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大臣記者会見・談話等

近藤副大臣就任記者会見録(平成22年9月21日(火))


1.発言要旨

 この度、環境の副大臣を務めさせていただくことになりました、衆議院議員の近藤昭一でございます。私も初当選から14年近くなるわけでありますけれども、この間10年ほど環境委員会に所属をさせていただいてまいりました。環境の課題というのは本当に、人類にとって非常に重要な問題だというふうに思っております。私も、皆さまもそうだと思いますが、子供のころ、近くの野原といいましょうか、自然の中で遊んだ経験があるのだと思います。やはり人にとって、そうした、自然と一緒に暮らしていくこと、これは本当に心の問題でも非常に重要だと思っていますし、あるいはこの間で申し上げますと、地球温暖化、非常に地球が暖かくなっている、その中で起こる様々な問題が出てきているのだと思います。これを解決していくこと。また、まもなく名古屋、愛知でCOP10の会議が行われますけれども、生物多様性が失われていくという中で、やはりこれは、人間にとって必要な様々なものが失われていくのだと思います。それは地球温暖化とも絡んでくるわけでありますが、自然環境、あるいは生物多様性が失われることによって失われる遺伝資源、こうしたものだと思います。そしてこれらは、非常に人類にとって重要なものだと思います。そういう意味で、こうした諸課題を解決をしていく、環境方面から解決をしていくということが、人類にとって非常に重要だと、そういう意味では環境行政、環境に関わることは非常に重要だという思いであります。そういう観点から私も国政の場で仕事をしてまいりました。14年間の、必ずしも環境委員会ばかりではありませんけれども、この度環境副大臣ということを仰せつかることになりましたので、改めて環境の大事さをしっかりと認識し、しっかりと環境問題に取り組んでいきたいというふうに思っているところであります。
 この後また、御質問もあるのかもしれませんけれども、COP10は名古屋、愛知での開催ということでありまして、私も名古屋市内の選出、もちろんどこの選出だからということではありませんが、COP10がちょうど名古屋で開かれる、愛知で開かれるということもありまして、しっかりと取り組んでいきたいというふうに思っているところであります。以上です。

2.質疑応答

(問) 副大臣の所掌というか所管というのは整理されているのでしょうか。政務官、大臣、副大臣に対して。
(答) まだ私も今日認証をいただいたばかりですけれども、大まかには聞いておりますが、環境省は環境副大臣は1人でありますし、政務官も1人でありますし、ただ政務官が担当している審議会があるというのは聞いておりますけれども、そういう意味では、ほとんど政務官がこれまでも出席させていただいてまいりました会議があると思うのですが、それ以外については、ほとんど副大臣が副大臣として担当していくことになるのだというふうに理解をしているのですけれども。

(問) これまで様々な経歴がある中で、個人的に、環境行政の中で、どのようなテーマについて、具体的なテーマとしてどのようなことに関心がおありで、どういったことにまず手をつけていかれたいかということを教えてください。
(答) 大きくいえば、自然環境の保護だというふうに思っておりますけれども、ただこれは非常に、発展する、戦後といいましょうか、ずっと発展する中できた日本の社会でありますから、どうやってそうした経済の発展と環境の保護を、両方を、両立させていくかということを考えていきたいというふうに思っております。それと、いくつも挙げても何かもしれませんが、やはり人間というのは、自分の心の中に起きる一番の基みたいなものがあると思うのですね。そういう意味では、私は高度成長期に育ってきましたけれども、子供のころに近くに自然が沢山あった。あるいは、たまさか母の実家が海岸に近いところであった。やはり、そうしたものの中で育ってきたというところがありますから、これからの子供たちのために、そうした自然を残していってやりたいというふうに思っていますし、そのことでいうと、やはり私も都会で育ってきましたから、都会の中の自然をどう守っていくかということも課題になってくると思いますが、そうした日ごろから接する、都会なら都会、地域なら地域だと思いますけれども、そうした日ごろから接する自然をどう守っていくかということを、非常に、自分の中では課題としていますけれども。

(問) エネルギーと環境の大村と申します。今回、就任にあたって、官房長官なり、菅総理なり、あるいは松本環境相なり、話をする機会はあったのでしょうか。
(答) 菅総理とは、今回の就任にあたってですね、特に具体的な指示をいただいているわけではありません。地元、愛知名古屋での開催のCOP10が迫っているので、しっかり取り組んで欲しいと、そういう話はありましたけど。

