本文へジャンプ
ここから本文
環境省大臣記者会見・談話等>大臣談話等

大臣記者会見・談話等

水俣病不知火患者会との和解協議に係る記者会見(平成22年3月29日(月))


1.発言要旨

 御報告を申し上げたいと思います。本日、熊本地裁で行われた和解協議におきまして、去る3月15日に裁判所が示した所見を原告、被告双方が受け入れをいたしました。原告の皆様の決定に心から敬意を表したいと思います。また、原告、被告双方が受け入れることとなった所見を示された熊本地裁の御努力にも感謝をしたいと思います。水俣病の公式確認から54年間、この間多大な苦痛を強いられた被害者の方々、また引き裂かれた地域社会のことに思いをはせる度、こうしたことに至った行政の在り方を反省し、またお詫びの気持ちでいっぱいでございます。一刻も早く解決し、地域が未来に向けて再出発できるようにしなければならないと考えまして、環境省をあげて取り組んできたところであります。本日の裁判所の所見の受け入れの実現は原告、被告はもちろんのこと、他の団体の方々、そして団体に属していない全ての水俣病被害者の方々、更には一般の市民の方々がそれぞれの主張や立場の違いを乗り越えて、迅速で、かつ極力公正な解決を重んじた結果であり、今後全ての関係者が互いに心を添わせて、水俣病問題の全面的な解決に向けて取り組んでいくための確かな糸口が開かれたと感じているところでございます。今後は所見に基づく個別原告の判定手続き等を適切に実施していくとともに、特措法に基づく救済措置の方針、策定を急ぎ、5月1日には裁判によらない方々を含め、全ての水俣病被害者の方々に対して、一時金や水俣病被害者手帳の申請受付けを開始できるように努力をしてまいりたいと思います。
 私からは以上でございます。

2.質疑応答

(問)改めて今日の和解受け入れが双方成立をしたということになりますが、感想と言うか、受け止めを大臣、副大臣それぞれお聞かせいただけないでしょうか。
(大臣)先ほどの報告の中でも申し上げましたけれども、54年間という長い期間のことを考えますと、新たな節目と言いますか、それを迎えることができて本当に良かったとまず思っています。皆さんも御案内のとおり、昨年特措法ができまして、更にはその後、鳩山政権ができて、総理はじめ、我々全員がとにかく被害者の皆さん方の高齢化を考えると、一刻も早い解決をすることが必要だという思いで努力をしてまいりました。隣に田島副大臣がおりますが、田島副大臣に先頭に立って、本当に尽力をしてもらいましたし、そういった関係者の皆さん方が心を合わせて解決ができたことに本当に私としても良かったと思っています。あとは実際の適用をしっかりできるように努力していきたいと思います。
(副大臣)様々な御意見がある中でこうして裁判所の和解所見を受け入れると御決断をいただいたことに心から敬意を表したいと思っております。これまでも副大臣職をお預かりし、大臣からこの水俣病の解決に向けて頑張れと御指示をいただいた半年間、私なりに汗も涙も流してきたところではありますが、報われるところまでようやく一歩また近づいたのかなと思っているところであります。とは言え、5月1日の慰霊式には、この救済法に基づく救済措置の手続きがスタートできるようにという大きな目標を掲げております。この約束、目標を達成できるようにしっかりとこれから取組みをしていきたいと思っておりますし、裁判で争って来られた和解協議だけではなく、救済法に基づく救済措置を求めていただいている団体との協議もまだまだこれから進めていかなければならない課題でありますので、そういう意味では皆さんの理解と御協力と納得が十分にいただけるように、これからも身を引き締めて頑張っていきたいと思っております。

(問)特措法では3年以内を目途に救済対象者を確定させると書いてありますけれども、この点についてはそれを目指していかれるということなんでしょうか。
(副大臣)もちろん、法の趣旨にございますので、それを尊重していきたいと思っています。

