましたが野田新代表にですね、これから政権運営に当たって期待することについてお答えください。
(答)菅総理大臣が本年6月2日に一定の目処が付けば若い世代に責任を引き継いでいきたいとこういうことを言われたわけですが、一定の目処を付けてそして若い世代にということで野田さんというこの固有名詞が確定したというわけで、私は本当によかったと思っております。先ほどちょっと言いましたが政権交代して2年、これはやはりハードランディングで非常に激しい振動の時代だったと、最後は大震災という大変な振動もございましたが、そういう時代でしたが、これからは安定した政権運営ということになっていくと思っております。野田さんが、私の予想よりも大差をつけて選ばれたのは、そういう期待感だったと思うんですね。これまで政権交代にたどり着くまではいろんな方のいろんな力が結集して、中にはある力が発揮されれば別の力が対抗してギクシャクするということがありましたけども、これからは、そういうことじゃなくて、やはり野田さんとああいう世代の人々が大いに力量を発揮して事を進めていく、これまでずっと政治を長くやってきた我々の世代は、そこへしっかりと補助線を引いていく、そういう役割分担になっていくし、そうなっていかなければいけないと思っています。
(問)今日、総辞職ということで閣議決定されましたけども、法務大臣として8か月ぐらい、最後、環境大臣も兼務されましたが、この在任期間のですね、御感想というか思い出に残っている場面とか個別の政策ですとかがあればお答えいただけますでしょうか。
(答)短い期間でしたが就任からすぐにこの通常国会が開幕し、大きな法案がいくつもかかってくるという事態でした。法案の審議に当たって、これは本当に民法の改正でも、あるいは非訟事件などについても、あるいはサイバー法案についても、その他の法案についても、いずれもがなかなか大変な法案だったと思いますが、私も国会審議に全力で当たってきたつもりでございます。与野党の皆さんの大変な御協力もいただいて、そうした法案が順調に仕上がったというのは本当にありがたかったと思っております。併せて、この法務行政、検察の信頼回復であるとか、あるいは人権救済機関をどう作り上げるかとか、あるいは個人通報制度をどうするとか、そのほかいろいろ課題がございましたが、なかなか目処がまだ付いていないものも、たとえば民法の夫婦別姓などこうしたものもございますが、それでも一定の軌道に乗せるところまでもってくることができた。取調べの可視化についても法制審に諮問をして、この可視化の制度化が後戻りしないというところまではきて、あとは前へ進めていく。人権救済機関についても内閣の考えをちゃんとまとめて、そのまとめたものに従って制度設計をしていくというところまでもってまいりました。また、東日本大震災、このあと法務的にも死亡届をどうするとか、瓦れきの処理をどうするとか、まだこれからいろいろ続いていくと思いますが、法律相談などをどういった体制でやるとか、いろんなことがございますが、これも一つ一つ前へ進めてきて、いよいよ今作り上げたいろんな仕組みをどんどん前に進めていくとそういう時になってきております。私はあの3月11日に、ちょうど参議院の決算委員会の最中に、あの地震でこの法務省に戻って、法務大臣室で、夜中に仮のベッドでテレビを見ながら夜を過ごした時のことは本当に忘れられません。あのときの、想像をはるかに超える大きな被害で、しかも原発事故がここまで大きく燃え上がってきたというのは、本当に戦後これまでの日本の政治が国民の皆さんにこんな大きなつけを残したものであったと痛感して政権交代した訳ですから、この新しい政治の在り方の中で、こうした巨大技術というものを制御していける、そんな政治にこれからしていかなければいけないと、法務行政からは外れましたがそういう感じをもっています。
(問)今後、野田新首相が組閣に取組むことになりますけれども、江田大臣にもし留任の要請があった場合はどのように対処されますでしょうか。
(答)そんな仮定の質問ですから、それは全く答えを準備しておりません。私は菅直人さんが内閣総理大臣で、なかなか苦しい時期だったと思いますが、そういう時期に、古くからの同志の私に声をかけたので、本当に三権の長の一つである議長を務めて、総理大臣の下で仕事をするというのは、参議院の皆さんには大変申し訳ないということもございましたが、引き受けたわけで、野田さんには、もちろん大いに頑張っていただきたいし、何でもお手伝いはするというつもりではありますが、しかし、菅さんのときとはまた違った角度でお手伝いができるのではないかと思っております。
(問)三権の長を大臣は務められていたわけですが、今後新たに取組みたいポストは何かあるでしょうか。
(答)それは全く想定外の質問ですが、国会議員としてはあと5年弱残っております。どういう役目が回ってくるのか、これは人知を超えた流れの中で役目というのはそれぞれ回ってくるので、その自然体でいきたいと思っておりますが、日本政治あるいは日本社会、戦後六十数年で、まだまだ抱えている課題は非常に多い、あるいは課題が大きくなっているとも言えるので、この線を越えるまで私どもの在り方の基礎となっている憲法をどうするかとか、この間に経済が非常に大きくなってまいりましたが、その陰で人間同士の絆が非常にがさがさしたものになっているとか、いろいろ考えなければいけないテーマが、環境問題もそうですし、私の果たすべき役割は何が役割かは分かりませんが、まだまだ大きいと思っておりまして、あまり老け込んではいけないと思っております。