(問) 環境コミュニケーションズの金井と申します。中国に行ってらっしゃったということで、日中議連に入っておられるということで、日中間のですね、環境協力みたいなものも非常に進んでおりますし、尖閣列島問題も含めてですね、日中問題というのはいろんな意味で大きくなっていくのですけども、一つは中国へのパイプみたいなものをお持ちかということと、中国とのサシで出来られるようなことは十分でしょうから、そういう感じでなにか、日中で、環境問題として、こういうふうにやっていきたいというようなお考えはありますでしょうか。
(答) 少し細かく申し上げますと、学生時代に中国に留学をしていたんです。81年から83年の。まだまだ、中国が成長するところにも入らないような、改革開放政策が始まるのが78年ぐらいだったと思いますから、まだ始まったばかりなんですね、そのころに留学していたということで、そのころから考えれば本当に予想もしなかったような急速な経済発展なわけでありますけれども、私の気持ちで言うとですね、非常に中国が経済発展をしてきた。その中で抱えている課題というのが、環境問題でもたくさんあると思うんです。それは水にしてもそうですし、温室効果ガスの排出の問題でもそうですけども、こうしたところに、きちっと日本が協力をしていくということが、双方、有効に進めていくという言い方が良いのかどうかわかりませんが、お互いの理解を進めていくということでは非常に重要なことだと思っておりますし、中国側にそうしたことを、支援をしていくことが、日本にとっても環境面での影響がありますから、ある種、影響を少なくしていくことが出来るわけですし、そうしたことが非常に重要だと思っておりますし、さきほど、今、御質問のあったパイプということでありますと、昨年、政権につかせていただいたわけありますが、野党の時代もできる限り中国には出かけて行ってですね、幹部といわれる人達と話をしてきました。やっぱり、中国も良い意味でと言いましょうか、全てではありませんけれども、良い意味で、トップダウンみたいなところがあるわけですから、私はそうした意味では、中国の要人の人達と、これまで、何人か頭に浮かぶ人もいるんですが、そういう人達とやってきたということが、これから環境の問題で交流していく上でも力にはなると思っております。
 あとですね、なかなか日中間というのは、私も周りの人に良く言うんですけども、日本人と中国人って外見が似てますし、漢字を使ってるということで、お互いに、すぐ分かり合えるようなところが、誤解をすると思うのですが、日本の人と中国の人っていうのは考え方が根本的に違うところが、根本的ってことはないですが、考え方がちょっと違うところがあると思うんですね。そうしたものを自分はある意味では体験してきましたし、それが、これから日中間の様々なジャンルにおける交流の糧にはなるというふうに思っておりますし、もう一方で言うと、私自身は仲間と共にですね、中国で植樹、木を植えてるんですね。実は今日、仲間が出発して、だいたい5泊6日ぐらいで行ってるんですが、西安の郊外です。そこで、もうこれで丸10年続けてまいりましたが。そうした、議員がですね、草の根交流というのも変ですが、野党の時代から続けてますが、わりとそうした草の根交流をしてきた。そうしたこともですね、お互いの信頼感、十年続けてきましたが、わりと中国の高官の人達からも、近藤さん中国で植樹をして木を植えてくれてるんだねなんていう話は良くでますから。そういう積み重ねは、必ず日中の相互の理解に役に立つというふうに思ってますけれども。

(問) 熊本日日新聞の楠本と申します。副大臣は党の水俣病対策小委の座長を勤められらたと思いますけれども、現状の水俣病行政をどのように見えておられるかということと、今度は副大臣の立場で、この問題にどのように関わっていかれたいかということを。
(答) 私も野党というか、民主党の水俣問題のですね、座長をしてまいりました。少し長くなるかもしれませんが、これは松本大臣もおっしゃってましたけれどもね、様々なことは人間そこの原点みたいなことがあると思うのですが、私も水俣病の患者の方の写真を見たのは、中学生のころだったというふうに思います。本当に、大変な状況が生まれていると、愕然とその写真を見た覚えがあるわけです。政治の世界に入ったときに、この問題にも取り組みたい、関わりたいという思いでやってきましたし、そういう中で、民主党の水俣病問題の座長も勤めさせていただきました。やはりですね、このことに関しての、当時の国の責任というのは、非常に大きいものがあると私は思っているんです。ただ、そういう中で、この間も、非常に多くの方が関わって、努力を推進しておられた。昨年、救済法も成立したところであります。私はそういう中で、いろいろと経緯があるというふうに思っておりますので、大臣の記者会見も、私は、まだ当時私が副大臣をするかどうかということは決まっておりませんでしたけれども、関心を持って、特に環境の部分でいうと少し注意深く見た覚えがあります。そういうことで言うと、大臣は漏れなくという言葉を使っておられましたでしょうかね。救済法ができた中で、大臣も、現地にも足を運ばれたいというふうにおっしゃっておられましたから、そういう中で、漏れなく救済をする方法を、法律ができた中でですね、どう解決していくかを考えられていくかと思うんです。ですから、私自身も水俣病が発見された50年の時ですかね、現地にも足を運びましたし、国会決議をしました時に取り組ませていただきましたので、新たな気持ちと言うと語弊があるかもしれませんが、大臣が行かれる時に、あるいは単独でも現地には参りたいという思いはもっておりますけれども。

(以上)

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