(問)一方で不知火会との和解の所見では、年内を目途にこの和解は解決、努力をするようにと書いてありますが、今後の具体的なスケジュール感としては、いつ判定を始め、いつ例えば公的審査を始めるというようなことをイメージをされているのでしょうか。
(副大臣)まだ具体的な部分につきましては、一方的な判断ではなかなか進まないところもあろうかと思います。当然この広報であるとか、多くの皆さんにしっかりとした周知徹底等々を図っていく、そういった時間的な必要とする部分等とも調整をしていく必要があろうかと思いますので、その辺りの日程感をしっかりと組み立てていくように省としてもその段取りをしていきたいと思います。

(問)昨年の特措法が成立した段階では、裁判組を最悪置き去りにしたまま特措法だけが発車してしまうような可能性もあったと思うのですが、同時解決という形を取ったことについて今の率直なお気持ちを。
(大臣)私たちは、少なくとも政権が誕生した時から同時解決を目指したいと思ってやってまいりました。そういう意味では今まで申し上げてきたとおりです。そういう中で本当に副大臣を始め、関係者の皆さん達が努力をしていただいて、不知火会の皆さん方とも何度も協議をしていただく中でこうしたことが可能になったということだと思っておりまして、我々の努力と同時に不知火会の皆さん方の解決に向けた協力と言いますか、その決断に本当に心から敬意を表したいという思いでいます。

(問)小沢大臣ですね、先ほど全面的な解決に向けて取り組んでいくとおっしゃいましたが、大臣がイメージする全面的な解決というのはどういう姿なのか。まだ本日は、最大訴訟派の不知火会との和解の合意ができたのですけれども、訴訟をですね、またし続けるという団体もある訳で、その人たちはどうなるのかですね。全員皆さんが和解できて、若しくは、解決ができた状態が全面解決なのか、どういうふうにお考えになっておられますでしょうか。
(大臣)今お話がありましたまだ裁判を続けております新潟の皆さんたちもいらっしゃいますし、地域にお住まいの皆さんたちの中でも不安を抱いている方々等もいらっしゃるわけで、そういった皆さんたちが不安を解消できるようにいろいろな調査手法の開発や重点的な調査等も行っていきたいと思っておりますし、そういった皆さんたちが一人でも少なくなるようにそういった気持ちでやっていきたいという思いです。

(問)今の関連なんですけれども、新潟もやっぱり阿賀野患者会がまだ残っているのですけれども、こちらはもう具体的なアクションというか、その辺りは今のところ。
(副大臣)新潟に関しましては、阿賀野患者会とももうこれまで3回にわたりまして、和解に向けた事前協議をしてまいりました。この月末31日には環境省の事務次官、そして特別参与を送りまして、4回目の和解協議に向けた事前協議を予定しているところでございます。熊本と比べますと事情が違うところもございますので、是非条件さえ整えるならば、熊本と同様に解決をやはり進めていきたいというふうに考えているところでございます。

(問)今、実際に新保健手帳を持っていらっしゃる方、認定申請していらっしゃる方、合わせて今でも増えていると思うのですけれども、三万数千人に及んでいると思うのですけども、具体的に判定してみないと分からないと思うのですけれども、実際にどれぐらいの方が救済される可能性が最大あり得るのかというのイメージは、今後チッソに対しても政府としては、金融支援などをしていかなけれならないので、一定の目途みたいなある程度の前提みたいなのは必要になってくるかと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
(副大臣)もちろん今三万人という数字がよくいろいろな場で引用されて、今もおっしゃってくださったような数字があがっているところでありますが、御懸念いただいているとおり、実際にやってみないと分からないという部分がございます。しかしながら、今回のこの救済措置をしていくためには、やはり一人でも多くの方々、不安にもし思っていただいているのであるならば、やはり検診を受けていただく、そしてその中で能う限り救済をしていきたいという思いでこれまで臨んでまいりましたので、その方針については、人数がどれぐらいということを先立たせるよりも、まずは救うべき人たちをきちんと救っていく、このことに私どもは立脚した形で対応していくのが一番省としての姿勢として正しいのではないかと考えております

