GLOBEシンポジウム:環境重視国家をめざして
~未来への警告と21世紀グランドデザイン~
(平成13年4月16日開催)
における川口環境大臣講演要旨

○ 環境大臣の川口です。本日はGLOBE JAPANのシンポジウムで講演の機会をいただき有り難うございます。地球環境の保全に議員の立場から、世界的なネットワークをつくり、積極的に活動されているGLOBE JAPANの皆様にはかねがね感謝しているところです。
○ 環境省も様々な課題をかかえていますが、本日はそうした色々な環境問題に我々が対処する基本的な認識や方向について、私が日頃考えていることをお話ししたいと考えております。

(二十一世紀への展望)
○ 私は、環境問題について考えますときには、やはり文明論といいますか、人類史的視点から考えていくことが、よいヒントになるのではないかと思っています。人類の歴史は数百万年と言われていますが、その歴史のなかで人類は今まで二回、人類社会を大きく変える「革命」というべきものを経験してきたと考えています。
○ 第一の革命は、農耕と牧畜の発明による革命です。これにより人類は自然のバランスのなかでまさしく自然に生み出される動植物を狩猟・採集することのみに頼ることなく、自然の生産力を上回る余剰を自ら生み出すことができるようになりました。これにより定住社会が形成され、文明が生まれた訳です。
○ しかしながら、この繁栄の裏では自然のバランスを破壊したことによる環境破壊の問題が既に生じていました。例えば、古代メソポタミアでは文明を育む豊かな農地があったといわれていますが、ご存じのように、今この地域は一面の砂漠と荒れ地です。メソポタミア文明の衰退は、過剰な灌漑によって農地の塩分濃度が上昇したことによる土地の荒廃、つまり環境破壊が原因であると言われています。他の文明の発祥地であるエジプト、インダス、黄河流域でも環境問題が既に存在していたと言われており、人類文明ははじめから環境問題を抱えていたとも言えます。
○ 第二の革命はいうまでもなく、産業革命です。石炭という過去の太陽エネルギーの蓄積を集中して使うことにより、人類はそれまでとは比較にならないような生産力を手にすることができたわけです。この産業革命は、早くから公害現象を生み出しました。日本では、公害といえば高度経済成長期からのものと思われがちですが、例えば、最も早く産業革命が進行したイギリスの工業都市マンチェスターでは、19世紀半ばには、大気汚染によって、環境が黒化したため、蛾が黒い羽に変わりはじめたという例が知られています。また、死者まで出すような大気汚染事件も既に第二次世界大戦以前に起こっています。
○ 現在では、産業革命以降の科学技術の進歩と大量生産技術の拡大という方向が加速度的に進展したことにより、地下資源からのエネルギー供給に頼った繁栄が、石炭に加え石油や天然ガスも含めた化石燃料の燃焼に伴う地球温暖化という深刻な問題の原因となっております。
○ この二回の革命は、結局のところ自然のバランスを壊す力を手に入れ、それにより繁栄を入手達成するというものでした。そしてそれは、必然的に環境の破壊を伴ったものでした。
○ しかし、そうした自然を無視して勝手に物質とエネルギーの循環を乱すことによる人類繁栄のパターンは、いわゆる地球環境問題に典型的に見られるように、既に限界に達していること、もう続けられないことは皆様よくご存じと思います。もともと自然界は、一定量の物質とエネルギーがバランスをとって循環することによって、安定した状態となっています。その中で人類が今までになかった物質とエネルギーの流れを作り出せば、それは基本的に自然の安定状態をこわし、その安定状態の上で成立している人類社会の安定も、また、破壊することになるのです。
○ これまで、人類は自分たちの作り出した物質やエネルギーが自然界の秩序を破壊するほどの力は持っていないとたかをくくってきました。しかし1985年の南極上空のオゾンホールの発見によって、我々は地球を壊すだけの力を持っていたことを認識させられたのです。先に発表されたIPCC、政府間気候変動パネルの報告では地球温暖化の影響についてまさしく人間が地球を変えつつあること、そしてそれが恐ろしい結果をもたらすことが科学的にも確認されていると考えております。
○ 二十一世紀には自然のバランスを壊すことなく、むしろ自然を回復するような形で人類の繁栄を追求していかなければならないと思います。そうしなければ地球環境の変貌によって、人類社会存立の基盤が危機に瀕することとなると思われます。こうした道に人類社会を変革することが喫緊の課題でありましょう。
○ もとより、自然のバランスの維持と人類の繁栄の両立は、これまでの人類発展のパターンと全く別の方向への社会の大変革であり、容易なことではありません。しかし、もし、これに成功すれば、それはこれまでの人類の経験した二つの革命、二つの大転換とまったく別の方向への大転換であり、第三の、そして永続的な人類の発展へ繋がると言う意味で最も輝かしい革命と呼ぶべきものでありましょう。そしてそれは、我々にとってなし遂げなけれはばならない革命でもあります。

