第2回農林水産省「改革ビジョン」フォーラム
(平成13年6月11日)
における川口環境大臣の講演要旨

「エコマークの農林水産業」


 環境大臣の川口です。本日は、農林水産省の皆様の前でお話する機会をいただき、ありがとうございます。20分ばかりお時間をいただいて(現案全部では、23分程度になると思われます)、環境行政の基本的な考え方や、環境と農林水産業の関わりについてお話したいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

 私は、昨年7月に環境庁長官を拝命いたしまして、今年1月には中央省庁の再編に伴い、初代の環境大臣に就任するというめぐり合わせになりました。環境省発足後には、庁から省に変わることによってどう変わるのか、毎月1回全国各地でタウンミーティングを開いて、直接国民に語りかけ、国民との対話に努めています。

 そこでは、環境省になってどう変わるか、二つのことを申し上げています。

(新しい社会の創造)
 まず第一に、「新しい社会の創造に取り組む官庁」になります。環境庁は、公害規制、自然保護規制等を中心とした規制官庁であったと思います。もちろんこれは、どうしても譲ることのできない大事な部分を守るという意味で、環境行政の基礎となるものです。しかし、現在の環境問題を考えると、これだけではもうどうしようもないところまで来ています。

 大量に発生する廃棄物の問題や地球温暖化の問題に見られるように、現在の環境問題の多くは、私達の日常生活や通常の経済活動が積み重なることによって生じています。このような一つ一つの原因行為にすべて網をかけ、規制を行うことは不可能です。むしろ、私達の生活のあり様や社会経済のシステムそのものを環境と調和したものに変革し、根本から問題に対処していく必要があります。そのような意味で、環境省は「新しい社会の創造に取り組む官庁」にならなければなりません。


(地球と共生する「環の国」日本)
 それでは、環境省が目指す「新しい社会」とはどのようなものでしょうか。
 私は、環境省発足時に、環境省が目指す新しい社会のデザインとして「地球と共生する「環の国」日本」を提唱しました。
 20世紀型の「大量生産・大量消費・大量廃棄の社会」を「簡素で質を重視した、活力ある持続可能な社会」に改めていきたいと考え、これを「地球と共生する「環の国」日本」と表現したものです。

 「環の国」とは、環境の環と書いてワと読んでいます。我が国の伝統の心を大和の「和」で表すことがありますが、我が国の新しい社会を創造するに当たっても、我が国の歴史と伝統を踏まえることが重要だと思います。そして、環境の「環」という字はもとより、資源を循環的に利用する「環」、人を含む生態系の「環」、人々が協働して環境を守る「環」、日本と世界の国々が協働して環境を守る「環」といった意味を込めて、「環の国」という言葉を使っています。

(自然と共生する我が国の伝統)
 釈迦に説法をするような話になりますが、我が国は、2000年以上にわたる稲作農業の歴史を有し、その中で、自然と共生する生活の知恵を育んできました。ある学者によれば、江戸時代の里地・里山の管理のあり方、すなわち農村の生活は、自然の持続的利用システムの模範的なものであった、ということです。

 もちろん、生活の水準も科学技術の状況も全く異なる現代に、江戸時代の生活のあり方をそのまま移入することはできません。現在の私達が求めるべきことは、私達の祖先が育んできた自然と共生する生活の知恵に、現代科学の知識を融合させて、21世紀の時代に即した新たな知恵を生み出していくことです。

 農林水産省の皆さんに期待されることは、まさにこのようなことではないでしょうか。皆さんは、農林水産業の専門家として、最新の科学的知識を蓄積されていることと思います。また、我が国の農林水産業の現場に親しく接せられ、その歴史・文化に育まれた知恵にも造詣が深いことと思います。それらの知識や知恵を、農林水産業の基盤である自然環境を保全し、改善するためにも傾注していただきたいと思います。

(行動する官庁)
 環境省になってどう変わるか、の第二は、「自ら実施・行動し、国民と直接対話する官庁」になる、ということです。環境庁は、環境保全に関する基本的な政策の企画立案推進、関係行政機関の総合調整の役割を担ってきたところであり、この任務は、環境省になっても引き続き行ってまいります。しかし、こればかりでは、ともすれば霞ヶ関の中にこもって、経済官庁・事業官庁の陰から声が聞こえてくるようなことになりかねません。