(問)今回迅速で公正な現時点でできる限りの御対応をされたとお感じでしょうか。政治・行政がなし得る第二の政治決着という形という意味では最大限努力を今回なさったとお感じでしょうか。
(大臣)そのことに関しては、最大限の努力をしてきたつもりでおります。我々としてはですね。

(問)先ほどの大臣の感想の中で、特措法ができて、鳩山政権ができたというような言及がございましたけれども、鳩山政権の下でこの解決に向けての動きというのはスムーズに出来たというような受け止めでしょうか。
(大臣)特措法ができてという話も申し上げましたように、鳩山政権だけでやれたというふうには別に思っておりません。鳩山政権のいわゆる命を大切にする政治というようなところは、被害者の皆さん達も期待を寄せていただいたところはあるのかなと思っております。同時に特措法を作った時のそれぞれの皆さん方の貢献も感謝を申し上げながら、共にそこは力を合わせてきたつもりでおります。

(問)被害者の方々が不安に思っているもう一点は、チッソの分社化だと思うのですが、この許認可権は大臣にありますけれども、改めてどういう段階になればチッソの分社化を許せるとお考えですか。
(大臣)定性的に言えば、本当に患者の皆さん、あるいは被害者の皆さん方がこれで大丈夫だと思っていただけるような状態になることが必要だと思っておりまして、私としてはそういったことを後藤会長にも申し上げてきておりますし、そこはしっかりと対応を見ながら判断をしていきたいと思っております。

(問)関連するのですが、会社の方が、チッソの方が10月にも条件が整えば分社化という考えがあるようですが、これについて御所見は大臣はいかがですか。
(大臣)それは、この前のどこかの記者会見でも申し上げましたが、後藤会長が陳謝をしておりますので、私自身もそのことは確認しておりますので、そういった話は、たしかに年頭所感としてはおありになったのかもしれませんが、あくまでも先ほど申し上げたような条件が整ってからということだというのが今の理解だと思っております。

(問)さっき言われた条件とは全面的な解決という意味ですか。
(大臣)患者の方々、被害者の皆さんに、これで安心だと思っていただける段階になる、そういうことだと思います。

(問)大臣、7日の日に水俣にいかれたときにですね、今回の和解と救済ですべてが解決するとは思っていないという話をされたと思いますが、今後の課題、どういったことに取り組んでいきたいか、今後の課題を教えてください。
(大臣)疫学的調査の在り方とか、そういうことも踏まえてやっていかなくてはいけませんし、更にはまた、水俣のこの問題を風化させてはいけないと。この問題で日本がある意味では直面してきた公害問題の在り方、あるいは行政の在り方、政治の在り方、そういったものを含めて、我々としては引き続き事柄の重さをしっかりかみしめながら二度とこういうことがおこってはいけないという思いで対応していくことが必要だと思っています。具体的に疫学的調査の開発、手法等は精一杯やって参りたいと思っておりますが、また、地域の振興やもやい直しなど、そういったいろいろなことがあり得るでしょうから、今、具体的に何をという、こういう話ではありませんが、この問題を今回の救済だけですべて終わりと言って片付けるという気持ちは私にはありません。そういう意味です。

(問)地域の浮揚ということについても環境省としてもバックアップしていかれるという。
(大臣)地域の更なる発展も含めてですね。この前行った時も、市長さんあるいはまた商工会議所の皆さんのお話も聞かせていただきましたし、いわゆる水俣が新たに再生して前向きの歩みを進めていけるよう、水俣あるいはまた鹿児島側も含めて、地域が、ですね。協力をすべきことはしてまいりたいとこう思っています。