(循環型社会の形成―「環の国」づくり)
○ ただ、自然のバランスを壊さない、といっても、自然界の生産力のみにたよることは不可能です。今や全世界で60億人を超え、今世紀半ばには90億に達しようという人類は、人口と生活の質の両面で昔の石器時代に戻ることはできません。
○ そこで私は「環の国」づくりという構想を提唱させていただいております。環の国の「環」には環境の字をあてて環境や循環を意味しますが同時に車輪の字や人の和、平和の和とも音を同じくしており、回転や協力・融和という意味もこめています。
○ 人間一人一人が差し出す環境保全のための心と努力を基本的な要素として、人間同士が、地域内、国内はもとより、国境を越えて相互に協力し、また、自然と共生の中で、将来にわたって持続可能な社会をつくるということが、環の国づくりの目指すところです。人類の文明を維持しながら自然のバランスをこわさないためには人工の物質とエネルギーの流れを自然界からの収奪と廃棄という一方通行のものではなく、自然から得たものは自然に戻し、人工的に生産されたものは出来る限り廃棄せずに、人類社会のなかで利用する循環型の社会「環の国」を作らねばならないと考えております。
○ そして、そのためには人類社会を律している科学技術と社会システムの両面での変革が必要と考えています。
 
(科学技術の再生)
○ ます、科学技術について申し上げますと、石器時代に戻ることなく、循環型社会の形成を目指すということは、人間社会が生み出してしまった質的にも量的にも自然の生産力や浄化力に頼れない部分を人間の知恵、科学技術で補うことを意味します。
○ しかし、これまでの科学技術は産業革命とともに歩んできた大量生産・大量消費のための科学技術でした。循環型社会構築のためにはこれまでの科学技術を見直し、再生していかなければならなりません。
○ こうした新しい科学技術の胎動はすでに始まっています。手近なところでは様々な環境保全技術の進展は目覚ましいものがあります。例えば今、脚光を浴びている燃料電池は、皆様が学校で実験した水の電気分解の全く逆のプロセス、すなわち酸素と水素から電気を作り出し、廃棄物としては水しか出てこないという素晴らしい技術です。こうした従来の知識、発想の逆の、大げさにいえばコペルニクス的転換が必要であり、それは大きな可能性を持っていると思うのです。
○ また、今日の情報通信技術の発展は、それ自体が科学技術上の大革命ですが、同時にこれまでの科学技術の発展とは異なる循環型科学技術への可能性を持っていると思います。
○ 例えば情報通信技術は、生産や輸送の効率化に資するというだけではなく、ほとんどエネルギーや物質を消費しない形で新しい富、新しい価値を創造できる可能性も持っています。もちろん情報通信技術の発達、IT社会の到来は必ずしも良い面ばかりではなく、電力需要の増大や情報通信技術への対応力の差によって生まれる社会の格差拡大、いわゆるデジタルディバイドの問題もあります。そうしたマイナス面を克服して情報通信技術のプラス面を活かした形で循環型、省資源型のこれからの日本の繁栄を構想していかねばならないと考えます。