 幸い環境省になるに当たって、厚生省から廃棄物・リサイクル担当部が移管され、自ら事業を行い、国民に直接相対する仕事が増えました。このような部分を足がかりに、自ら行動し、国民と対話する行政を増やしていきたいと考えています。

(パートナーシップ)
 さらに、私は、環境省の政策スタイルとして「パートナーシップ」-協働-を重視すると提唱しています。私達の生活のあり様や社会経済のシステムそのものを環境と調和したものに変革していくということは、行政が旗を振れば、あるいは市民が行動すれば、自然にできあがるものではありません。

 あらゆる主体が対等に情報を発信し・受信する、あらゆる主体が新しい発見をし・提案をし・協力し合えるような社会を作り、そんな社会全体で、地球と共生する持続可能な社会の実現に向けて努力していくことが必要です。

(農林水産業の環境パートナーシップ)
 このような政策スタイルは、環境行政に限ったものではないでしょう。農林水産業の世界でも、消費者と連携した生産や、漁業と林業の協力など、パートナーシップを基礎とした新しい動きが広がりつつあるのではないでしょうか。

 そこで一つ提案ですが、農林水産業において、環境をテーマにしたパートナーシップを広げていってはいかがでしょうか。

農林水産業は、自然の恵みを取り出して人間生活に役立てようとする産業活動であり、その活動が自然を損なってしまっては、産業自体が成り立たなくなります。そういう意味で、農林水産業は環境と極めて密接な関わりがあり、産業活動と環境保全を両立させる必要があります。

 しかし、農林水産業がそれ自体環境保全の機能を有する訳ではありません。極端な例を挙げるならば、焼畑農業や熱帯林の皆伐のような収奪的利用もある訳であり、農林水産業に携わる人々が環境を保全しようとする意志を持って活動に取り組む必要があると考えます。

 したがって、農林水産業に携わる人々が、生産者という立場に加え、環境の保全という公益的役割を果たすのだという意志を持ち、具体的行動を起こすならば、必ずや広範な社会の共感を得、協力を呼び起こすことができるのではないでしょうか。

 鉱害で枯れ果てた山に率先して植樹し、都会の人々のボランティア活動を呼びこむ、自然と共生する農業を実践し、都会の子供たちの農業体験の場に供する、など、様々な試みがあると思います。現にそのような行動を起こしている人々が沢山いることは、皆さんが一番良くご存知でしょう。これらは、農林水産業の皆さんが、環境の保全という新しい活動目標を掲げ、そのアイデアと努力に呼応する人々とのパートナーシップを広げることによって成り立つものだと思います。

 ただ、このような環境保全活動は、必ずしも収入をもたらすものではありません。しかし、こういった活動が大きく広がり、環境保全の重要な機能を担うようになるならば、ボランティアによるパートナーシップという枠を超え、必ずやそのための費用は社会全体で負担すべきだ、という考え方が広がっていくのではないでしょうか。

 すなわち、農林水産業に携わる人々が、自分たちが利益を得るためだけに活動するのではなく、ある程度その利益を犠牲にしても、環境の保全という公益のために活動する、ということを明確に打ち出すならば、そのための費用は、環境が保全されることによって様々な便益を得る社会全体が負担すべき、ということになるでしょう。

 それが、農家の所得補償なのか、森林保全のための水源税なのか、あるいはその他の方法なのか、今申し上げることはできません。いずれにしても、ただ単に農林水産業自体に環境保全機能がある、と主張するのではなく、実際に農林水産業の皆さんが環境保全のための具体的な行動を起し、生産者という立場を超えて多くの人々とパートナーシップを確立すること、これが、農林水産業の新たな発展につながるのではないか、と考えます。

(当面の重要政策)
 さて少し話がそれましたが、環境行政の当面の重要政策について、4つの課題をお話したいと思います。
1) 地球温暖化対策
2) 循環型社会の形成
3) 国民の安全と安心の確保
4) 国民の協働協力による自然保護
です。

(地球温暖化対策)
 皆様も新聞報道等でご承知かと思いますが、地球温暖化防止のために先進国諸国の二酸化炭素排出量の削減目標値を定めた気候変動枠組条約の京都議定書について、米国が支持しない、との立場を表明しています。

 そもそも京都議定書は、人類が共同の事業として地球温暖化防止に取り組んでいく第1歩となるべきものです。しかし、京都議定書が定める2010年前後の目標値が達成できたとしても、それで地球温暖化が防止できるわけではありません。さらに、20%、30%と温室効果ガスの削減量を高めていく必要があります。