(問)昨年12月に、田島副大臣が救済方針の基本的な考え方というのを出されたと思うのですが、それをもっと肉付けしたものを政府全体で近々決定されると思うのですが、どういう内容を、どんなタイミングで決定される御予定なのでしょうか。
(副大臣)救済措置の方針の決定に係るタイミング、また日程感につきましては、今、各方面と調整をさせていただいているところでございます。5月1日に救済措置の受付をスタートできるようにということで、今、方針の早期決定に向けて努力をしているところでございます。近々、閣議決定等々に向けての準備も含め、細部を今つめているところでございますので、ここはひとつ、各方面との調整を今、進めている段階ということで御理解をいただけたらと思います。
(問)4月上旬という理解でよろしいですか。
(副大臣)できる限り早くしていきたいとは思っておりますが、まだ日程感につきましては、申し訳ございません。

(問)不知火について、まだ東京と大阪の提訴があると思うのですが、それへの対応について、現状の作業状況を教えてください。
(大臣)今、田島副大臣がこの間も、24日ですか、会っていただいておりますし、しっかりと御連絡を取らせていただきたいと思っています。
(副大臣)今後、熊本の不知火患者会の判断を踏まえて、先方の方から、また新たな考え方が示されていくのではないかというふうにも思っております。そういったことも受けまして、適切な対応を今後させてもらいたいと思っております。

(問)5月1日の慰霊式に首相の出席を求めて、水俣市長が首相とお会いになりましたけれども、今まで前政権時代まで、出席要請という形でもお受けになるということは、なかなかなかったと思うのですが、そういう意味でも、民主党さんになられて前政権との違いというのが少しあったのではないでしょうか。
(大臣)前政権のことは正直言ってよく分かりませんが、私には。総理自身は、この問題は、実は、市長さんからの要請がある前から、自分としては行きたいという気持ちを持っています。あの時に、市長さんにもおっしゃったようですけれども、外交案件含めて何が起こるか分からないので確約はできないと、ただ自分としてはぜひ行かせてもらいたいと、それが今の気持ちだし、状態だということです。前と違ったかどうかは、どうぞ皆さんで判断をいただきたいというふうに思っています。

(問)特措法に基づく救済も含めて、第二の政治決着ということになるかと思いますけれども、95年の前回の政治決着と大きく変わったところというのは、どんな点になりますでしょうか。
(副大臣)その当時は、私はまだ国会議員ではございませんでしたので、報道等々からしか承知をしておりませんので、適切な比較というものができないとは思うのですけれども、少なくとも今回、担当してきた省の職員、またその当時を知る方々からもいろいろと話を聴いて、その当時の様々な問題点、こうすれば良かったというようなことを、できる限り踏まえて対応を考えてきたところであります。例えば、救済にかかる期間の問題、またその対象とする地域の問題、また各団体とのそれぞれの話し合い、協議の在り方、こうしたものをひとつひとつ挙げますならば、きりがちょっとないのですけれども、できる限り、その時に、ああすれば良かったというような反省が同じように繰り返すことのないように対応していきたいと思って心がけてまいりました。それがすべてかなったかどうかは、私自身十分だったかどうかもまだ判断つきませんけれども、そういった気持ちで臨んできました。その結果として、今日のこうした場でお話をさせてもらえているのではないかと思っております。

(問)95年の時は、チッソに対しての一時金の貸出を行っていまして、その8割以上を債権放棄されていますけれども、今回も、一時金の原資は国から貸し付けるかたちになると思いますけれども、これについては、また95年のように債権放棄する考えはないと、例えば状況によってはせざるを得ないとか、どういうことになるかは分かりませんが、お気持ちとしてはいかがですか。
(副大臣)いわゆる患者団体が、分社化に対して様々な心情をお持ちであること、不安をお持ちであること等々を、私は重く受け止めております。そういった中で、先ほどの御意見にもありましたけれども、多くの皆様が分社化に対する不安のお気持ちを持っていただいていることを、私は重く受け止めていきたいと思っておりますので、正直どうなっていくか分かりませんけれども、いわゆる原因企業としての責任をどういう形で果たしていただけるのか、今後の協議の中でしっかりとつめていきたいと思っております。

(以上)

▲Page Top