(新しい社会像―水平ネットワーク社会)
○ 科学技術の再生とともに期待されるのは、社会そのもののしくみの変革による環境保全型社会、つまり「環の国」形成の可能性です。
○ これまでの社会は、やはり効率的生産重視で上位下達的ピラミッド社会であったと思います。しかしこれからの社会は生産の量的拡大による物質的富の追求から、本当の意味での豊かさ、心や身の回りの環境の質なども含めた幸福を追求していかなければなりません。別の言葉で言えば、「量的拡大」から「質的充実」を目指すべきであり、生産人の利益追求志向の社会から生活人の幸福の実現を目指す社会への転換が必要です。
○ また、当然に来るべき社会は、21世紀の人類最大の課題の一つである環境問題に対応できる社会でなければなりません。これまでの環境問題の歴史、例えば四日市や川崎の大気汚染問題、琵琶湖の水質汚濁問題などを見ても、まず環境問題を発見し、疑問を持ち、行動を起こし、社会を変える原動力は草の根の人々でありました。しかしそうした人々だけで環境問題に対処できるほど今日の環境問題は簡単ではありません。そうした草の根の発見、問題提起に、科学や政治や行政などあらゆる分野の人々が連帯し、協力してはじめて解決が可能なのが今日の環境問題でありましょう。
○ 環境問題を発見しそれに的確かつ創造的に対処していける社会は、様々な人、特にこれまで生産優位の社会の中で十分に自らの発見や意思を発言できなかった生活人、家庭人、女性、ボランティア、社会的弱者などが自信をもって情報を発信し、それが的確に受け入れられる社会でなければなりません。
○ 環の国の「わ」には人の和の「わ」の意味もこめたと申し上げましたが、こうした社会の実現のためには広い人の和が大事であり、別の言葉で言えば、ネットワーク型社会の形成が大事だと思っております。
○ 既に述べましたように、環境問題の解決のためには、あらゆる主体がそれぞれの立場で自主的・創造的に参加する必要があります。そしてそれは従来型の一方向の指揮命令系統でつながる社会ではなく、あらゆる主体が対等に情報を発信し、また受信する。あらゆる主体が新しい発見をし、提案をし、協力をしあえるという社会であるべきであろうと思います。そうした社会への動きも見られてきています。生産のみにとらわれる会社社会に対置する地域社会やNGO、NPO活動の発展、あるいは生活者の立場からの主婦の社会参加の活発化などは新しい循環型社会への社会変革の兆しと言えるのではないかと期待をしております。
○ 最近お伺いした例では、自然体験学習を推進しているNGOの方から自然活動指導者の登録制度をつくる過程で、あるNGOの積極的な提案から、それまで連携のなかった自然教育関係のNGOがまず連帯し、ついでそれまで縦割り行政のなかで連絡のなかった各省の若手官僚が積極的に省庁の壁を越えて協力する仕組みができたと伺いました。こうしたボランタリーな草の根の活動家のリーダーシップが従来型の縦割り行政の殻を壊していくというのは素晴らしいことであり、明日に向けた社会変革の一つの方向だと思います。
○ 今や社会のありとあらゆるところで、今までの生産中心の縦秩序におさまらない、水平的でボランタリーな人の結びつきが社会を変革しつつあります。私は、これは環境問題解決のための大変重要で、心強い動きであると思います。環境省としましても、そうした動きを「支援」というおこがましいことではなく、協力と情報共有という水平的な連帯のなかで環の国づくりに活かしていきたいと思っております。
○ 一定の物質的繁栄に達し、また人口などの面からも成熟社会となったわが国においては、これまでの大量生産、大量消費、大量廃棄に疑問を持ちそれを変革する動きが自然な形で社会に生まれてきています。また、国民の環境保全への意識も大変高くなってきています。
○ しかし世界に目を向ければ、アジア・アフリカなどでは到底循環型とは言えない発展を行わざる得ない人口爆発や絶対的貧困が存在しています。本日は、冒頭申し上げましたように、環境問題の本質についてお話したいということで、あえて昨今の話題の中心である地球温暖化防止の話にはあまりふれませんでしたが、先進国が従来型の発展パターンを追求し、途上国がそれを追いかければ、地球が我々の住める星でなくなることは火を見るより明らかです。だからこそ我々先進国は、一刻も早く自らの社会を循環型にするとともに、発展途上国にも途上国の意見も入れた上で新しい発展パターンの範を示さなければならないと考えております。
○ このためにも、私は、わが国において循環型社会の形成、環の国づくりを進めるとともに、そうした経験を活かしながら、新しい発展のパターンをアジア太平洋諸国さらには世界に発信していくことが重要と考えております。個別具体の施策の詳細を申し上げる時間はございませんが、内にあっては循環型社会形成推進基本法を中核とした循環型社会の形成と温室効果ガス削減の国内制度の構築、外に向かってはCOP6再開会合の成功と京都議定書の2002年発効そしてRIO+10(リオプラステン)に向けてのアジア太平洋環境開発有識者会議からの貢献などを進めていく考えです。そしてその基盤としてのあらゆるレベルでの情報共有と幅広い協力を可能とする「開かれた環境省、活力ある戦う環境省」をつくって参りたいと考えております。
○ 容易な道ではありませんが、そのためにも、今後とも本日ご参集の皆様の環境省への支援ご協力、ご鞭撻を心よりよろしくお願いいたします。
○ 本日はご静聴ありがとうございました。