(問)死刑の問題についてなのですが、大臣の任期中には執行がなくて、大臣は悩ましい刑罰だと答えられて、勉強中だということをおっしゃっていましたけれども、任期中、勉強会等も何度かなされて、最終的に大臣としてはどのような認識を持つに至ったのかお聞かせ願いますでしょうか。
(答)まだ最終的に認識を持つところまで来ておりません。これは、私自身の生き様の中で悩み考えていきたいと思っております。ただ、私としては悩ましい刑罰であって、しっかり悩んで研究していきたいというのは問題提起をしたつもりなのですが、何か問題提起の仕方が弱いというようにも書かれて、私としてはかなり強い問題提起をしたつもりではいます。

(問)総理大臣の任期についてお伺いしたいのですが、国民の多くから見ると、毎年交代していて、またかという意識だと思うのですけれども、菅総理の側近の江田大臣から見て、どうして1年2か月で終わってしまったか、時間的な評価についてどのように見ておられるか確認したいのですが。
(答)これは、特に菅総理の1年2か月についてお尋ねになりましたが、菅直人さんにもいろいろ短所も欠陥もあったと思います。思いますが、しかし、じゃあそれまでの内閣総理大臣あるいはこれからの内閣総理大臣と比べてそんなに1年少々しか続かないほどの短所、欠陥であったかというとそんなことはない。私はちょっと時間を置いてみれば、菅内閣、ああいうこともやっていた、こんなこともあったという成果は十分残していると思っていますが、今あまりそれを言っても引かれ者の小唄になってしまうので言いませんが、それよりもちょっとこの日本の歴史の中で考えていくと、自民党政治というのが非常に最後の段階で劣化をしてしまって、小泉さんが自民党をぶっ壊すというのはけだし名言だったわけで、別に小泉さんがぶっ壊したというよりも、ぶっ壊れている自民党をはっきり示したということだったと思うのですが、政権交代までの間の最後にハードランディングに向かうかなりの振動があって、1年交代で総理大臣が替わった。次のハードランディングをして、タイヤがまだバウンドして、かなりの振動があったのが2回の総理大臣だと思っておりまして、これからはもうそういう形のものでない、安定政権交代政治へと移行していく時代だと思っています。ちょっとそういう長期の大所高所からの見方をせずに、やれあの人は漢字が読めなかったとか、やれこの人は参議院にいじめられたとか、そういうことだけで見ていくと歴史の見方というものを間違うのではないかなという、そんな感じがしています。

(以上)

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