 今般の米国の立場表明により、今、その第1歩すら踏み出せなくなる瀬戸際になっているわけです。米国は、温室効果ガス排出量で世界の1/4を占めており、地球温暖化防止に大きな責任を果たすべき国です。我が国としては、米国にあらゆる機会を通じて働きかけを行い、先進諸国が一致協力して地球温暖化防止対策を始められるよう、全力を挙げて取り組んでまいります。

 もちろん、地球温暖化防止のために、我が国自ら国内対策を進めていく必要があります。農林水産省におかれても、二酸化炭素の吸収源たる森林の維持管理という点で大きな関わりがあることはご承知のとおりです。また、全体から見ると大きな割合ではない(約1~1.5%が水田・家畜からのメタンと家畜糞尿・肥料からの一酸化二窒素)にしても、農畜産業がメタン等の温室効果ガスの主たる排出源となっていますので、その対策の推進についてご協力を賜りたいと思います。

(循環型社会の形成)
 続いて、循環型社会の形成について申し上げます。
 昨年は、「循環型社会形成推進基本法」をはじめとして、廃棄物処理・リサイクル推進関連6法が成立し、循環型社会元年とも言うべき年になりました。農林水産省におかれても、いわゆる「食品リサイクル法」を成立させられたと承知しています。

 循環型社会の構築のためには、3つのR、すなわち、リデュース(減量化)、リユース(再使用)、リサイクル(再生利用)を推進するとともに、それでも出てくる廃棄物の適正処理と、リユース、リサイクルされたモノの市場の確保、すなわちグリーン購入の推進が必要です。

 農林水産省関係でも、食品リサイクルとその飼料・肥料としての利用、農畜産廃棄物の問題など、様々な課題に取り組まれておられますが、このような問題については、省庁の壁を超えて協力し合うことが必要ですので、今後ともよろしくお願いしたいと思います

(国民の安全と安心の確保)
 次に、国民の安全と安心の確保ですが、これは、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、化学物質問題等、課題は、数え上げるとキリがありません。ここで一つ申し上げておきたいことは、つい最近ストックホルムで採択された「残留性有機汚染物質(POPs)に関する条約」のことです。

 農林水産省も関係されることから、ご承知の方も多いと思いますが、環境中で残留性が高く、地球規模の汚染と人の健康等への影響が懸念される有害な有機汚染物質である12種類の殺虫剤等について、製造・使用の禁止や適正処理の実施等が、条約上求められることになりました。

 環境省においては、今国会で、PCB廃棄物についてその処理を推進するための法制度の整備を行っているところですが、この条約が発効するようになれば、更に拡大された形で、有害化学物質の処理に取り組む義務が生じます。国民の安全・安心を確保する見地からは、一刻も早く必要な体制・制度を整備し、対策を開始することが望ましいところであり、ご協力をお願いしたいと思います。

(国民の協働協力による自然保護)
 最後に、自然保護の問題です。ここでは、公共事業と自然保護の問題についてお話したいと思います。さて、諫早のことか、と身構えられるかもしれませんが、関係なくはありません。

 農林水産省の公共事業は、農林水産業の現場で行われるために、豊かな自然環境が存在するところで行われることが多いと思います。したがって、事業と自然環境との間で摩擦が生ずることもあるでしょう。そういった摩擦を回避するためには、公共事業の実施に当たり十分な環境への配慮が必要となりますが、更に、「環境創造」という意味で、自然環境に順応し、損なわれている自然環境を回復させるような方向の公共事業に向かってはいかがでしょうか。

 高速道路や空港といった完全に人工の建造物を作る公共事業では、中々そういうことは難しいと思いますが、もともと農林水産業は、自然の恵みを得るための産業です。だからこそ、自然環境を維持し、回復するための公共事業そのものが農林水産業のための公共事業になりうると思います。

(自然と共生する公共事業)
 具体的な例で申し上げますと、私たちは、森が国土の2/3を占める森の国に暮らしています。森は、木材を生産するのみならず、山を守り、水源となり、多くの生き物を育み、二酸化炭素の吸収源として地球温暖化を防止する働きを持っています。

しかし、木材の価格は低迷し、森を守る人たちは高齢化し、豊かであるべき日本の森は、今、元気を失っているのではないでしょうか。日本の森を、単に木材資源の供給源として見るのではなく、多くの生き物が住む地球環境を守る豊かな緑として再生するため、遅れている間伐を国民参加のもとに実行するとか、手入れが行き届かず動物の影も見えないような人工の森は思い切って自然林に戻すとか、大胆な発想での取り組みが求められます。

 里山に動物たちを呼び戻し自然観察の場として活性化すること、カエルやドジョウやメダカがたくさんいる田んぼを取り戻し、さらにその周辺で湿地を復元すること等々、農林水産省と環境省が協力し合えば、そういった自然と共生する事業の具体的なアイデアはいくらでも出てくるのではないでしょうか。

 また、魚の生息と繁殖を助ける「魚付き林」の整備を山村と漁村の協力で推進することや、稚魚の生育の場となり水質浄化機能も有する「藻場」を整備し、沿岸漁場の再生を図ることなども考えられます。

 このような自然再生型の公共事業を、農林水産省と環境省の共同の公共事業として本格的に取り組んではどうでしょう。今、あえて「環境省と共同の」と申し上げました。農林水産省だけでできる、と思われるかもしれません。一方、環境省には、お金も人手もあまりありません。一体何を手伝うのか、と聞かれれば、やっぱり先ほどのパートナーシップということです。

 この自然再生型の公共事業は、一遍作ってしまえばさほど手入れがいらない、というものにはならないでしょう。ハンドルをちょっとひねればまわり一面の水田に水が行き渡る、といった人手を省力化する公共事業がこれまで必要とされ、推進されてきました。農業生産の向上のためには、それは確かに必要です。

 しかし、ここで提言する自然再生型公共事業は、作った後も、手間暇かけて手入れし、人と自然が一緒に暮らしていくことを目指すものです。それを過疎化・高齢化が進む農山漁村の人々だけに押し付けるのは難しいでしょう。やはり、環境の保全という共通の目標を掲げて、ボランティアや環境NGOの力を借りること、あるいは、環境意識の高い企業の支援金を受け入れること、そういったパートナーシップを確立することが必要になると思います。
 環境省は、少なくともそのような点でお手伝いができると思いますし、さらに自然と共生する事業のあり方について、一緒に知恵を絞っていくこともできるでしょう。

(グローバリゼーションと地域化)
 さて以上、それなりにきれいにお話をまとめたつもりですが、最後にむしろ問題提起をしてみたいと思います。私は、最初に、我が国伝統の知恵に最新の科学的知識を融合させて環境を守り育てよう、と申し上げました。そして、パートナーシップにより環境を保全する農林水産業を進めよう、と申し上げました。しかし、それで末永く環境を維持していける社会が実現できるのか、疑問がないわけではありません。

 江戸時代の里地・里山で模範的な環境管理が行われていた、と申し上げましたが、これはむしろ、必要に迫られて確立した生活様式と言えるでしょう。限られた水、限られた森をできるだけ有効に末永く使用できるよう、厳しい掟と村人の共同責任によって里地・里山が管理されていました。それは、限られた資源を小さな共同体の中で循環的に使用せざるを得ないからです。

 現代のように、遠方から資源・エネルギーを得て、便利に使い捨て、後始末は行政に任せてしまうような生活のあり方の中で、身近な自然を手間暇かけて守ろうというインセンティブが働くでしょうか。善意のボランティアに期待することや行政に任せてしまうことで、本当に永続的な環境保全が図られるでしょうか。

 この解決策として、全国化・グロ-バル化した社会経済に合った広域的な資源循環システムや環境税のシステムを整備していこうという考え方もあれば、一定のまとまりのある地域、あるいは都市と農村の組合せで、自給自足的な地域循環システムを作り、その地域自治により環境と暮らしを両立させていこう、という考え方もあるでしょう。

 グローバリゼーションと地域コミュニティの尊重、今、様々な側面で問題が顕わになっていることだと思います。これは私達現代人の価値観の選択の問題かもしれません。環境を守り育てていこう、あるいは農業・農村を生き生きとしたものにしよう、とするとき、この二つの方向性の狭間で、私達は揺れ動かざるを得ない気がします。

 以上、色々なことを申し上げましたが、農林水産行政と環境行政が極めて密接に関わることは、もとよりご承知のことだと思います。中央省庁再編時には、農林水産省と環境庁を一緒にしては、という議論もあったやに聞いていますが、たとえ役所が分かれていても、国民のために行政を行う、という点では、何ら違いはありません。それぞれの立場から、現在及び将来の国民、ひいては地球社会のために何をなすべきか、十分に議論し、手を携えて仕事を進めましょう、と申し上げて、お話の締めにしたいと思います。